「なんかさ、水瀬って月下美人みたいだよな」
「月下美人? それって花ですよね?」
今度は俺が首を傾げる番だった。
俺と花。明らかに違うフィールドに存在するものだ。俺が花のわけがない。
「だって、月下美人は一晩で花が散ってしまう。お前だって、もうすぐ俺の前から姿を消しちまうだろう? そんで、次に職場で会った時には上司と部下だ」
「……え? それってどういう意味……」
「帰るなよ。一緒にいろよ。なぁ、水瀬……」
「え? 成宮先生、聞こえない……」
成宮先生が照れくさそうに言葉を紡いだ瞬間、強い風が吹いてその言葉が掻き消されてしまう。
普段飄々としている成宮先生のこんな表情を見たことがなかった俺は、その言葉を知りたくて、咄嗟に成宮先生の腕を掴んでしまった。
「今、なんて言ったんですか?」
「なんでもねぇ」
「教えてください」
「嫌だ」
結局、悪戯な風のせいで、成宮先生が俺に何を言いたかったのかはわからなかった。
成宮先生は悔しがる俺に向い「べぇ」と舌を出して見せるけれど、その頬は林檎のように赤い。
伸びた髪がサラサラと成宮先生の整った顔にかかり、それを煩わしそうに掻き上げる仕草も悔しいくらい様になっていて……俺は泣きたくなってしまった。
なんでこんなに好きになっちゃったんだろう……。
心が締め付けられるように痛む。俺は俯いたまま、溢れ出してくる涙が零れ落ちないよう、唇を噛み締めた。
「お前が月下美人ならさ……俺はお前を照らしてやりたい」
切なそうに、でもどこか幸せそうにはにかむ成宮先生に、余裕のない俺は、気付くことさえできなかった。
冷たい夜風からは、春の匂いがする。
時の流れは早くて、もう三月だ。成宮先生、もうすぐ寒い冬が終わりますね。
「今日は半月なんだね」
公園に植えられている梅の花が、一つまた一つと咲き始め、桜の蕾が膨らんでいた。
昼間は温かい日もあるのに、夜になると途端に冷え込んでくる。三寒四温とはよく言ったものだ。
でも確かに春はすぐそこまで近付いてきている。
今日も飽きもせず、成宮先生の部屋のベランダから夜空を眺める。いつもみたいに膝を抱えて。
俺の心にもいつか春が来るんだろうか……と不安になってしまった。
空には星が瞬いていて、ビルの明かりがまるで宝石のようにきらきらと輝いて見える。
その全てが、まるで自分のもののように思えてくるから不思議だ。
そして、そんな光景の中で一際目を引く月。
月って本当に凄いと思う。
こんなにも広い世界を、あんなに淡い光で照らし出すのだから。そんな月を眺めていたら、何だか眠たくなってきた。
「餅米は蒸かせたかい? 満月になっちゃうぞ」
月にいる兎に話しかけてみたけど、余程満月に向けての準備が忙しいらしく、返事は返って来なかった。
「無視すんなよ、泣きたくなるじゃん」
俺はゴロンと床に寝転んだ。床のヒンヤリとした感覚と、適度な硬さが心地良い。
そのままそっと目を閉じる。
成宮先生に怒られたら帰ればいいや。「明日も仕事なんだから」と俺を叱責するのであれば、俺も素直に部下へと戻ろう……そんな覚悟はできていた。
あー、今日も仕事で疲れなぁ。
そんなことを考えているうちに、少しずつ意識が遠退いていった。
「だから風邪ひくって言ってんじゃん」
夢現に、誰かに抱き寄せられた気がした。
真夜中にふと目を冷ますと、温かい何かに包まれていて……無意識にそれに頬擦りをした。
「……ん?」
ふと目を覚ますと、目の前にはこの世のものとは思えない程の美青年がいる。俺は驚愕してしまい、言葉を失ってしまった。
なんだ、このシチュエーションは……。
全身の血が、一斉に引いていくのを感じた。
俺は成宮先生に腕枕をされていて、一つの毛布に二人でくるまって眠ってしまっていたようだ。予想もしていなかった展開に、俺はひどく狼狽えてしまう。
ドキドキとうるさいくらいに鳴り響く心音が、鼓膜に響いてうるさくて仕方がない。
一体どうすればいいんだ……⁉ 俺は静かにパニックを起こしてしまった。
「なぁ、水瀬」
ふと名前を呼ばれたから、俺は慌てて顔を上げた。
「成宮先生、起きてたんですか?」
「うーん、今目が覚めた」
視線の先には、照れくさそうに笑う成宮先生がいた。
本当は、口から心臓が飛び出るんじゃないかっていうくらい緊張しているくせに、それを悟られたくなくて平然を装う。
俺は、精一杯強がった。
だって、この思いがバレてしまったら、俺はこうしてこの人の傍にいられなくなってしまうから。
だから、絶対気付かれたらいけないんだ。
「お前、俺のこと好きだろ?」
「好き……?」
「そう、恋愛的な意味で」
今度こそ心臓が止まるかと思った。それでも俺は、ポーカーフェイスを貫くこうと足掻き続ける。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか?」
「へぇ、否定するんだ?」
成宮先生が意地悪く口角を吊り上げた。
「当り前です。俺は、成宮先生のことを上司以上には思っていませんから」
「そっか。でも、こうやってくっついているのは嫌じゃないんだな?」
「だ、だって、今日は寒いから……」
「ふふっ。そうか。でも水瀬が傍にいるとあったかいよ」
今俺に言える最高の言い訳をした後、成宮先生の胸に顔を埋めた。そんなことをしたら嫌がられるかな、って少しだけ不安だったけれど……拒絶はされない。
勘のいいこの人に、これ以上色々詮索されるのが怖くて仕方がない。
だから、この想いがバレないように、静かに呼吸を整えた。



