総合病院の玄関から出て、自転車置き場へと行く。
以前から担当していた脳性麻痺の女の子の下肢の筋緊張を落とすための手術が、この病院で先月行われた。
退院後もしばらくは骨盤まで支えるような装具を着用することになるのだが、初めて扱うものなので装着方法やリハビリをする上で気をつけなくてはいけないポジショニングなどを総合病院のPTに教わりに行っていたのだ。もともと働いていた場所で、その子の担当PTもお世話になっていた先輩なので、こういうときに遠慮なく勉強させてもらえるのは有難い。
――元気そうで良かったな。
俺を見て『せんせー』と笑ってくれた幼い顔を思い出して顔が少しほころぶ。術後しばらくは泣いて泣いて大変だったとお母さんが言っていたが、それに見合うだけの効果があげられるようにしていかなければと思う。
自転車の鍵を外した後、スマホをバッグから取り出して何も連絡などが入っていないことを確認する。時間が読めなかったので、今日はこの後は訪問リハの予定は入れていない。代わりに溜めているペーパーワークをまとめてやっつけるつもりだ。
「あ!」
今日は涼しくて気持ちいいな、と思いながらハンドルを持って駐輪場から出たところで後ろから声がして何気なく振り向く。
「あ」
思わずこちらも声を出してしまったものの、どうすればいいのか分からず、とりあえず頭を下げる。
「あの、シュートさんですよね?」
下の名前を突然呼ばれ「あ、そうです」とちょっとびっくりしながら答えると、目の前で真田さんは「こんにちは」と言ってぺこっと頭を下げた。
「あ、こんにちは。えっと、真田さん、ですよね」
「はい、そうです」
「そういえば、ここで調理の仕事をされてるんでしたっけ」
「はい」
仕事が終わって帰るところなのだろう、と動きやすそうな格好をしている真田さんを改めて見る。
剛士がいないところで会うのは初めてのことだった。
剛士から、真田さんに俺たちのことを話したというのは聞いている。そして、真田さんがそれを当たり前のように受け入れてくれたことで、他の人にもカミングアウトしようと思うようになったということも。
「シュートさんはお仕事ですか」
「そうです。僕、理学療法士なんですけど、担当してる子のリハビリの見学をしに行ってきて」
「そうなんですね」
それ以上話すこともないまま変な沈黙が流れ、俺がぎこちなく「じゃあ」と挨拶をして自転車に乗ろうとすると「あの」と呼び止められる。
「はい?」
「矢島さんから、お引越しをするって聞きました」
「そうですね、今月末に予定しています」
「もうすぐですね」
「はい」
剛士と真田さんは、二週間ほど前にまた一緒にお昼ご飯を食べにいっている。
そこで俺とうまくいったことを話したら、真田さんからも実はいい感じになってる人がいると報告を受けたのだそうだ。
『だから、二人きりではもう会えないって言われてさ』
剛士は少し残念そうだった。
『まあでも、柊人が誤解したみたいに、真田さんも相手の人に誤解されたら困るしね。仕方ないかな』
そうだな、と答えながら俺も少しだけ残念な気持ちにはなった。剛士にとって、これがいい出会いだったと言うことはよく分かっていたから。
「剛士が……矢島が、真田さんとこの先一緒に食事に行ったりできないことを残念がってました。引っ越したらコンビニでも会えないですしね」
そう言った俺の前で、真田さんが「私も残念です。矢島さんと話すのすごく楽しかったので」と笑顔を作る。
しかし、その顔はなぜか少しだけ泣きそうにも見えて、思わずじっと見てしまう。
「あの、それで」
そんな俺の視線を避けるように、真田さんは少しうつむいて続けた。
「余計なお世話だとは思うんですけど、矢島さんはシュートさんのことをたぶん矢島さんが自覚している以上に好きなんだと思います。コンビニでシュートさんを待ってたときとか、シュートさんの話をしてたときとか、本当になんていうか、男の人なのに可愛くて」
思い出したように微笑むその顔は、やはり今にも泣き出しそうで。
「だから、大事にしてあげてください」
「……はい」
「すみませんでした、帰ろうとしているのに呼び止めてしまって。じゃあ、失礼します」
そう言って再びお辞儀をした真田さんが、すぐに背を向けて自分の自転車のほうへ向かうのを少しだけ見送って、俺は秋晴れの空の下、自転車をこぎ出す。
