「俺はイタリアで生まれた。熟練の靴職人が厳選した皮で丹精込めて作ってくれた。だから、柔らかい履き心地を追求した最高の靴になった。俺は嬉しかった。こんなに素敵に生まれたことを心から感謝した。その職人の作る紳士靴は履き心地だけでなくデザインも優れていたので、俺の兄弟たちはイタリア中の紳士たちに愛され、宝物のように大事に扱われていた。当然、俺もそうなることを疑うことはなかった。最高の紳士が買い上げてくれる日を心待ちにしていたんだ。でも、その望みは無残にも散った」

 紳士靴は苦しそうに息を吐いた。
 
「ある日、脂ぎった中年の日本人男性が店に入ってきた。そいつは高いブランド物のスーツを身に着けていたが、それに似合う品格があるとは思えなかった。店の中でゲップを何回もしたんだ。それも臭いゲップを。店員は嫌そうな顔をした。早く出て行ってくれたらいいのに、というような表情だった。この店の靴はあなたが履く靴じゃないよ、と言いたそうだった。でも、その男は店の靴に興味を示した。そして、俺の前で立ち止まった。俺は恐怖に慄いた。まさか俺を買ったりするなよ、と念じてそいつを睨みつけた。しかし、構うことなく俺を手に取って、試し履きしたいと店員に言った。店員は仕方なさそうに頷いた。俺は抗えなかった。サイズが合わないでくれ! と祈ることしかできなかった。しかし、祈りは通じなかった。ピッタリだったんだ。まるで(あつら)えたように。俺は絶望の淵に落とされ、死にたくなった。しかし、どうしようもなかった。脂ぎった中年男に買われるのを甘受するしかなかった。なす術もなく、拉致されるように日本に連れて行かれた」

 紳士靴の顔は苦痛に歪んでいた。