ソファーの上で、スピーッという鼻息を立てながら寝ている囲碁を眺める。
猫の寝息って意外とうるさいよな。
そして、聞いているとこちらの眠気も誘ってくるのが困る。
手元にあるコーヒーを飲んで、軽く頭を振って眠気を追い払うと、再びパソコンに向かって映し出されている文章を読みつつ、ときどきキーボードをたたく。
猫についての本や漫画は、編集部が選んだだけのことはあって、どれも読み応えがあって面白かった。現在は、とりあえず文字数をあまり気にせずそれらについてざっと書き上げた記事を推敲しつつ、不必要な部分を削ったり、細かな表記ゆれをチェックしたりしているところである。
もちろん編集部の方で校正はしてくれるが、そこをできるだけ少なくするというのも、ライターとして使ってもらうためには必要な技術の一つだ。
――勢いで書き上げた割に、悪くないな。
自分で読み返しながらそう思う。
文芸誌ではないので、比較的平易な表現を使って書くことは意識したが、それだけでなく文章の流れなどが、なんというか軽やかだ。
書いているときの、気分みたいなものがやっぱり文章にも出るのだろう。
ちらっとパソコンの下に表示されている時間を見る。
あと一時間もすれば柊人が来る。それまでに半分は終わらせようと、俺は少しだけ緩んだ口元を引き締めてまたモニターに映し出された文字を目で追い始めた。
*
俺の文章が軽やかなのは、復縁大作戦が今のところ順調に進んでいるというのが大きく影響しているのだろうと思う。
やっぱり顔をよく合わせるようになったのが良かったのかもしれないし、髪の毛を切ってイメチェンしたのも、どうやら効果があったようだ。
囲碁のことも預かって役にたってるはずだし、ご飯のときのミラーリングは今も欠かしていない。
この前一緒に出掛けたときにも『楽しかった。誘ってくれてありがとね』と感謝をちゃんと伝えたら『また行こうな』と笑ってくれたし。
柊人の方から腕枕して一緒にうたた寝してくれたり、バスの中で手をつないでくれたりもしたし、あと、なんか最近前よりも俺に興味を持ってくれて、話をよく聞いてくれる気がするし、うまくいけばこのまま、また恋人らしい関係性に戻っていけるのかもしれないという希望が出てきた。
林さんに言われた、好きなわけじゃなく執着しているだけなんじゃないか、ということについての答えはまだ出ていないけど、でも、こうして一緒にいられることに幸せを感じられるのであれば、恋だろうが執着だろうが、どちらでもいいのではないかという気もする。
例えば、田山花袋の「蒲団」に描かれた中年作家の持っていた感情は、恋だったのかそれとも執着だったのか。
気持ち悪い、と評されることもある話だが、例えば主人公の立場が逆であったらどうだろうと思う。若い女性が布団に残された中年作家の匂いを恋しく思う。しかも二人は一線を越えることなく踏みとどまっている。そうなれば、美しい恋ともなり得る話だったのではないかと考えたことがある。
つまり、恋と執着はそれを与える側と受け取る側の立場や関係性やそんなもので分けられる物であって、根本は大して変わらないのではないだろうか。
まあ、そうは言ってもあんなふうに、所有物のように扱われた女弟子のほうはたまらないだろうし、正しさをふりかざして、自分の勝手な思いを通そうとする主人公はどうかと思うけど。
ただ、「一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶」という一文がどうしようもなく自分と共鳴する部分があって、中年作家への憐れみの気持ちのほうが大きくなってしまう。
……なんの話だったか。
そう、恋と執着の話だ。
