沙羅ちゃんを目の前に、俺は一瞬言葉を失った。
体調が悪くなってから、しばらく自宅で様子をみていたけど一向に状態に改善が見られなかったため、今日入院となったのだけど……俺の想像以上にその容体は悪かった。
三歳だというのに、まるで乳児のように体が小さくて、苦しそうに呼吸を繰り返す胸郭の動きだけがやたらと目立つ。体全体が蒼白く、沙羅ちゃんの小さな体にはたくさんの管がついていた。
「担当医の水瀬葵です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
俺に向かって丁寧に頭を下げる両親は、俺と同じ年位に見えた。
入院にももう慣れっこなのだろう。特に慌てる様子もなく、淡々と手続きを行っていた。
「こんにちは。私も水瀬君をサポート致しますので」
「あ、成宮先生。よろしくお願いします」
それでも成宮先生の顔を見た瞬間、沙羅ちゃんの両親の顔がパッと明るくなる。
成宮先生を信頼していることが、それだけでも伝わってきた。
「絶対に元気にしてあげるからね」
俺は、その光景を見て、身が引き締まる思いがした。
しかし、想像以上に沙羅ちゃんの容体は深刻だった。
どんなに薬を調整しても、点滴を工夫しても、沙羅ちゃんの血液データはガタガタのままだ。そして、日に日に状態は悪くなっている。
「どうしたらいいんだよ……」
俺は頭を抱えて低い唸り声を上げる。
「このままじゃ沙羅ちゃんが……仕方ない、行くか」
意を決して俺は、ある場所に向かった。
「失礼します。成宮先生、ちょっとよろしいですか?」
「あぁ?入れば?」
気怠い声が聞こえてきたから、俺はそっとドアを開ける。
薄暗い医局の中には、パソコンを真剣な顔で見つめている成宮先生がいた。
疲れているのか、前髪をクシャクシャと搔き上げる……そんな姿も、悔しい位様になっていた。
「あの、沙羅ちゃんのことなんですが……」
俺は最新の検査データを成宮先生に渡す。
「んー?」
それに目を通した成宮先生が、気の抜けたような顔で俺を見上げた。
「お前にしては頑張ってるんじゃん?」
「え? でも……全然良くなってないんです」
「仕方ないよ。沙羅ちゃんはいつ急変してもおかしくない状態だ。それは、ご両親も了承してる」
「そんな……」
さらりと言ってのける成宮先生に、俺は顔を引き攣らせた。
「今のお前は医師としての冷静さが欠けてる。そんなんじゃ駄目だろ? 沙羅ちゃんはお前にとって患者であって、家族じゃない。それに、お前は医師であって神様でもない。それを吐き違えると、医師として失格だぞ?」
「何もそんな言い方しなくても……」
俺は怒りのあまり、全身がカタカタ震えてくるのを感じる。
あまりにも冷たい成宮先生の態度に、怒りすら感じてい
たのだ。
「俺はただ、沙羅ちゃんに元気になって欲しくて……」
「元気になれないこともある」
「でも、でも……!!」
「もうみんなが十分に頑張ってる。これ以上やりようがない」
「そんな……」
「わかったら出て行け。仕事の邪魔だ」
その言葉がトドメだった。
俺の目からは涙あボロボロと溢れ出し、頬を伝う。それがバレないように、慌てて涙を拭って部屋を後にした。
「成宮先生ならどうにかしてくれると思ったのに……」
全身の力が抜けているのを感じた俺は、その場に蹲る。
自分の無力さと、成宮先生に相手にさえしてもらえなかったことが、悔しくて仕方なかった。
◇◆◇◆
それからの俺は、寝る暇さえも惜しんで、沙羅ちゃんの病気に関する論文や、文献を読み漁った。
なんとか沙羅ちゃんを元気にしてあげたい。だって俺は、沙羅ちゃんの主治医だから。
「駄目だ、どうにもなんない」
睡眠時間を削り、休憩もろくに取らずに調べ事に没頭して俺には、既に限界がきていた。
フラフラと眩暈はするし、頭がボーッとして思考がまとまらない。寝不足のせいか、目の下にはクマができて、顔は蒼白かった。
それでも、毎日沙羅ちゃんを見舞いに来ては、優しく話かける母親を見ると、俺の胸はギュッと締め付けられる。なんとかしてあげたい……そして、また振り出へしと戻ってしまうのだ。
「お願い生きて……」
俺は祈ることしかできなかった。
「お疲れ様です、水瀬先生」
「あ、お疲れ様です」
「毎日夜遅くまで大変ですね?沙羅ちゃんのことですか?」
「はい、そうです」
夜勤の看護師さんに声を掛けられ、俺は思わず顔を上げた。
