ごくごくありふれた、普通の見合いが進んでいく。
 自己紹介から始まり、趣味や好きな食べ物、休日は何をするかなど、何も心惹かれない表面上の会話。
 暁生(あきお)の興味はただひとつ、銀髪の巫女の存在だけだった。

「銀髪の巫女だなんて、紫明野(しめの)家にはおりませんよ。暁生様も面白いことをおっしゃいますね」
 暁生の問いに、黒留袖で口元を隠した母親が目を細めて答えた。だがその目には相手を見下すような、そんな色がうかがえた。
 紗和(さわ)と名乗った娘は一度だけ小さく頷き、視線をこちらに戻す。そして可愛らしく首を傾げ、「どうかなさいました?」とでも言いたげに微笑んだ。しかし彼女も母親同様、目の奥は笑っていない。
 父親は軽く咳払いをして、この場を取り繕おうとしていた。
 ──なるほど、何かあるな。
 やましい気持ちを隠した人間の行動はとてもわかりやすい。この家族、特に母娘はまさに典型だった。
 そのまま問いただしてもよかったかもしれないが、おそらく「いない」の堂々巡りだろう。それに、これ以上深追いしたら「何故それを知っているのか」と逆に問い詰められて面倒そうだ。
「そうでしたか。失礼いたしました、あやかしの幻覚でも見てしまったのかもしれませんね。最近は制御の効かないあやかしも多くて」
 暁生が頭に手を当てながら微笑むと、三人は安堵したかのような表情を浮かべ、その話題はすぐに終わった。

◆◆◆

「忌巫女さん、ちょっと来てくれないかしら?」
 小屋にやってきた一人の侍女が、腰に両手を当てながら結月を見下ろした。
 この屋敷で「結月」と名を呼ぶのは、紗和と義両親だけだ。侍従たちは結月のことを「忌巫女さん」と呼んでいた。
 幼少期から侍従たちに影で「忌み子の巫女様」と呼ばれていたのを結月は知っていた。忌み子とはいえ、巫女である以上は体裁で「様」を付けていたのだろう。
 だが両親が死んでしまったと同時に、その体裁もなくなってしまった。
 しかし、結月はそれでいいと思っている。
 紗和や義両親がわざわざ「結月」と名を呼ぶのは、決まって自分を蔑むとき。両親からもらった大事な名まで蔑まれているようで、彼女たちから自分の名を呼ばれるのは嫌だった。
 侍女はため息をつき、吐き捨てるように続ける。
「猫の手でも借りたいくらいなんだけど、そんなわけにはいかないでしょう? さすがの忌巫女さんでも、猫以上の働きはしてくれますよね?」
「承知しました」
 ふんっと鼻で笑う侍女に、結月は頭を下げて答えた。
「じゃあ、台所まで来てくださらない? ああ、でもその頭で来られては困るので、覆い布はしてきてくださいね」
 結月の銀髪をまじまじと見据えた侍女は、嫌味を込めた口調で一方的に言葉を発する。「早くしてくださいね」ときつく言い残し、小屋の扉を閉めた。

 御屋敷での結月の仕事は「巫女」ではなく「侍女」そのものであった。掃除に洗濯、食事の後片付けなど、本来ならば巫女のする仕事ではない。
 他に行く場所のなかった結月が、御屋敷に留まっているために行っていただけなのだ。
 だが、それも今日で終わる。両親との思い出が詰まったこの屋敷で過ごすのも、これが最後だ。
 結月は幼少期の記憶に思いを馳せつつ、急いで覆い布を頭に巻き台所へ向かった。

 台所はなかなかに悲惨な状態だった。
 下げ膳はそのまま乱雑に積まれ、流し台は様々な調理器具で埋め尽くされている。包丁の音や鍋を火にかける音、調理人たちの険のある指示が絶え間なく響き、まるで戦場のようだった。
 見合いにどれほどの品数が出されているのかは、容易に想像ができる。
「ちょっと! 突っ立ってないで洗い物してよ!」
 苛立った声が背後から聞こえた。
 ハッと振り返ると、鍋を抱えた先ほどとは別の侍女が眉間にシワを寄せてこちらを睨みつけていた。
「すみません、すぐに」
 頭を下げた結月は巫女服の袖にたすき掛けをし、手早くまとめあげる。
 忙しなく横を通り過ぎた侍女は、苛立ちをぶつけるように吐き捨てた。
「まったく、どうして巫女装束で来るのかしら。忌巫女であって、巫女じゃないのに」
 はっきりと聞こえたその言葉は、結月の尊厳を踏みにじるようなものだった。
 ──私だって……巫女よ。
 どんなに蔑まれても、忌み子と言われても、決して自分が巫女であることを否定しない。否定してしまったら、母の存在まで否定することになってしまう。
 その思いが、結月の巫女としての尊厳に繋がっていた。
 ──力がなくても、私はお母さんの娘なんだから。
 自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
 きゅっと唇を噛み締めて、流し台の中へ手を入れた。

