ふ~、

 大きく息を吐くと同時にご主人が歩き出した。
 信号が青になったのだ。
 またせわしなく左右の目が前後に動き出した。
 しかし、今度はすぐに立ち止まった。
 バス停だった。
 数人が並んでいた。
 
 でも、時間になってもバスは来なかった。
 ご主人はイライラしているようで、時計を何度も確認したし、その度にバスが来る方角へ目をやった。

 しばらくして、やっとバスが来た。
 ご主人は前の人との距離を縮めて、絶対に乗るというような悲壮感を漂わせていた。

 バスが止まって、ドアが開いた。
 前に並んでいた人たちが次々に乗車すると、それに続いて乗り込もうとしたが、ステップの所までいっぱいになっていた。
 
「もういっぱいなので、次のバスにしてもらえませんか」

 運転手が顔の前に左手を立てた。
 しかし、それが聞こえていないかのように、ご主人はステップに足をかけた。
 
「乗ります。乗らせて下さい」

 ご主人が悲壮な声で哀願した。
 すると運転手は肩をすくめて、仕方ないな、というふうに乗客に声をかけた。
 
「もう少し詰めてください。あと一人分詰めてください」

 その途端、車内がざわついた。「え~」という声も聞こえた。