時計を見ればもう夜の十一時だ。
「そろそろ帰ろうかな」
重い体に鞭を打って立ち上がろうとした俺に、看護師さんが話しかけてくる。
「成宮先生も、夜遅くまで沙羅ちゃんの病室にいますよね?」
「え? そうんですか?」
「はい。色々勉強されているみたいだし、この前は国際電話かな? 英語でどこかのお医者さんとお話してましたし」
「…………」
俺はその言葉に思わず目を見開いた。
成宮先生が……俺、そんなの全然知らなかった。
「成宮先生も、何とか沙羅ちゃんを助けてあげたいって、必死に頑張ってくれてますよね。そんな姿が、本当にかっこいいです!」
頬を赤らめながら照れくさそうに笑う看護師さんは、きっと成宮先生のことが好きなのかな……って思う。
「今日もまだ、心臓外科の病棟にいるみたいですよ。沙羅ちゃん、心臓も悪いから」
「そうなんですね……」
「水瀬先生も、できるだけ早く帰って休んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
俺はフラフラと廊下を歩く。
廊下の冷たい風が火照った頬を冷やしてくれてとても気持ちいい。遠くでなっているナースコールが、ひどく遠い世界に感じた。
「成宮先生、沙羅ちゃんのこと、見捨ててたわけじゃなかったんだ」
ポツリ呟く。
「なのに、酷い事言っちゃったな……」
鼻の奥がツンとなって、目頭が熱くなる。
「ごめんなさい」
でも、意地っ張りな俺は、素直に先生に謝ることなんて……できそうになかった。
医局に戻っても部屋の中は薄暗くて、成宮先生の荷物は置きっぱなしだ。まだ、成宮先生は帰っていない。
きっと、紗羅ちゃんのことを色々調べていてくれているんだろう。
俺は大きな溜息をつきながら、ソファーに座る。
「必死な素振りなんか全然見せなかったくせに、かっこ良過ぎでしょ……」
その時、俺の心臓がまたトクントクンと甘く高鳴り出す。
「俺の為でもあるのかな……」
そう考えると、胸がキュッと締め付けられた。
「先生、ごめんななさい」
ソファーに横になると強い睡魔に襲われる。
「先生……俺、やっぱり病気かもしれません。だって、胸が、胸がこんなにも苦しい……」
そのまま、俺はそっと目を閉じた。
体調が悪くなってから、しばらく自宅で様子をみていたけど一向に状態に改善が見られなかったため、今日入院となったのだけど……俺の想像以上にその容体は悪かった。
三歳だというのに、まるで乳児のように体が小さくて、苦しそうに呼吸を繰り返す胸郭の動きだけがやたらと目立つ。体全体が蒼白く、沙羅ちゃんの小さな体にはたくさんの管がついていた。
「担当医の水瀬葵です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
俺に向かって丁寧に頭を下げる両親は、俺と同じ年位に見えた。
入院にももう慣れっこなのだろう。特に慌てる様子もなく、淡々と手続きを行っていた。
「こんにちは。私も水瀬君をサポート致しますので」
「あ、成宮先生。よろしくお願いします」
それでも成宮先生の顔を見た瞬間、沙羅ちゃんの両親の顔がパッと明るくなる。
成宮先生を信頼していることが、それだけでも伝わってきた。
「絶対に元気にしてあげるからね」
俺は、その光景を見て、身が引き締まる思いがした。
しかし、想像以上に沙羅ちゃんの容体は深刻だった。
どんなに薬を調整しても、点滴を工夫しても、沙羅ちゃんの血液データはガタガタのままだ。そして、日に日に状態は悪くなっている。
「どうしたらいいんだよ……」
俺は頭を抱えて低い唸り声を上げる。
「このままじゃ沙羅ちゃんが……仕方ない、行くか」
意を決して俺は、ある場所に向かった。
「失礼します。成宮先生、ちょっとよろしいですか?」
「あぁ?入れば?」
気怠い声が聞こえてきたから、俺はそっとドアを開ける。
薄暗い医局の中には、パソコンを真剣な顔で見つめている成宮先生がいた。
疲れているのか、前髪をクシャクシャと搔き上げる……そんな姿も、悔しい位様になっていた。
「あの、沙羅ちゃんのことなんですが……」
俺は最新の検査データを成宮先生に渡す。
「んー?」
それに目を通した成宮先生が、気の抜けたような顔で俺を見上げた。
「お前にしては頑張ってるんじゃん?」
「え? でも……全然良くなってないんです」
「仕方ないよ。沙羅ちゃんはいつ急変してもおかしくない状態だ。それは、ご両親も了承してる」