剛士は、何も知らないままでいいだろう。真田さんが泣きそうになっていた意味も、俺にあんなことを頼んできた意味も。
真田さんだって、きっと気持ちを知られたいとは思っていないからこそ、剛士にもう会えないと言ったのだろうから。
俺たちのことを応援してくれていたのは本当だろうけど、実際に剛士と二人で会って話して、思った以上に剛士に惹かれてしまったのかもしれない。
行動は理性でどうにかできるけと、気持ちだけはコントロールできないものだし。
赤信号で自転車を停め、空を見上げるとイワシ雲が広がっていた。
今日の夕飯は魚にしようかな。秋刀魚のかば焼きとかいいかもしれない。
最近では、主菜と副菜は俺が作るが、ご飯とみそ汁とサラダは剛士が用意してくれるようになっている。
最初こそみそ汁を煮立たせすぎたり、味付けが濃かったり薄かったり、戻された乾燥わかめが器からあふれかえっていたり、輪切りにしたはずのキュウリが見事につながっていたりとしていたが、一か月もしないうちに問題なく作れるようになった。
少しずつ、そうやって自分でできることを増やしたいという剛士を見ていても、前のように自分の存在意義に疑問を感じることはない。それに、さっきのようなことがあっても不安を感じることもない。
自分が剛士を好きで剛士が自分のことを好きだという、単純なその事実が、驚くほど俺の気持ちを落ち着かせてくれているからだ。
付き合いだして十一年。
俺たちは、やっと本当の意味で恋人になれたのだと、そう思う。
*
「今度、女性誌でも記事を書くことになってさ」
夜、秋刀魚のかば焼きを食べながら、剛士がそう話しだした。
「前に猫雑誌で書いた記事を、林さんが仲がいい女性誌の担当の編集者さんに読ませて勧めてくれたんだって」
「へー。良かったな」
「女性誌なんて俺には無理だって思ってたんだけど、まあせっかくだしチャレンジしてみようかなって」
「なんについての記事書くの」
「クリスマスに読みたいロマンチックな小説十選だって」
「なるほどな」
まだ世の中は十月になったばかりだが、そう思うと、クリスマスも意外とすぐなんだなと思う。
猫雑誌のほうも、来年の一月からの連載が決まったのだそうだ。剛士の仕事の幅もこれからさらに広がっていくのかもしれない。
剛士が運ばれた病院で命に別状はないと告げられたあと、林さんが『あいつはまだまだこれから面白くなっていくところだから、こんなところで終わられても困るしな』とほっとしたように言っていたのを思い出す。
剛士の仕事の客観的な評価を聞いたことがなかった俺が、実際剛士ってライターとしてどうなんですか、と訊ねたところ、林さんはうーん、と首を傾げながら答えてくれた。
『そうだな。もともと粗削りだけど面白い文章を書いてたところから、今はテクニックが身についた代わりに少し守りに入ってる感じになってて。でも、やっぱり視点とか個性的で面白いし、もっと自分らしさを出して文章で遊べるようになっていけば、矢島はライターとしてさらに伸びるし、人気も出ると思うよ』と。
自分には、文章の良し悪しとかはよく分からないが、でも、先日猫雑誌で書いた記事を読ませてもらったところ、なんというのか、読みやすさはもちろんのこと、猫への温かい眼差しやユーモアも感じられて、純粋に読んでいて楽しかった。
こんな普段仕事以外で文字を読むことはあまりない自分でも楽しめるような文章を書けるというのは、やっぱりすごいことなのだろう。
「そういえばさ、見本として送られてきた今月号のその女性誌で」
剛士がふと思い出したように箸をおいて、座卓の前から立ち上がり、パソコン椅子に座っている囲碁を撫でながらデスクの上の雑誌を手に取る。
「インテリア特集やってたんだけど、その中に猫を飼ってる人がいて」
付箋のついているページを開いて渡してくるのを、自分も箸を置いて受け取る。
「キャットウォークをさ、後付けできる柱と板を使って壁に作ってんの。これなら賃貸でもできるかなって思ったんだけど。どう?」
「あー、いいかもな」
「棚を組み合わせるのだとどうしても限界があるしさ。高さも自由に調整できるし、よくない?」
「確かに」
剛士が見せてくれた雑誌の中では、猫が壁に取り付けられた板の上でおすまし顔をしていた。
それを見ながら思わず口元を緩ませると「なに?」と剛士が聞いてくる。
「剛士がこんなふうに囲碁のこと考えてくれるなんて嬉しいな、って思ってさ」
