「え、でも本当にそのシュートさん、でしたっけ。シュートさんは別れたがってるんですか? 直接そう言われたわけではないんですよね。家を出たいって言うだけで。それも新鮮な気持ちで付き合いたいとか、そういう理由があったりしたんじゃないですか」
「んーーーー、でも俺が金銭的に大丈夫になっただろうしっていう感じだったんで、実は前々から向こうは同情で一緒にいてくれただけだという可能性もあると思うんですよね」
「愛はないけど情はあるみたいな」
「まさにそれです」
「でも、この前、コンビニに一緒に来たときの雰囲気とか、いい感じだったと思うんだけどな~。ほら、うまくいってるカップルってなんかそういう雰囲気があるから。だから、私も矢島さんたちがうまくいったんだって思っちゃったところもあるし」
「すごい、そんなことも分かるんですか」
「なんとなーくですけどね」
 もし、俺たちにそういう雰囲気が出ていたとしたら、あの日バスで手をつないだからかもしれない。
 柊人に握られていた手の感触を思い出して少し照れくさいような気持になりながら、俺はまた口を開く。
「真田さんの勘があたってくれたらいいんですけどね。実際は、ここ二年くらいマンネリで、俺も一緒にいるのが当たり前で、そのことを大切に思えなくなってたから、結果としてこんな微妙な関係になっちゃってるんですけど」
「私なんて、前の彼氏とは二年くらいしか付き合ってないのにマンネリで自然消滅しちゃいましたよ」
「あ、そうだったんですか」
「はい。だから、マンネリになってたところから、相手のために努力しようと思えるだけで、すごいと思います。それだけ、シュートさんのこと好きってことですよね」
「なんかもう、自分の気持ちが好きなのかなんなのかよく分かんないんですよね。でも、やっぱり一緒にいたいのは柊人なんで頑張りたいなって」
 そう言って、俺が最後のカルボナーラを口に入れると、真田さんがニコニコする。
「やっぱり矢島さんって可愛いですね」
「え、そうですか」
「うん、なんか純粋っていうか。シュートさんに振られたら、私が彼女に立候補してもいいですか?」
「え」
「冗談です、きっと振られることもないと思いますし。せっかくなので、もう一個いいこと教えてあげます。矢島さん、コンビニに来てた時も、毎日来るわけじゃなかったですよね」
「あぁ、はい。恋愛ではあんまり追いかけすぎるのも良くないって聞いたので」
「そうやって矢島さんが来ないときにシュートさんがいつものバスで帰ってくると、降りた後に必ず、ちょっと立ち止まってきょろきょろしたりコンビニのほう見たりしてたんですよね。それで、矢島さんがいないのが分かると少し残念そうな感じで帰っていって。シュートさんも、矢島さんが待っててくれるの、期待してたみたいだったな」
 最終的には、コンビニのご飯ばっかり食べるなって叱られたし、本当に待っていてほしいと思っていたのかはちょっと疑問だが、もしそうだとしたらそれは嬉しいと思う。
「そうだったんですね」
「見ていると、なんかお互い片想いしてるみたいでした。初々しさも満点で。それなのにまさかそんなに長く一緒にいるとは思わなかったですね」
「あー、でも、長く一緒にいるからこそ、素直になれなかったりするところもあるんで、そんな距離感になっちゃったりするんですかね」
「今さら好きとか言えないみたいな」
「そう」
「それは分かるかも~私も二年しか一緒にいなくても、最後の方好きとか逆に照れて言えなかったし」
「あ、じゃあ次は真田さんの恋愛話もぜひ参考に聞きたいです」
「なんの参考にもならないと思いますよ?」
 真田さんはそう笑いながらも、過去の恋愛話を教えてくれた
 そこから俺たちは、真田さんがコンビニに出勤する時間が来るまで、ファミレスでドリンクバーをお替りしながらいろいろと話し続けた。
 おすすめの本や漫画、よく聞いてる音楽、囲碁のこと、若い女の子たちの間で最近の流行っていること、そしてまたお互いの恋愛と、話題は尽きることがなかった。真田さんがよく話してくれたからというのもあるだろう。
「矢島さんってすごい聞き上手だから私ばっかり喋っちゃって、なんかすみませんでした」
 コンビニの前で別れるとき、真田さんは照れたように笑った。
「いや俺にしてはかなり喋ったほうだと思います。それに、俺って本のことしか知らないような感じだから、いろんな話を聞けて面白かったです。今流行ってるものとか、知らないものばっかりだったし」
「矢島さんって、あんまり流行りとかに左右されなさそうですもんね」
「ただ単に流行りを知らないだけなんですよね」
