半年前までは大卒で入社した商社でOLとして働き、一人暮らしをしていたけれど、半年前の父の急逝で会社を退職して〈ホテルくまがや〉に帰ってきた。そしてホテルの経営を継ぎ、改装してテディベアに囲まれながら宿泊できる癒し系コンセプトホテルとしてリニューアルオープンしたのが〈ホテルTEDDY〉である。
 ホテルのリニューアルは大成功し、半年たった今も連日、観光客や家族連れで満室。旅行ガイドブック数誌にも掲載され、大々的に特集を組んでもらったこともある。ネットでのクチコミやSNSでの評判も上々だ。

 そして、小説家でもあるわたしは今回のアイデアを思いついたのだ。この〈ホテルTEDDY〉を舞台にして、実際に宿泊されたお客様にまつわる出来事を、小説という形で発表してみたらどうかと。もちろんプライバシーには十分配慮して、スタッフやお客様の名前はちょっと変えたりするけれど。
 つまり作家とホテルマン、二足のわらじで活動しているわたしにしか書けない小説を書いてみようと思ったのだ。


「――あ、オーナー。おはようございます」

 従業員用の駐輪場の前を通りかかると、被っていたフルフェイスヘルメットを取った若い男性に挨拶された。

「おはようございます。っていうかお帰りなさい、陸さん。バイクに乗ってどこまで?」

 彼こそが我がホテルの若きコンシェルジュ、高良陸さんだ。背負っている黒いリュックから、何やらガサゴソと茶色い紙袋を取り出した。

「お客様のご要望で、(こうじ)(まち)までパンを買いに。『どうしてもここの店のパンが食べたい』っておっしゃられたんで」

「……陸さん、それはご要望じゃなくて、ただのワガママだと思うなぁ。そんなことまでいちいち聞いてたら、あなたの身が持たないから。聞かなくていい要望は――」

「それでも聞くのが俺の仕事なんで。それよりオーナー、もうミーティング始まっちゃいますよ?」

 お説教を始めようとしたわたしを遮り、彼は冷静に返してきた。彼もミーティングにどうにか間に合わせようと、急いでバイクを飛ばしてきたらしい。

「あっ、そうだった! 行くよ、陸さん!」

 わたしは彼の手を引き、ヒールのパンプスを履いていることも忘れて本館のバックヤードへ向って走り出した。

 ――さて、今日はどんなお客様がこの〈ホテルTEDDY〉に来られるんだろう……?