「囲碁が来たときはライバル視してたのにな」
「そうなん?」
「柊人を取られたって思ってたし。最初会ったとき、俺はお前の飼い主の恋人だからもっと愛想よくしろってマウント取ったの覚えてる」
「可愛いこと言ってたんだな。うちのダーリンは」
そう言って笑うと、剛士も「無視されて終わったけどな」と笑う。
剛士が好きだと言ってくれた日、真田さんに勝手にばらしてごめんな、という剛士に、実は職場でとっくに自分たちのことをばらしていて、でも一応匿名にしていたところ、みんなから剛士は「ダーリン」と呼ばれるようになっているという事実を伝えたところ「ダーリンって!」と大笑いしていた。
そこから、たまにこうやってダーリン呼ばわりしているわけだが、剛士も特に気にならないようで普通に受け入れているのが面白い。
「そんなダーリンの今日の仕事は?」
「納期が迫ってるのはないんだけど、記事にするロマンチックな小説をこれから読まないといけない」
「また編集部の人が選んでくれたの?」
「うん、3冊だけ参考に挙げてもらって、あとの7冊は自分で選ぶことにした。だから今日はとりあえずその3冊を読んで、明日ショッピングセンターの本屋にでも行って良さそうなのを探してこようかなって」
「あ、ショッピングセンター行くならさ、俺のフリース買ってきてよ。去年のやつ、袖のところが擦り切れちゃって」
「あー、いいけど。何色がいいの」
「俺に合いそうなのならなんでもいいよ。でも仕事で着るから無地のやつにしておいて」
「うーん、柊人ならやっぱグレーかな。でも赤もけっこう似合うよな」
俺を見ながらそう言った剛士が「なるほど」と突然呟く。
「なに?」
「俺さ、なんで柊人がいっつも俺に似合う服を選べるんだろうって不思議だったんだけど」
「うん」
「俺も、自分に似合う色はよく分かんないけど、お前に似合う色はすぐに思いつくわ」
そして剛士は笑顔になって続けた。
「好きな相手のことはよく見てるから分かるんだな、きっと」
無邪気にそう言ってサラダを食べ始めた剛士を見て、とりあえずご飯を食べ終わったら仕事の邪魔にならない程度に撫で繰り回そうと決めた俺は、自分もサラダに手を伸ばした。
以前から担当していた脳性麻痺の女の子の下肢の筋緊張を落とすための手術が、この病院で先月行われた。
退院後もしばらくは骨盤まで支えるような装具を着用することになるのだが、初めて扱うものなので装着方法やリハビリをする上で気をつけなくてはいけないポジショニングなどを総合病院のPTに教わりに行っていたのだ。もともと働いていた場所で、その子の担当PTもお世話になっていた先輩なので、こういうときに遠慮なく勉強させてもらえるのは有難い。
――元気そうで良かったな。
俺を見て『せんせー』と笑ってくれた幼い顔を思い出して顔が少しほころぶ。術後しばらくは泣いて泣いて大変だったとお母さんが言っていたが、それに見合うだけの効果があげられるようにしていかなければと思う。
自転車の鍵を外した後、スマホをバッグから取り出して何も連絡などが入っていないことを確認する。時間が読めなかったので、今日はこの後は訪問リハの予定は入れていない。代わりに溜めているペーパーワークをまとめてやっつけるつもりだ。
「あ!」
今日は涼しくて気持ちいいな、と思いながらハンドルを持って駐輪場から出たところで後ろから声がして何気なく振り向く。
「あ」
思わずこちらも声を出してしまったものの、どうすればいいのか分からず、とりあえず頭を下げる。
「あの、シュートさんですよね?」
下の名前を突然呼ばれ「あ、そうです」とちょっとびっくりしながら答えると、目の前で真田さんは「こんにちは」と言ってぺこっと頭を下げた。
「あ、こんにちは。えっと、真田さん、ですよね」
「はい、そうです」
「そういえば、ここで調理の仕事をされてるんでしたっけ」
「はい」
仕事が終わって帰るところなのだろう、と動きやすそうな格好をしている真田さんを改めて見る。
剛士がいないところで会うのは初めてのことだった。
剛士から、真田さんに俺たちのことを話したというのは聞いている。そして、真田さんがそれを当たり前のように受け入れてくれたことで、他の人にもカミングアウトしようと思うようになったということも。
「シュートさんはお仕事ですか」