「私なんて流行りにすぐのりたくなっちゃうんで、なんかミーハーで逆にちょっと恥ずかしいかも」
「あ、でも、流行りにのれる人って、いろんなものを楽しそうとか面白そうとか素直に思える高い感受性だとかポジティブさがある人だと思うんですよね。だから自分みたいな人間からみるとすごく素敵だと思います」
「そう言ってもらえると、流行りに乗るのも悪くないかもですね! じゃあ、こんな会話で良ければ、またぜひ誘ってください。楽しかったです」
「こちらこそ。ぜひまた話聞かせてください」
「私の方も、シュートさんのこと、力になれるかは分かりませんけど、いつでも話聞きますから」
 そう言って真田さんは笑顔で手を振って、コンビニへと入っていき、それを見送った俺も自宅へと足を向けた。
 改めて、柊人との関係を人に初めて話してしまったことを思って、気持ちが高揚するのを感じる。
 自分たちの関係は、自分たちだけが分かっていればいいと思っていたけど、人から受け入れてもらえるというのは、想像以上に嬉しいものだった。
 もしかしたら俺は、この十年以上、自分で自分たちを否定していたのかもしれない。それは、つまり柊人を否定していたことにもつながるだろう。
 柊人は、一度も俺のことを誰にも言いたくないと口にしたことはない。俺が言いたくないというのに「分かるよ」と同意してくれていただけだ。
 もし俺が「剛士と付き合ってること、誰にも言いたくない」と柊人に何度も言われたとしたらどう思うだろう。俺はそんな恥ずかしい存在なのかと思ったりはしないだろうか。
 そういうところも、柊人が俺から離れようとした原因の一つなのかもしれないと思った俺は、ちょっとだけため息をつく。
 かっこよくて、優しくて、真っすぐで、仕事も頑張っていて、料理も得意で、そんな柊人と恋人同士であることは俺にとって恥なわけがないのに。
「自慢してもいいくらいだよな」
 そう呟きながら、昨日の夜、真田さんとの食事楽しんで来いよと優しく笑った柊人の顔にふと触れたくなったことを思い出す。
 相変わらず、そんな自分の気持ちをはっきりと表わせる言葉は見つからないけど、一緒に夜空を見たいと思ったり、意味もなく触れたいと思ったり、こういう名前の無い気持ちの集合体が「恋」であったり「好き」であったりするのかもしれない。
 だとすれば、初恋をこじらせているわけではなく、執着しているわけでもなく、俺は柊人に、現在進行形で「恋」をしていて「好き」だってことなんだろう。
 空を見上げると、青空に今にも溶けてしまいそうな頼りなげな上弦の月が見えていた。
 はっきりとは見えないけど、でも月は確かにそこにある。
 それはどこか、自分の恋心のようでもあった。
 


 毎年夏には実家に三日ほど帰ることにしている。
 いつもは柊人の休みに合わせて一緒に帰っているのだが、今年は交代で囲碁の面倒を見ようということで、こっちが一足先に帰ることとなった。
 その帰省の途中、都内を通るついでに編集部にも顔を出しておこうとビルの中を歩いていると、後ろから「矢島さん」と肩を叩かれた。
 振り返ると、そこには和田さんが笑顔で立っていた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは。先日の記事ありがとうございました。メールでも書きましたけど、すごくなんというか読みやすくて楽しい記事でした。本の内容もすっきりまとまっていたし、出てくる猫ちゃんの魅力も伝わって。さすがです」
「ありがとうございます。俺も、けっこううまく書けたなって思ってたんです」
 俺がそう答えると、和田さんが「素直!」と笑った。
「他の編集部員も、紹介されてる本が読みたくなるねって言っていましたし、実際雑誌が発売されて読者の反応を見ないとなんとも言えませんけど、本当にうちの雑誌で連載をお願いすることになるかもしれないので、ぜひ枠をあけておいてくださいね」
「そうなったら有難いですね。もちろん枠は開けておくので、いつでも声かけてください」
「あれ、来ないと思ったら和田につかまってたんか」
 また後ろから声がかかる。林さんだ。
「そう、この前書いていただいた記事がすごく良かったので、お礼を言ってました」
「それは良かったな。矢島の文章どう思った?」
「文芸誌のときとはまた違う、すごく読みやすい文章で書いてくださって、プロだなって思いましたね」
「あ、良かったです」
「おー、じゃあ読んでみないとな。そういう文章も書けるなら、他にも書いてほしいって雑誌も出てくるかもしんねーし。よし、んじゃ下の喫茶店いくか」
