すれ違い。


 それは、どんなに思い合っていても、どんなにわかり合っていても、避けては通れないのかもしれない。
 もし、本当に大好きな人とすれ違ってしまって、繋いでいた手が離れてしまったら……どうしたらいいんだろう。


 成宮先生には、いつも隣で笑っていて欲しいから。
 だから、繋いでる手を絶対に離したくはないし、離さないで欲しい。
 成宮先生が、珍しく泣きそうな顔で囁いた。


 ――なぁ、ごめんね。大好き。


 俺の彼氏である、成宮千歳の特徴と言えば、ツンデレ、俺様、ヤキモチ妬き、超束縛系、ワガママ……咄嗟に思い付くものと言ったら、あんまりいいことは思い付かない。
 でも、俺が、一番心だけでなく、体までも悩ませていることと言えば……。


「なぁ、葵……しよ?」
「えぇ? ここ、職場ですよ? しょ、く、ば! 嫌ですよ!」
 そう。この怪物並の性欲の強さだ。
 家だろうが、職場だろうがこの男には関係ない。したい時(イコール)やる時、というこの恵まれた頭脳からは信じられないような、実に単純な方程式が存在していた。
 そうなってしまえば、医局や当直室やら、人が来なそうな場所に連れ込まれて好き勝手にされてしまう。


 今日は休日で、小児科で出勤している医師は俺と成宮先生だけ。
 業務が一段落して医局で待機している時に、甘えながら抱きついてきたから、キッパリと断ってやった。


 いつも聞き分けのいい俺が、反抗してくると何だか面白くないらしい。明らかに「葵の分際で……」と、イラッとしているのがありありと顔に滲み出ている。
 きっと成宮先生からしてみたら、『葵は俺の物だから、いつでも自分を甘やかして、無条件に愛して欲しい』。そんな、はっきりとした上下関係が存在しているのだろう。
 そんな子供みたいな我儘を、俺はいつも受け入れてきている。そして、そんな俺に成宮先生は甘えきっていた。


 きっと、どんなに俺が拒絶したって最終的には言うことを聞くだろう……この超がつくほど傲慢な男は、そう思っているに違いない。
 でも、そうはいかない時もある。そんな、やたらめったら職場でイチャイチャできるかよ。


「駄目ですよ。十五時時過ぎに、柏木が本を持ってきてくれるんです」
「本?」
「そうです。今書いてる論文に使うんですよ」
「十五時だろ? 大丈夫だって、まだ二十分もあるし。ちゃっちゃっとやっちまおうぜ?」
「ちゃっちゃっと!?」
「そう。ちょっと挿れるだけだよ」
「絶対に嫌です!」


 成宮先生が、俺の体を無理矢理ソファーに押し倒そうとしたから、必死に抵抗する。
 それでも、どんなに体をバタバタさせて抵抗しても、成宮先生の力には適わなくて……結局は、両手を顔の横に押し付けられて、馬乗りになられてしまう。
 こうなると、もう俺にはどうすることもできない。


「葵、暴れんなよ……」
「絶対嫌だ! 柏木が来て、見られたらどうするんですか? 離してください……!」
「こいつ……」
 俺は普段、成宮先生に抱かれているけど、特別華奢なわけでもないし、何より空手有段者だ。
「可愛い顔してんだから、大人しくしろよ」
 俺をフィジカルでねじ伏せようとする成宮先生が、眉を顰めた。
 普通の成人男性よりパワーのある男二人が取っ組み合いの喧嘩をしてるんだから、そこに艶っぽさなんて皆無だ。


 いつも成宮先生に甘く誘惑されて、馬鹿な俺はすぐにその気になって……最終的には成宮先生に『抱いて欲しい』とまでねだってしまう、意志の弱い俺。
 でも冷静になって耳をすませば、遠くからはナースコールが聞こえてくるし、医局の前を足早に歩く音も聞こえる。
 テーブルに置かれているPHSがいつ鳴るかだってわからない。
 俺達が現実から逃避して、甘い時間を過ごしているその瞬間だって、回りのスタッフは一生懸命に働いている。
 それを思えば、医局で卑猥な行為なんて、以ての外だ。
 それに、家に帰ればいつだってできるんだから。


「なぁ、葵……俺、どうしてもしたいんだ。こんなんじゃ、仕事に集中できないよ」
「……成宮、先生……?」
 突然、成宮先生が切なそうな顔をしながら、俺の顔を覗き込んでくる。
 その顔を見た俺は、ギュッと胸が締め付けられた。


「手首、赤くなってる……ごめん。痛かったよな?」
 成宮が力任せに掴んでいた、俺の手首にチュッと口付けてくれる。
「ごめん。葵……愛してるから抱かせて?」
「成宮先生……」
 その熱っぽい視線と、普段はほとんど言ってくれることなどない、『愛してる』という言葉に、俺の心は鷲掴みにされてしまった。
 どうしよう……めちゃくちゃ嬉しい。


「葵、愛してるよ」
「……じゃ、じゃあ、できるだけ手短に済ませてください……」
「うん。ありがとう」
 顔を真っ赤にさせて唇を尖らす俺に、成宮先生がもう一度優しいキスをくれる。
「ふっ、チョロいな。葵……」
 そんな成宮先生の呟きなんて、『愛してる』なんて言われて、浮かれきっている俺には全然聞こえていなかった。
「いただきます」
 成宮先生が、そっと舌なめずりをした。