柊人と囲碁がとっくに帰っていった家の中、猫雑誌の原稿を仕上げ編集部に送った俺は、ソファーに寝転がったまま少しずつ動く月を眺め、とりとめもなく考えをめぐらせる。
そもそも、俺が柊人を好きになったのはいつだっただろう。
親友だと思っていた柊人に告白され、それまで恋というものを知らなかった自分は、正直戸惑った。
でも、誰かを好きになるという気持ちを俺で練習すればいい、という柊人の言葉にそういうことなら、と頷いたのだ。そこには、初めてできた親友をこんな形で失いたくないという気持ちもあった。
そう思えば、俺たちの関係がスタートしたときには、俺の中にあったのは恋心ではなく親友という存在に対する執着だったと言えるだろう。
で、それが恋になったのはいつか。
「……?」
さまざまなエピソードを思い出してみるが、恋になったきっかけがまったく思い浮かばず、あれ?となる。
でも、高二の物理の授業で自由落下を習ったときには恋している自覚があったというのがはっきりしているから、その間に何かあったのだろう。自由落下を習ったのがいつ頃だったかは定かでないけれども。
まあいいか。
俺はゆっくりと息を吐く。
いつから好きだったのかとか、自分の気持ちは本当に恋なのかとか、そんなことはとりあえずどうでもよくて。
大切なのは、今この瞬間、この月を見る自分の横に柊人がいたらいいのにと思う、名前もないそんな気持ちなのだろう。
*
「囲碁ちゃん可愛いねー! 囲碁ちゃん」
ベッドの上の囲碁に手を伸ばして完全に無視されているのは、柊人の同僚の宇崎さんである。
食事会ということで、柊人の作った夕飯を食べつつ缶の梅酒を二本飲んだだけだが、そこそこに酔っ払っていて、囲碁に無視されていることもまったく気にならないようだ。
「矢島さんには懐いてるんですか?」
「そうですね。今、昼間はうちで預かっているので。だいぶ懐いてきてくれました」
「囲碁ちゃんから近づいてきてくれるんですか?」
「けっこう頻繁に頭突きとかされます」
「頭突き!」
けらけらと宇崎さんが笑うのを、囲碁は耳を動かして聞いているようだが、顔はこちらに向けようとしない。
初めて囲碁に会ったときのことを思いだして、なんだか懐かしい気分になる。
「頭突きも愛情表現なんですね」
「そうみたいです。けっこう勢いがあるので、最初びっくりしましたけど」
「矢島さんは、もともと猫が好きなんですか?」
「いやー、柊人が囲碁を飼うまで猫と触れ合ったことがなかったので、今ようやく猫の面白さをいろいろ知りはじめたところです」
「そういえば、矢島さんも猫っぽいですよねぇ」
唐突な話題転換も、酔っ払いならではだ。
「そうですか?」
「こう、なんというか懐かせたくなります」
宇崎さんが笑いながらそう言ったところで「宇崎さん」と咎めるような声を柊人が出す。
「えーだって、矢島さん可愛いから」
「でも、猫って感じじゃないっすよ」
今度は阿藤くんがそんなことを言い出す。
「猫って言うより、うさぎ。なんか目元とか雰囲気とか」
「違う、剛士はオコジョ」
柊人も負けじと参戦する。
「どう見てもオコジョでしょ。猫でもうさぎでもないっす」
「あー、言われてみたらオコジョっぽい」
「ほんとだ。オコジョっすね」
「……」
ずいぶん前にも柊人にそんなこと言われたことがあったな、と思い出す。そんな可愛いものに例えられるのは図々しいと思われそうで恥ずかしいが、宇崎さんも阿藤くんもなぜか納得しているのでまあいいのかもしれない。
「じゃあうちの旦那はね~、カピバラに似てる」
「カピバラ!」
阿藤くんが笑う。
「宇崎さんもちょっとカピバラ味がある気がするんすけど」
「うち夫婦似てるねってよく言われるもん」
カピバラ夫婦なのか。想像して阿藤くんと一緒になってちょっと笑ってしまう。
「じゃあ阿藤くんの彼女は動物なら何に似てるの?」
