一

 しなやかな黒馬は、勝手に跳んだ。
 雷梧(らいご)は、慌てて手綱を握りしめる。
 大人用だから太いのは仕方ない。

 敵が、容赦なく火矢を放ってくる。
 あちこちで「唐」の国旗が燃えていた。
 静かな草原が、今日は人馬で埋め尽くされている。
 敵軍の、奇襲だった。
 自軍はあっという間に包囲され、多くの味方が殺されている。

 今し方、馬上の上官が矢に当たった。
 一兵卒の雷梧は、彼を助け下ろす手伝いで馬に乗ったのだ。
 全身が震える。
 ひどい初陣だ。
 鞍にしがみつきながら、雷梧は祈る。
 天よ。
 わずかでいいから、手を貸してください。
「小僧、いい馬だな。俺がもらおう」
 しかし、現れたのは敵将だった。金兜を被り、栗毛馬を駆る大男。長く伸ばした腕で、こちらを投げ落とそうとしている。
 落ちたら、なぶり殺しだ。
 雷梧の身体に、想像の激痛が走った。
 両手が震えてもつれる。それでも剣を抜き、無我夢中で振り上げた。
 途端に、生暖かい液が降った。見上げると、敵将が喉を押さえて睨んでいる。
 斬れてしまった。
 自分は、とんでもない事をしていないか。
 敵将が雷梧に倒れ込んできた。出血が夥しい。それを残し、栗毛馬は去っていく。
 雷梧は、大声で叫んだ。
 叫ばないと気が狂いそうだった。
 しかし、相手の軍も驚いている。
 どうやらこの男は将軍だったらしい。近づいて来た敵兵が、急に離れていく。
 今しかない。
 雷梧の恐怖が、さらっと流れた。
 男の金兜を引っつかみ、残った首の皮と頸椎を、必死で掻き切った。
 そしてその首を手に、馬首を返すと、味方を包囲している敵陣に突っ込んだ。厳重な隊列が、おののいて崩れていく。
 味方も反撃を始め、敵軍はついに退却した。