「そうです。僕、理学療法士なんですけど、担当してる子のリハビリの見学をしに行ってきて」
「そうなんですね」
それ以上話すこともないまま変な沈黙が流れ、俺がぎこちなく「じゃあ」と挨拶をして自転車に乗ろうとすると「あの」と呼び止められる。
「はい?」
「矢島さんから、お引越しをするって聞きました」
「そうですね、今月末に予定しています」
「もうすぐですね」
「はい」
剛士と真田さんは、二週間ほど前にまた一緒にお昼ご飯を食べにいっている。
そこで俺とうまくいったことを話したら、真田さんからも実はいい感じになってる人がいると報告を受けたのだそうだ。
『だから、二人きりではもう会えないって言われてさ』
剛士は少し残念そうだった。
『まあでも、柊人が誤解したみたいに、真田さんも相手の人に誤解されたら困るしね。仕方ないかな』
そうだな、と答えながら俺も少しだけ残念な気持ちにはなった。剛士にとって、これがいい出会いだったと言うことはよく分かっていたから。
「剛士が……矢島が、真田さんとこの先一緒に食事に行ったりできないことを残念がってました。引っ越したらコンビニでも会えないですしね」
そう言った俺の前で、真田さんが「私も残念です。矢島さんと話すのすごく楽しかったので」と笑顔を作る。
しかし、その顔はなぜか少しだけ泣きそうにも見えて、思わずじっと見てしまう。
「あの、それで」
そんな俺の視線を避けるように、真田さんは少しうつむいて続けた。
「余計なお世話だとは思うんですけど、矢島さんはシュートさんのことをたぶん矢島さんが自覚している以上に好きなんだと思います。コンビニでシュートさんを待ってたときとか、シュートさんの話をしてたときとか、本当になんていうか、男の人なのに可愛くて」
思い出したように微笑むその顔は、やはり今にも泣き出しそうで。
「だから、大事にしてあげてください」
「……はい」
「すみませんでした、帰ろうとしているのに呼び止めてしまって。じゃあ、失礼します」
そう言って再びお辞儀をした真田さんが、すぐに背を向けて自分の自転車のほうへ向かうのを少しだけ見送って、俺は秋晴れの空の下、自転車をこぎ出す。
剛士は、何も知らないままでいいだろう。真田さんが泣きそうになっていた意味も、俺にあんなことを頼んできた意味も。
真田さんだって、きっと気持ちを知られたいとは思っていないからこそ、剛士にもう会えないと言ったのだろうから。
俺たちのことを応援してくれていたのは本当だろうけど、実際に剛士と二人で会って話して、思った以上に剛士に惹かれてしまったのかもしれない。
行動は理性でどうにかできるけと、気持ちだけはコントロールできないものだし。
赤信号で自転車を停め、空を見上げるとイワシ雲が広がっていた。
今日の夕飯は魚にしようかな。秋刀魚のかば焼きとかいいかもしれない。
最近では、主菜と副菜は俺が作るが、ご飯とみそ汁とサラダは剛士が用意してくれるようになっている。
最初こそみそ汁を煮立たせすぎたり、味付けが濃かったり薄かったり、戻された乾燥わかめが器からあふれかえっていたり、輪切りにしたはずのキュウリが見事につながっていたりとしていたが、一か月もしないうちに問題なく作れるようになった。
少しずつ、そうやって自分でできることを増やしたいという剛士を見ていても、前のように自分の存在意義に疑問を感じることはない。それに、さっきのようなことがあっても不安を感じることもない。
自分が剛士を好きで剛士が自分のことを好きだという、単純なその事実が、驚くほど俺の気持ちを落ち着かせてくれているからだ。
付き合いだして十一年。
俺たちは、やっと本当の意味で恋人になれたのだと、そう思う。
*
「今度、女性誌でも記事を書くことになってさ」
夜、秋刀魚のかば焼きを食べながら、剛士がそう話しだした。
「前に猫雑誌で書いた記事を、林さんが仲がいい女性誌の担当の編集者さんに読ませて勧めてくれたんだって」
「へー。良かったな」
「女性誌なんて俺には無理だって思ってたんだけど、まあせっかくだしチャレンジしてみようかなって」
「なんについての記事書くの」
「クリスマスに読みたいロマンチックな小説十選だって」
「なるほどな」
まだ世の中は十月になったばかりだが、そう思うと、クリスマスも意外とすぐなんだなと思う。
猫雑誌のほうも、来年の一月からの連載が決まったのだそうだ。剛士の仕事の幅もこれからさらに広がっていくのかもしれない。