「バンビバンビ。超可愛いやつ」
「絶対欲目でしょ?」
「マジですって。んで、俺はアルパカ」
「あんな可愛くないじゃない」
「あれ見たことありません?イケメンのアルパカの画像。あれ見たうちの彼女が、俺にそっくりって言ってて、確かにちょっと似てるんすよ」
「ふーん」
「うわ、興味なさそう」
「じゃあ、安田くんは?」
宇崎さんが相手をしてくれない囲碁のそばから立ち上がって、俺の部屋から持ってきた座卓のほうへ戻るのに一緒についていく。
「矢島さんはどう思います?」
「柊人を動物に例えるとですか……」
座卓の前に座りながらまじまじと隣に座る柊人を見ると、少し気まずそうな顔をされる。
「前に似てるなって思ったことがあるのは、カンガルーですかね」
「カンガルー!!」
宇崎さんがまたげらげらと笑う。お酒が入ると笑い上戸になるタイプだろうか。
「え、俺のことカンガルーに似てるって思ってたの?」
「いや、カンガルーって優しそうな顔してるけど、立ち上がるとけっこう背も高いし筋肉すごいし」
「あー、そう言えばテレビで見たことあるかも。なるほど、安田くん優しそうな顔してるけど、背が高いしけっこう筋肉あるし、そりゃカンガルーだわ」
「やっぱ、そんなとこがかっこいいとか思ったりするんすか?」
阿藤くんがそう聞いてきて「うん、まあ」と答える。
「背も筋肉も俺にはないから、いいなって思いますよね」
「へー」
「へぇぇ」
宇崎さんと阿藤くんが柊人を見て「なんすか!?」と柊人がなぜか軽く切れる。
「え、他に安田さんのいいところ教えてください。プラベではどんな感じっすか」
「おい阿藤」
「まあまあ、単なる好奇心っす」
無邪気にそう答える阿藤くんに俺もちょっと笑う。
「柊人のいいところですか……優しいところか、真面目なところとか、芯が通ってるところとか」
「あまり職場と変わんないっすね。じゃあ逆にダメなとこは?」
「ダメなとこ?」
「阿藤、お前覚えとけよ」
「安田さんのこと知りたいだけですって」
俺はじっと考える。柊人の悪いところ。
まさか、全然キスしてくれないとかそんなことを言えるわけはないし。
「……悪いと言うか、そうさせてる自分に問題があるとは思うんですけど、ちょっと過保護すぎるところですかね。実家の母と少し似てるんです」
「あー」
「なるほど」
「うざくなったりしません?」
「うざくなることはないですけど、やっぱ落ち込むことはありますね。俺そこまでダメかな、みたいな。まあ昔からよく天然だって言われるんで、やっぱり俺がダメなんでしょうけど」
「ダメじゃないですよ!」
突然宇崎さんに大きな声で言われてびっくりする。
「ダメじゃないですよ、矢島さん。今日、そんな長い時間ではないですけどお話させてもらって、やっぱり文筆業をされているだけあって、観察眼があるなと思いましたし、物腰も丁寧だし素敵な方だなと思います」
「あ、ありがとうございます」
「安田さーん、生きてますかー」
阿藤くんの声に隣を見ると、柊人が座卓に頭をつけて落ち込んでいた。
「俺……お母さんみたいって思われてたんだ……お前が、めっちゃ口うるさいって言ってたお母さんだろ」
「いや、まあなんというか少しね」
「俺、口うるさいの直せるように頑張るな……」
「頑張って」
「カンガルー母さん、応援してるんで」
宇崎さんと阿藤くんに励まされた柊人が「誰がカンガルー母さんじゃ!」と言って阿藤くんの脇腹を小突き、それを見ていた宇崎さんと俺は笑う。
本当は、口うるさいのも嫌いじゃない。それだけ俺に興味を持ってくれている証拠だから。
柊人の悪いところなんて一つもないし、好きじゃないところなんて一つもない。
そう素直に言えるようにこっちも頑張ろうと思いながら、炭酸がだいぶ抜けたビールの苦みを俺はゆっくりと味わった。
