今日は仕事がお休みだったはずの陸さんが、いつの間にかオフィスに入って来ていた。とはいえ、彼はここに頻繁に出入りしていることにはもう慣れっこなので、わたしは別に驚かない。

「テディベアの代金は経費で落としとくね。控えは陸さんが持ってて。当日受け取りに行ってほしいから」

「分かった。……あのさ、春陽ちゃん」

「ん? なに?」

 彼はわたしに何か言いかけたけれど、わたしが首を傾げると「……いや、何でも」とまたはぐらかす。

 ――『高良さんって絶対、オーナーのことが好きなんだよ』
 ふと、昨日の夕方志穂さんから言われたことが頭をよぎった。もし本当にそうだとしたら、陸さんのこの態度も腑に落ちるのだけれど……。

「……ねえ、陸さん。陸さんはどうしていつもわたしにそんなに優しいの?」

「俺は……あんたのお父さんが愛したこのホテルが好きだから。そしてこのホテルを一生懸命、自分なりに守ろうとしてるあんたのことも尊敬してる。その小さな体で小説を書きながら、二足のわらじでオーナーの仕事も頑張ってる春陽ちゃんのこと、すごく立派だと思ってる。俺は実家の、親父のやり方が気に食わなくてここに就職したから。自分の親を尊敬できるって当たり前のことじゃないと思うんだ」

「……そっか。でも、わたしが尊敬してるのはお父さんだけだよ。お母さんのことはまだ許せない」

 わたしの母は、わたしが高校二年生になる少し前に父と離婚した。陸さんがこのホテルに就職する前の話だ。他に好きな男の人ができたかららしいと父は言っていたけれど、本当の理由はまだ分かっていない。
 父はそれ以来、ホテルの経営を続けながら男手ひとつでわたしを大学に進ませてくれたけれど、無理が祟って半年前に帰らぬ人となってしまった。
 父の葬儀にも顔を出さなかった母を、わたしはまだ許していない。もし再会することがあったら、いくらでも言いたいことはある。

 今回、京香さんたち親子に感情移入しすぎたのは多分、あの元ご夫婦と自分の両親を重ね合わせていたせいもあると思うし、自覚もしている。
 
「――わたしのことはともかく、美優ちゃんがお父さんやお母さんのことを恨んでないといいけど」

 美優ちゃんがまた笑えるようになるには、やっぱり父親である駿さんの力が不可欠だとわたしは思っている。

「大丈夫だよ。そうならないために、俺たちが頑張るんだろ?」

「うん」

 どうか、あの親子三人が和解するためにも、この作戦がうまくいきますように……。