「はい」
「あ、私もちょうど休憩入ろうと思ってたんで一緒にいいですか?矢島さんとはこれからもお付き合い続きそうな気がするし」
「もちろんです」
「お前、自分の分は自分で払えよ」
「分かってますよ!」
 わいわいと言い合う林さんと和田さんの会話を笑って聞きながら、ビルの一階に入っている喫茶店へと三人で向かう。
「そういや、あれどうなった?」
エレベーターに乗ったところで聞かれて「あれって?」と聞き返すと「あのコンビニの子」と言われる。
「あぁ、この前一緒に昼ご飯食べてきました」
「え!」
「やるな。そんで?」
「そんでって、えっとまたお互い都合があったときに話そうってことで、今はたまにメッセージでやりとりしてる感じですね」
「いい感じじゃないですか」
「思い切って誘ってみてよかっただろー?」
「そうですね」
 エレベーターを降りると、目の前が喫茶店だ。
 打ち合わせをしている雰囲気のグループがいくつかある中、四人掛けの席に座って、三人ともコーヒーと日替わりケーキのセットを注文する。一分もしないうちに届いたそれらを口にしながら、また林さんが口を開いた。
「で、その子とは付き合えそうなのか?」
「いやいや、全然そういうのじゃなくて。むしろ、まあ、この前言ってた、初恋の相手ですか、その人とのことを相談させてもらった感じですね」
「えー? だってその初恋の人って会う予定ないんですよね?」
「んーと、すみません、ちょっとまだいろいろ事情があってはっきりとは言えないんですけど、実は会えるところにいるんですよね」
「え、そうなんですか?」
「なんだよ。じゃあその人を口説けばいいだろ」
「そうなんですけど、そう簡単にはいかないというか。まあ、またはっきりしたら報告します」
 っていうか、別に報告する義務もない気もするが、話の流れ上、このままというわけにもいかなさそうだし、それに、柊人とのことを話すにはちょうどいい距離感にいる人たちかもしれないと思う。直接柊人に会うこともないし、別に俺が同性愛者だとしても、仕事は仕事として割り切ってくれるはずだ。
 柊人とちゃんと恋人同士に戻って、そして柊人に俺たちの関係を人に話してもいいか確認して、そうしたら話そう。真田さんにはフライングして話してしまったけど、あの場合向こうが気づいていたんだから、そこは許してもらうしかない。
「まあはっきりすると言っても、うまくいくとは限らないんですけどね。でも、うまくいくように頑張っているところなので」
「お前、大丈夫なのか?」
「言えないようなお相手ってことですよね?」
「え?」
 俺の話を聞いていた二人がなんか深刻そうな顔になっていて、どうしたんだろうと思ったところで、林さんが声を潜めて話し出す。
「不倫は、お前にはむかないと思うな」
「私もそう思います。相手の方に騙されたりしてませんか。美人局ってことも」
「いやいやいやいや」
 俺は慌てて顔の前で手を振る。
「不倫じゃないですよ! そういうのじゃないんです。ほんと、次にお会いするときには話せる状況になっているように頑張りますんで」
「大丈夫か? そんなに初恋にこだわらなくても、他に目を向けてもいいと思うんだけどなぁ」
「あ、でもやっぱりその人が、自分がこの先一緒にいたい相手だって思うので、その気持ちを大事にしたいと思うんです。正直、その、執着じゃないかって言われるとはっきりとは否定できないんですけど。でもいくら想像してみても、他の人っていうのは考えられないからしょうがないかなって」
 林さんと和田さんが顔を見合わせる前でコーヒーを飲む。
「あのさ、矢島」
「はい」
 なんと言われても、俺の気持ちは変わらないぞ、と意気込んで返事をすると林さんが少し困ったような顔をする。
「あのさ。ストーカーもダメだぞ?」
「いやいやいや。俺にストーカーする度胸なんてないですって」
 思わず苦笑する。まあ、見方によってはコンビニに通っていた俺はストーカーみたいだったかもしれないけど。
「ただ、どのタイミングで相手に好きなことを伝えるか、そこをちょっと悩んでるんです。それに、好きな人に好きだって素直に言うのが難しいことも実感中で。でも、ちゃんと言えるように頑張ります」
「矢島さん、私、その初恋の人とうまくいくように祈ってますので、うまくいった暁にはその純愛ストーリーを聞かせてください。なんか萌えるの間違いなしな気がする」
「あ、うまくいったらぜひ」
 俺が笑顔で答えるのに林さんが「とりあえず魔法使いになる前にどうにかしろよ」とフォークを向けて言った。