猫の寝息って意外とうるさいよな。
そして、聞いているとこちらの眠気も誘ってくるのが困る。
手元にあるコーヒーを飲んで、軽く頭を振って眠気を追い払うと、再びパソコンに向かって映し出されている文章を読みつつ、ときどきキーボードをたたく。
猫についての本や漫画は、編集部が選んだだけのことはあって、どれも読み応えがあって面白かった。現在は、とりあえず文字数をあまり気にせずそれらについてざっと書き上げた記事を推敲しつつ、不必要な部分を削ったり、細かな表記ゆれをチェックしたりしているところである。
もちろん編集部の方で校正はしてくれるが、そこをできるだけ少なくするというのも、ライターとして使ってもらうためには必要な技術の一つだ。
――勢いで書き上げた割に、悪くないな。
自分で読み返しながらそう思う。
文芸誌ではないので、比較的平易な表現を使って書くことは意識したが、それだけでなく文章の流れなどが、なんというか軽やかだ。
書いているときの、気分みたいなものがやっぱり文章にも出るのだろう。
ちらっとパソコンの下に表示されている時間を見る。
あと一時間もすれば柊人が来る。それまでに半分は終わらせようと、俺は少しだけ緩んだ口元を引き締めてまたモニターに映し出された文字を目で追い始めた。
*
俺の文章が軽やかなのは、復縁大作戦が今のところ順調に進んでいるというのが大きく影響しているのだろうと思う。
やっぱり顔をよく合わせるようになったのが良かったのかもしれないし、髪の毛を切ってイメチェンしたのも、どうやら効果があったようだ。
囲碁のことも預かって役にたってるはずだし、ご飯のときのミラーリングは今も欠かしていない。
この前一緒に出掛けたときにも『楽しかった。誘ってくれてありがとね』と感謝をちゃんと伝えたら『また行こうな』と笑ってくれたし。
柊人の方から腕枕して一緒にうたた寝してくれたり、バスの中で手をつないでくれたりもしたし、あと、なんか最近前よりも俺に興味を持ってくれて、話をよく聞いてくれる気がするし、うまくいけばこのまま、また恋人らしい関係性に戻っていけるのかもしれないという希望が出てきた。
林さんに言われた、好きなわけじゃなく執着しているだけなんじゃないか、ということについての答えはまだ出ていないけど、でも、こうして一緒にいられることに幸せを感じられるのであれば、恋だろうが執着だろうが、どちらでもいいのではないかという気もする。
例えば、田山花袋の「蒲団」に描かれた中年作家の持っていた感情は、恋だったのかそれとも執着だったのか。
気持ち悪い、と評されることもある話だが、例えば主人公の立場が逆であったらどうだろうと思う。若い女性が布団に残された中年作家の匂いを恋しく思う。しかも二人は一線を越えることなく踏みとどまっている。そうなれば、美しい恋ともなり得る話だったのではないかと考えたことがある。
つまり、恋と執着はそれを与える側と受け取る側の立場や関係性やそんなもので分けられる物であって、根本は大して変わらないのではないだろうか。
まあ、そうは言ってもあんなふうに、所有物のように扱われた女弟子のほうはたまらないだろうし、正しさをふりかざして、自分の勝手な思いを通そうとする主人公はどうかと思うけど。
ただ、「一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶」という一文がどうしようもなく自分と共鳴する部分があって、中年作家への憐れみの気持ちのほうが大きくなってしまう。
……なんの話だったか。
そう、恋と執着の話だ。
柊人と囲碁がとっくに帰っていった家の中、猫雑誌の原稿を仕上げ編集部に送った俺は、ソファーに寝転がったまま少しずつ動く月を眺め、とりとめもなく考えをめぐらせる。