「そんな……」
さらりと言ってのける成宮先生に、俺は顔を引き攣らせた。
「今のお前は医師としての冷静さが欠けてる。そんなんじゃ駄目だろ? 沙羅ちゃんはお前にとって患者であって、家族じゃない。それに、お前は医師であって神様でもない。それを吐き違えると、医師として失格だぞ?」
「何もそんな言い方しなくても……」
俺は怒りのあまり、全身がカタカタ震えてくるのを感じる。
あまりにも冷たい成宮先生の態度に、怒りすら感じてい
たのだ。
「俺はただ、沙羅ちゃんに元気になって欲しくて……」
「元気になれないこともある」
「でも、でも……!!」
「もうみんなが十分に頑張ってる。これ以上やりようがない」
「そんな……」
「わかったら出て行け。仕事の邪魔だ」
その言葉がトドメだった。
俺の目からは涙あボロボロと溢れ出し、頬を伝う。それがバレないように、慌てて涙を拭って部屋を後にした。
「成宮先生ならどうにかしてくれると思ったのに……」
全身の力が抜けているのを感じた俺は、その場に蹲る。
自分の無力さと、成宮先生に相手にさえしてもらえなかったことが、悔しくて仕方なかった。
◇◆◇◆
それからの俺は、寝る暇さえも惜しんで、沙羅ちゃんの病気に関する論文や、文献を読み漁った。
なんとか沙羅ちゃんを元気にしてあげたい。だって俺は、沙羅ちゃんの主治医だから。
「駄目だ、どうにもなんない」
睡眠時間を削り、休憩もろくに取らずに調べ事に没頭して俺には、既に限界がきていた。
フラフラと眩暈はするし、頭がボーッとして思考がまとまらない。寝不足のせいか、目の下にはクマができて、顔は蒼白かった。
それでも、毎日沙羅ちゃんを見舞いに来ては、優しく話かける母親を見ると、俺の胸はギュッと締め付けられる。なんとかしてあげたい……そして、また振り出へしと戻ってしまうのだ。
「お願い生きて……」
俺は祈ることしかできなかった。
「お疲れ様です、水瀬先生」
「あ、お疲れ様です」
「毎日夜遅くまで大変ですね?沙羅ちゃんのことですか?」
「はい、そうです」
夜勤の看護師さんに声を掛けられ、俺は思わず顔を上げた。
時計を見ればもう夜の十一時だ。
「そろそろ帰ろうかな」
重い体に鞭を打って立ち上がろうとした俺に、看護師さんが話しかけてくる。
「成宮先生も、夜遅くまで沙羅ちゃんの病室にいますよね?」
「え? そうんですか?」
「はい。色々勉強されているみたいだし、この前は国際電話かな? 英語でどこかのお医者さんとお話してましたし」
「…………」
俺はその言葉に思わず目を見開いた。
成宮先生が……俺、そんなの全然知らなかった。
「成宮先生も、何とか沙羅ちゃんを助けてあげたいって、必死に頑張ってくれてますよね。そんな姿が、本当にかっこいいです!」
頬を赤らめながら照れくさそうに笑う看護師さんは、きっと成宮先生のことが好きなのかな……って思う。
「今日もまだ、心臓外科の病棟にいるみたいですよ。沙羅ちゃん、心臓も悪いから」
「そうなんですね……」
「水瀬先生も、できるだけ早く帰って休んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
俺はフラフラと廊下を歩く。
廊下の冷たい風が火照った頬を冷やしてくれてとても気持ちいい。遠くでなっているナースコールが、ひどく遠い世界に感じた。
「成宮先生、沙羅ちゃんのこと、見捨ててたわけじゃなかったんだ」
ポツリ呟く。
「なのに、酷い事言っちゃったな……」
鼻の奥がツンとなって、目頭が熱くなる。
「ごめんなさい」
でも、意地っ張りな俺は、素直に先生に謝ることなんて……できそうになかった。
医局に戻っても部屋の中は薄暗くて、成宮先生の荷物は置きっぱなしだ。まだ、成宮先生は帰っていない。
きっと、紗羅ちゃんのことを色々調べていてくれているんだろう。
俺は大きな溜息をつきながら、ソファーに座る。
「必死な素振りなんか全然見せなかったくせに、かっこ良過ぎでしょ……」
その時、俺の心臓がまたトクントクンと甘く高鳴り出す。
「俺の為でもあるのかな……」
そう考えると、胸がキュッと締め付けられた。
「先生、ごめんななさい」
ソファーに横になると強い睡魔に襲われる。
「先生……俺、やっぱり病気かもしれません。だって、胸が、胸がこんなにも苦しい……」
そのまま、俺はそっと目を閉じた。