「よし、今日は早く帰って雪だるまを作るぞ」
俺は残っている仕事を片付けてしまおうと、大きく伸びをする。
あの後、結局夕ご飯を積んだ配膳車が来るまで雪を眺めていたから、仕事が全然片付いていない。でも、そんなものは残業をしたっていいし、家でやってもいい。
俺は、杏ちゃんと澪ちゃんと雪を見られたことがとても嬉しかったのだ。
「水瀬先生、お疲れ様です。雪積もりそうですね」
「あ、伊織《いおり》君。体調はどうですか?」
「最近は天気が安定しないから体が強張ってしまっているけど、まずまず元気です」
「そっか、それはよかった」
歩行器を押しながら俺に声をかけてきてくれたのは、中学二年生の町田伊織《まちだいおり》君だった。
伊織君は筋肉を動かす神経が障害されることで、全身の筋肉が少しずつ衰弱していく難病と闘っている。
入院してきたときには一人で歩けていたのに、今は歩行器や杖などを使わないと歩くことが難しくなってきてしまっていた。
少しずつ衰弱していっているにも拘らず、伊織君は泣きごとなんて言わずに毎日リハビリを頑張っている。そんな頑張り屋さんの伊織君を、俺は年下なのにとても尊敬していた。
今回は検査目的で入院しているのだけれど、そんな伊織君に素敵な出来事があったようだ。
数日前、顔を真っ赤にしながらその出来事の報告を受けた俺は、自分のことのように嬉しかったのを覚えている。
「俺、自分の足で歩いて桜を見に行くことが目標だったんですけど、なんとかそれが叶いそうです」
「うん。今くらい歩ければ病院の敷地内の桜なら十分見に行けるね」
「はい」
嬉しそうに笑う伊織君はとても素直で優しい子だ。思わず頭を撫でてやった。
「それに、琴葉《ことは》も一緒に行けるかなって……」
「ん? 琴葉ちゃんと一緒に行きたいの?」
「はい……多分、これが初めてのデートになると思うから……」
「そっかぁ。伊織君、リハビリ凄く頑張ってたもんなぁ」
「琴葉と桜を見に行きたくて、俺リハビリをめちゃくちゃ頑張ってます」
照れくさそうに笑う伊織君の表情は、とても生き生きとしている。俺まで釣られて笑ってしまった。
琴葉ちゃんは伊織君と同じ難病と闘病中の女の子だ。年は伊織君の一歳上。今回の入院で知り合った二人は、つい最近恋人同士になったとのことだ。
伊織君が、そんな報告を俺にしてくれたことも、信頼してくれている証のように感じられて嬉しかった。
なにより、こんなにも苦しい闘病生活を送る二人に、心の支えができたこともよかったな、って思う。
だから俺は、二人のことをそっと見守っているのだ。
「琴葉は歩けないから、俺が琴葉の車椅子を押して行こうと思ってます」
「いいね! 楽しそうだ」
「はい。桜が咲くのが楽しみです」
「でも、今日は雪が降っているから。春になるのはもう少し先かもしれないね」
「本当ですね。でも最近風から春の香りがするんです」
「あ、それ凄くわかるよ!」
俺は伊織君と顔を見合わせて笑う。
筋力が徐々に低下している琴葉ちゃんは、最近歩くことが大変になってきてしまい、車椅子に乗っている。
そんな琴葉ちゃんの車椅子を伊織君が推して、病棟内を散歩している姿を最近よく目にするようになった。
俺は医師なのに、二人の病気を治してあげることができない。あのスーパードクターである成宮先生でさえ、治すことができないのだ。
そんな現実が俺は悔しくて、歯痒くて仕方がない。
だから、二人で桜を見たいという願いくらい、叶えてやりたいって思った。
「もし桜を見に行くときには、水瀬先生と成宮先生がついてきてくれませんか?」
「え? 俺と成宮先生で?」
「はい」
伊織君が嬉しそうに笑う。
でもなんで俺と成宮先生なんだろう……俺だけじゃ頼りないのかなぁ……。
俺は顎に手を当てて考え込んでしまった。
「だって、ダブルデートになるじゃないですか? 俺、前からダブルデートに憧れてたんですよ」
「へ? ダブルデート?」
伊織君の言葉が理解できず、俺は首を傾げる。
「俺と琴葉、それに水瀬先生と成宮先生」
「は? それってどういうこと……?」
俺の背中を冷たいものがサッと流れていく。手先から体温が消えていき、動悸がするくらい心臓が波打った。
もしかして、俺たちの関係がバレたんじゃ……。
「ふふっ。だって水瀬先生と成宮先生も仲がいいから、皆で出掛けたらダブルデートみたいじゃないですか?」
「あぁ、そういうことね……」
「想像しただけでも楽しそう!」
目をキラキラと輝かせる伊織君を見て、俺はそっと胸を撫で下ろす。
よかった……俺たちのことがバレてるわけじゃなかったんだ……。
緊張の糸が切れそうになった俺は、思わずその場に崩れ落ちそうになったのを必死に堪えた。
「約束ですよ、先生」
「うん、わかった。成宮先生にもお願いしとくね」
「よろしくお願いします」
ヒラヒラと手を振りながら部屋へと戻っていく伊織君を見送る。
「マジでびっくりした……」
まだ心臓がドキドキしてうるさいくらいだ。
でも、俺にはまた一つ大切な約束ができたのだった。
後日、成宮先生にダブルデートのお願いをしたところ、
「はぁ!? ダブルデート⁉ なんだその腐った言葉は……寒気がする……」
と、散々悪態をついた。
しかしダブルデート当日は「みんなでお花見なんて、本当に嬉しいです」と満開に咲き乱れる桜よりも麗しい笑顔を覗かせていたのだった。
雪と桜……病棟の子供たちは、色々な思いを抱きながら移り変わる景色を眺めている。
そんな色鮮やかな四季を、一緒に過ごしていきたいって俺は思うんだ。
窓の外を見ると、雪はまだやむ気配なんてない。
病院の明かりに照らされた雪は、キラキラと光ってとても綺麗だ。
「よし、仕事を片付けて雪だるまを作るぞ!」
俺はもう一度気合を入れ直して、ナースステーションへと向かったのだった。