そもそも、俺が柊人を好きになったのはいつだっただろう。
親友だと思っていた柊人に告白され、それまで恋というものを知らなかった自分は、正直戸惑った。
でも、誰かを好きになるという気持ちを俺で練習すればいい、という柊人の言葉にそういうことなら、と頷いたのだ。そこには、初めてできた親友をこんな形で失いたくないという気持ちもあった。
そう思えば、俺たちの関係がスタートしたときには、俺の中にあったのは恋心ではなく親友という存在に対する執着だったと言えるだろう。
で、それが恋になったのはいつか。
「……?」
さまざまなエピソードを思い出してみるが、恋になったきっかけがまったく思い浮かばず、あれ?となる。
でも、高二の物理の授業で自由落下を習ったときには恋している自覚があったというのがはっきりしているから、その間に何かあったのだろう。自由落下を習ったのがいつ頃だったかは定かでないけれども。
まあいいか。
俺はゆっくりと息を吐く。
いつから好きだったのかとか、自分の気持ちは本当に恋なのかとか、そんなことはとりあえずどうでもよくて。
大切なのは、今この瞬間、この月を見る自分の横に柊人がいたらいいのにと思う、名前もないそんな気持ちなのだろう。
*
「囲碁ちゃん可愛いねー! 囲碁ちゃん」
ベッドの上の囲碁に手を伸ばして完全に無視されているのは、柊人の同僚の宇崎さんである。
食事会ということで、柊人の作った夕飯を食べつつ缶の梅酒を二本飲んだだけだが、そこそこに酔っ払っていて、囲碁に無視されていることもまったく気にならないようだ。
「矢島さんには懐いてるんですか?」
「そうですね。今、昼間はうちで預かっているので。だいぶ懐いてきてくれました」
「囲碁ちゃんから近づいてきてくれるんですか?」
「けっこう頻繁に頭突きとかされます」
「頭突き!」
けらけらと宇崎さんが笑うのを、囲碁は耳を動かして聞いているようだが、顔はこちらに向けようとしない。
初めて囲碁に会ったときのことを思いだして、なんだか懐かしい気分になる。
「頭突きも愛情表現なんですね」
「そうみたいです。けっこう勢いがあるので、最初びっくりしましたけど」
「矢島さんは、もともと猫が好きなんですか?」
「いやー、柊人が囲碁を飼うまで猫と触れ合ったことがなかったので、今ようやく猫の面白さをいろいろ知りはじめたところです」
「そういえば、矢島さんも猫っぽいですよねぇ」
唐突な話題転換も、酔っ払いならではだ。
「そうですか?」
「こう、なんというか懐かせたくなります」
宇崎さんが笑いながらそう言ったところで「宇崎さん」と咎めるような声を柊人が出す。
「えーだって、矢島さん可愛いから」
「でも、猫って感じじゃないっすよ」
今度は阿藤くんがそんなことを言い出す。
「猫って言うより、うさぎ。なんか目元とか雰囲気とか」
「違う、剛士はオコジョ」
柊人も負けじと参戦する。
「どう見てもオコジョでしょ。猫でもうさぎでもないっす」
「あー、言われてみたらオコジョっぽい」
「ほんとだ。オコジョっすね」
「……」
ずいぶん前にも柊人にそんなこと言われたことがあったな、と思い出す。そんな可愛いものに例えられるのは図々しいと思われそうで恥ずかしいが、宇崎さんも阿藤くんもなぜか納得しているのでまあいいのかもしれない。
「じゃあうちの旦那はね~、カピバラに似てる」
「カピバラ!」
阿藤くんが笑う。
「宇崎さんもちょっとカピバラ味がある気がするんすけど」
「うち夫婦似てるねってよく言われるもん」
カピバラ夫婦なのか。想像して阿藤くんと一緒になってちょっと笑ってしまう。
「じゃあ阿藤くんの彼女は動物なら何に似てるの?」
「バンビバンビ。超可愛いやつ」