剛士が運ばれた病院で命に別状はないと告げられたあと、林さんが『あいつはまだまだこれから面白くなっていくところだから、こんなところで終わられても困るしな』とほっとしたように言っていたのを思い出す。
剛士の仕事の客観的な評価を聞いたことがなかった俺が、実際剛士ってライターとしてどうなんですか、と訊ねたところ、林さんはうーん、と首を傾げながら答えてくれた。
『そうだな。もともと粗削りだけど面白い文章を書いてたところから、今はテクニックが身についた代わりに少し守りに入ってる感じになってて。でも、やっぱり視点とか個性的で面白いし、もっと自分らしさを出して文章で遊べるようになっていけば、矢島はライターとしてさらに伸びるし、人気も出ると思うよ』と。
自分には、文章の良し悪しとかはよく分からないが、でも、先日猫雑誌で書いた記事を読ませてもらったところ、なんというのか、読みやすさはもちろんのこと、猫への温かい眼差しやユーモアも感じられて、純粋に読んでいて楽しかった。
こんな普段仕事以外で文字を読むことはあまりない自分でも楽しめるような文章を書けるというのは、やっぱりすごいことなのだろう。
「そういえばさ、見本として送られてきた今月号のその女性誌で」
剛士がふと思い出したように箸をおいて、座卓の前から立ち上がり、パソコン椅子に座っている囲碁を撫でながらデスクの上の雑誌を手に取る。
「インテリア特集やってたんだけど、その中に猫を飼ってる人がいて」
付箋のついているページを開いて渡してくるのを、自分も箸を置いて受け取る。
「キャットウォークをさ、後付けできる柱と板を使って壁に作ってんの。これなら賃貸でもできるかなって思ったんだけど。どう?」
「あー、いいかもな」
「棚を組み合わせるのだとどうしても限界があるしさ。高さも自由に調整できるし、よくない?」
「確かに」
剛士が見せてくれた雑誌の中では、猫が壁に取り付けられた板の上でおすまし顔をしていた。
それを見ながら思わず口元を緩ませると「なに?」と剛士が聞いてくる。
「剛士がこんなふうに囲碁のこと考えてくれるなんて嬉しいな、って思ってさ」
「囲碁が来たときはライバル視してたのにな」
「そうなん?」
「柊人を取られたって思ってたし。最初会ったとき、俺はお前の飼い主の恋人だからもっと愛想よくしろってマウント取ったの覚えてる」
「可愛いこと言ってたんだな。うちのダーリンは」
そう言って笑うと、剛士も「無視されて終わったけどな」と笑う。
剛士が好きだと言ってくれた日、真田さんに勝手にばらしてごめんな、という剛士に、実は職場でとっくに自分たちのことをばらしていて、でも一応匿名にしていたところ、みんなから剛士は「ダーリン」と呼ばれるようになっているという事実を伝えたところ「ダーリンって!」と大笑いしていた。
そこから、たまにこうやってダーリン呼ばわりしているわけだが、剛士も特に気にならないようで普通に受け入れているのが面白い。
「そんなダーリンの今日の仕事は?」
「納期が迫ってるのはないんだけど、記事にするロマンチックな小説をこれから読まないといけない」
「また編集部の人が選んでくれたの?」
「うん、3冊だけ参考に挙げてもらって、あとの7冊は自分で選ぶことにした。だから今日はとりあえずその3冊を読んで、明日ショッピングセンターの本屋にでも行って良さそうなのを探してこようかなって」
「あ、ショッピングセンター行くならさ、俺のフリース買ってきてよ。去年のやつ、袖のところが擦り切れちゃって」
「あー、いいけど。何色がいいの」
「俺に合いそうなのならなんでもいいよ。でも仕事で着るから無地のやつにしておいて」
「うーん、柊人ならやっぱグレーかな。でも赤もけっこう似合うよな」
俺を見ながらそう言った剛士が「なるほど」と突然呟く。
「なに?」
「俺さ、なんで柊人がいっつも俺に似合う服を選べるんだろうって不思議だったんだけど」
「うん」
「俺も、自分に似合う色はよく分かんないけど、お前に似合う色はすぐに思いつくわ」
そして剛士は笑顔になって続けた。
「好きな相手のことはよく見てるから分かるんだな、きっと」
無邪気にそう言ってサラダを食べ始めた剛士を見て、とりあえずご飯を食べ終わったら仕事の邪魔にならない程度に撫で繰り回そうと決めた俺は、自分もサラダに手を伸ばした。