◆◆◆

 暁生と紗和は庭園の中を並んで歩いていた。
「あとは若い二人で」とお決まりの台詞(せりふ)とともに彼女の両親が席を外してから、しばらく経つ。
 だが暁生は心ここに在らずといった様子で、庭の景色を眺めるばかりだった。
 ──大して興味もない女と何を話せというのか。
 紗和に向き合う気も起きず、池の中を泳ぐ鯉に視線を落とし続ける。
 
 一方で、紗和は緊張しながらもこの機を逃すまいと必死だった。
 相手は有名な一族の次期当主。なんとしてでも嫁いで、富と名声、そして寵愛(ちょうあい)を手に入れたかったのだ。
「暁生様のお写真は拝見していたのですが、それ以上にかっこよくて品があって……。お会いして、ますます惹かれてしまいました」
 紗和は顔を赤らめて、伏し目がちに言う。
 演技のつもりだったが、わずかに本気が混じった。
 ──こんないい男、私以外に似合う女なんているはずないわ!
 もともとは肩書きに惹かれていただけ。
 けれど、今は違う。
 ──彼のすべてを、私のものにしたい。
 目の前の彼に、どうしようもなく心を奪われている自分がいた。
 欲しいものは、すべて手に入った。
 誰からも愛され、「可愛い、可愛い」と言われて育ってきたのだ。美貌も、家柄も、巫女としての力も、じゅうぶんに持っている。だから、この世のすべては自分のものになる。
 そう信じて疑わなかった。
 ──絶対に、この人の花嫁になってみせる……!
 欲望にも似た決意を胸に、紗和はうるっと潤んだ瞳で上目遣いに彼を見つめた。
 その視線に気づいた暁生は、ふっと口元を緩める。
「ありがとうございます。紗和さんも、写真以上にお綺麗ですよ」
 にこりと微笑んだ彼の笑顔に胸が高鳴った。
 愛される自信はある。
 だが、焦りもあった。
 彼の視線は自分ではなく、どこか遠く、誰か別の女を想っているようだったからだ。
 ──どうすれば……!
 奥歯をきりと小さく噛み締めたとき、何かが地面を這うような音が微かに聞こえた。地震とも違う響き。
 それに連なって、池の水面もゆらゆらと揺れ始める。
「……なに!?」
 異様な音は次第に大きくなり、ついには屋敷全体にまで轟きだす。そして一瞬にして、屋敷が不気味な気配に(おお)われた。陽光が差し込んでいたはずの庭も暗闇に沈んでいく。
「なにが起きたの!?」

 紗和が戸惑いながら周囲を見回している隣で、暁生は腰にさしてる刀に手をかけていた。
 ──この気配……あやかし!
 静かに息を整え、微かな変化も見逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。
 突如として現れた禍々しい気配。
 幾度となくあやかしを消滅させてきた暁生でさえ、ここ数年で感じたことのない不気味さを察していた。その妖力に、自然と体に緊張が走る。
「暁生様!」
 藤仁(ふじひと)と護衛三人が駆けつけてきた。ただならぬ気配を感じているのは皆同じようだ。
「一体何が起きたんですか!?」
「わからん。急に屋敷が妖気に包まれた」
 暁生が気を引き締めろと声をかけると四人は頷き、すっと刀に手を添えた。
 屋敷の上から巨大な影が動く。
 その先に視線を向けると、屋根の上からあやかしがぬらりと姿を表した。
 黒光りする巨体は鋭い棘のような毛で覆われている。胴体に深い傷跡があるようで、そのからは皮膚のようなものが剥き出されていた。
 そこから鋭利に伸びている三本の手足。胴の右に一本と左に二本、釣り合いの取れていない手足は不穏さを(かも)しだす。
 そして敵を物色するように、ぎらりと四つの目が光った。
 ──土蜘蛛か!
 禍々しい妖気の正体に気がついた暁生は、さらに身構える。
 ──手足が八本揃っていない。手負いか? なぜここに?
 冷静さを欠いては勝てるものも勝てない。過去の経験から、沈着に今の状況を見定める。
 すぐに土蜘蛛が咆哮(ほうこう)した。
「我の手足と胴体を(ほふ)った二人はどこだ!?」