「絶対欲目でしょ?」
「マジですって。んで、俺はアルパカ」
「あんな可愛くないじゃない」
「あれ見たことありません?イケメンのアルパカの画像。あれ見たうちの彼女が、俺にそっくりって言ってて、確かにちょっと似てるんすよ」
「ふーん」
「うわ、興味なさそう」
「じゃあ、安田くんは?」
宇崎さんが相手をしてくれない囲碁のそばから立ち上がって、俺の部屋から持ってきた座卓のほうへ戻るのに一緒についていく。
「矢島さんはどう思います?」
「柊人を動物に例えるとですか……」
座卓の前に座りながらまじまじと隣に座る柊人を見ると、少し気まずそうな顔をされる。
「前に似てるなって思ったことがあるのは、カンガルーですかね」
「カンガルー!!」
宇崎さんがまたげらげらと笑う。お酒が入ると笑い上戸になるタイプだろうか。
「え、俺のことカンガルーに似てるって思ってたの?」
「いや、カンガルーって優しそうな顔してるけど、立ち上がるとけっこう背も高いし筋肉すごいし」
「あー、そう言えばテレビで見たことあるかも。なるほど、安田くん優しそうな顔してるけど、背が高いしけっこう筋肉あるし、そりゃカンガルーだわ」
「やっぱ、そんなとこがかっこいいとか思ったりするんすか?」
阿藤くんがそう聞いてきて「うん、まあ」と答える。
「背も筋肉も俺にはないから、いいなって思いますよね」
「へー」
「へぇぇ」
宇崎さんと阿藤くんが柊人を見て「なんすか!?」と柊人がなぜか軽く切れる。
「え、他に安田さんのいいところ教えてください。プラベではどんな感じっすか」
「おい阿藤」
「まあまあ、単なる好奇心っす」
無邪気にそう答える阿藤くんに俺もちょっと笑う。
「柊人のいいところですか……優しいところか、真面目なところとか、芯が通ってるところとか」
「あまり職場と変わんないっすね。じゃあ逆にダメなとこは?」
「ダメなとこ?」
「阿藤、お前覚えとけよ」
「安田さんのこと知りたいだけですって」
俺はじっと考える。柊人の悪いところ。
まさか、全然キスしてくれないとかそんなことを言えるわけはないし。
「……悪いと言うか、そうさせてる自分に問題があるとは思うんですけど、ちょっと過保護すぎるところですかね。実家の母と少し似てるんです」
「あー」
「なるほど」
「うざくなったりしません?」
「うざくなることはないですけど、やっぱ落ち込むことはありますね。俺そこまでダメかな、みたいな。まあ昔からよく天然だって言われるんで、やっぱり俺がダメなんでしょうけど」
「ダメじゃないですよ!」
突然宇崎さんに大きな声で言われてびっくりする。
「ダメじゃないですよ、矢島さん。今日、そんな長い時間ではないですけどお話させてもらって、やっぱり文筆業をされているだけあって、観察眼があるなと思いましたし、物腰も丁寧だし素敵な方だなと思います」
「あ、ありがとうございます」
「安田さーん、生きてますかー」
阿藤くんの声に隣を見ると、柊人が座卓に頭をつけて落ち込んでいた。
「俺……お母さんみたいって思われてたんだ……お前が、めっちゃ口うるさいって言ってたお母さんだろ」
「いや、まあなんというか少しね」
「俺、口うるさいの直せるように頑張るな……」
「頑張って」
「カンガルー母さん、応援してるんで」
宇崎さんと阿藤くんに励まされた柊人が「誰がカンガルー母さんじゃ!」と言って阿藤くんの脇腹を小突き、それを見ていた宇崎さんと俺は笑う。
本当は、口うるさいのも嫌いじゃない。それだけ俺に興味を持ってくれている証拠だから。
柊人の悪いところなんて一つもないし、好きじゃないところなんて一つもない。
そう素直に言えるようにこっちも頑張ろうと思いながら、炭酸がだいぶ抜けたビールの苦みを俺はゆっくりと味わった。