「水瀬、この子を担当してみな」
「え?僕が、ですか?」
「ああ。そろそろ患者を持ってもいい頃だからな」


 その言葉に俺は目を見開いた。
 研修医になって初めて、担当の患者さんを持たせて貰えた俺は、すごく嬉しかった。
 それは、俺が医師として成長した証にも感じられたし、何より……成宮先生に認められたような気がして嬉しかったのだ。
 それに、その子からしてみたら、俺は『主治医』となる。
「主治医かぁ」
 きっと、医師としての大きな一歩を踏み出すことができる。
 俺の胸は高鳴った。


「ただ、ちょっと難しいケースかもしれない」
「え?そうなんですか?」
「この子は先天性の疾患を持っていて、今までも入退院を繰り返している」
「はい……」
「名前は蓮田紗羅(はすださら)ちゃん。三歳」
「三歳、ですか」
「ああ。今回は非常に危険な状態だ。もしかしたら、命に関わるかもしれない」


 その成宮先生の言葉に、俺は目を見開いた。
 そんな重症な患者を、俺が受け持つことができるのだろうか。


「お前が受け持ってやれ」
「なんでこんな重症な子を、俺が?」
 自分の手がカタカタと小刻みに震えるのを感じる。
 三歳の幼い命が自分に委ねられるなんて、俺はそれが強いプレッシャーっとなった。
「誕生日がお前と同じなんだよ」
「え?」
「誕生日がさ、お前と同じ七月七日なんだ」
「…………」
「なんか、そういうの運命なんかなって」


 成宮先生が、紗羅ちゃんのカルテを俺の前に置く。先生が指さした所には、紗羅ちゃんの生年月日が書いてあった。
「あ、本当だ。俺と誕生日が同じだ」
 ポツリ呟く。
「大丈夫だ。俺がサポートしてやるし、全部お前に任せっきりなんかしないから」
「成宮先生」
「だから、やれるだけやってみな?」
 そう言うと、成宮先生はどこかに行ってしまう。
 俺は、その背中を見つめた。


「なんで、成宮先生は俺の誕生日を知ってるんだろう」
 俺の心臓が、再び甘い不整脈を奏で始めた。
 
◇◆◇◆

「あ、いた!柏木(かしわぎ)!」
「水瀬、久し振り……って、わっ!」
 俺は大学の同級である柏木比呂(かしわぎひろ)の腕を掴み、物陰へと引きずり込んだ。
「なんだよ、水瀬。一体どうしたんだ?」
 突然の俺の不可解な行動に、柏木が眉を顰める。
「内科病棟にいる柏木に、相談があるんだ」
「え? 何? 相談って……」
 俺が泣きそうな顔をしたらしく、柏木が俺の顔を覗き込んできた。
 柏木はやんちゃな感じに見えるけど、本当は凄く真面目でいい奴だ。
 俺の一番の親友、と言ってもいい。


「俺、何かの病気かもしれない」
「病気?」
「うん」
 俺は柏木の腕をギュッと掴んだまま、俯いた。
「水瀬、落ち着いて。俺にちゃんと話してくれよ」
 俺は俯いたまま、コクンと頷く。それから、ポツリポツリと話し始めた。


「俺さ、時々不整脈みたいな感じになって、呼吸が苦しくなるんだ」
「マジか? どんな時にその症状が出るんだ?」
「それが、ある特定の人の傍にいるとそうなっちゃうんだよ 」
「は?」
 柏木が目を見開く。
「その人、普段はめちゃくちゃ素っ気ないのに、ふとした時に優しくて……そんな時に、心臓がドキドキして、息ができなくなる」
「お前、それって……」
「多分、俺何かの病気だと思う。なぁ、どうしたらいいと思う? 検査とかしたほうがいいかな?」
「水瀬、本当に勘弁してくれって……」
「え?」


 柏木が苦笑いをしながら大きな溜息を付くものだから、俺はますます不安になってしまう。
「その病気はな、いくら検査したって原因はわからないし、どんな薬を飲んだって治らないよ」
「そんな……不治の病ってこと?」
「そう。人間がこの世に生を受けてから、ずっと続いている不治の病だ」
「俺は、どうしたらいいんだろう……」
 俺は、柏木の言葉に肩を落としてしまう。
 ようやく研修医になれたばかりなのに、不治の病だなんて……そんな……。


 そんな俺を見て、柏木がククッと喉の奥で笑いながら、肩を叩いてくれる。
「まぁさ、その人にお前のその症状を話してみたら? 何とかしてくれるかもしれないぜ?」
「え? 成宮先生なら治せるの?」
「は? お前がそうなる相手って、あの小児科病棟の若きエース、成宮先生なの?」
「うん。そう」
「それはそれは……随分と高嶺の花に……」
 柏木が、『ご愁傷様』と言わんばかりに顔を顰めた。


「とりあえずさ、成宮先生に素直に話してみなよ? 案外、あの人なら治してくれるかもよ?」
「そっか、わかった。成宮先生に相談してみるね。ありがとう、柏木」
 俺が柏木に向かってニッコリ微笑めば、
「いやあ、お前があの人をね……そもそもお前、ノンケだろうに……」
「ん? 何か言った?」
「ううん、何でもない。とにかくお大事にね」


 ヒラヒラと手を振りながら微笑む柏木を見て、俺は『友達っていいな』と心の底から思ったのだった。