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 妖鬼に食べられれば、着ていた着物などずたずたになってしまう。
 そのための用意として、兎月はいつも新しいものを近くに準備していた。今回、捕食はされなかったものの、埋葬されたおかげで着物が泥だらけになってしまい、いつもとは別の意味で着替える必要があった。
「――オレの名前は和鷹(かずたか)だ。いわゆる、破鬼をしている」
 繁みの向こう側から和鷹と名乗った青年の声が聞こえてくる。兎月は森の中に隠していた荷物から小袖を取り出しながら自分の名を名乗った。
「あたしは兎月。少しだけ呪力のあるただの人間だよ」
「嘘つけ」
 苛立ったような和鷹の声。
 実演して見せたことで、和鷹は兎月の不死性は認めてくれたようだった。納得してくれたところで立ち去ってほしかったのだが、そんな得体の知れない奴は放っておけないとばかりに解放してくれなかったのだ。
 そんなわけで、こうして着替えながら自己紹介をする羽目になっている。
「いくらなんでも非常識すぎだろ。オレが知りたいのは、お前の不死のからくりだ。実は既に死んでいて、足の生えている幽霊と言われたほうがまだ信じられるぞ?」
 まあ、そうだろうなぁ、と若草色の小袖に袖を通しながら兎月は思う。
 足元にはついさっきまで着ていた白い着物。お腹のあたりには拳ほどの穴が開いている。これだけの傷を負いながら、何事もなかったかのように復活するとか、たしかに幽霊と言われたほうが納得できる。
「身代わり生贄稼業」
「……は?」
 聞こえてきた素っ頓狂な声に構わず兎月は続けた。
「地方で妖鬼に困ってそうな村を回って、生贄に捧げられそうな娘さんの身代わりとして、妖鬼の供物となっているの。不死のあたしにぴったりな生業だとは思わない? だから、身代わり生贄稼業」
 絶句したような気配。
 兎月は小袖の帯を締めると、地面の荷物をまとめて背中に背負った。繁みを抜けて、律律儀に着替えを覗かずに待っていた和鷹の前に出る。そして、満面の笑みを浮かべて宣言。
「だからね、破鬼の人って、あたしの商売敵みたいな人なの。さよ~なら~」
「いや、コラ、待て」
 くるりと振り返って山を下りようとすると、背後から手を引っ張られて尻もちをついてしまった。
「いたた……ちょっと!」
 怒って見上げるも、頬が引き攣ってしまう。なぜなら、腕を組んで仁王立ちになっている和鷹は、昨日の妖鬼よりも恐ろしい表情をしていたからだ。ある意味、こちらのほうが命の危険を感じてしまう。
「要するにお前は行く先々で死んで回ってるってことか?」
「待って待って、商売敵ではあるけど、破鬼の人の邪魔をしたことはないよ?」
 和鷹の右手が印を結んでいる。そこに呪力が集まっているのを感じて兎月は焦った。全身を吹き飛ばされても復活できるが、和鷹の呪力は非常に危険な気がした。
「邪魔はしてない……か。生贄になっておいてよく言うわ。それが何を意味しているか、お前は知らないのか?」
「妖鬼は人間の命を集めることで自らの腹を満たし、場合によっては命数を増やし力を蓄えるものもある。あたしは破鬼でもないけど、そのくらいは知ってるよ」
 馬鹿にするんじゃないとばかりに、兎月は小さく肩をすくめた。その姿を見て、ますます和鷹の口調が強いものとなる。
「だったら、お前のやっていることは、妖鬼の手助けをしているのと同じだと、なぜわからない!」
「そのために、あなたのような破鬼の人達がいるのでしょう?」
 薄く笑いながら兎月は指摘する。
 東西に分かれた大きな戦も終わり、幕府が開かれて国中に平和が訪れた。
 だが、それは表向きの話。戦で生み出された多くの恨みや怨恨、そして散らされた命は、さまざまな悪影響を生み出していた。それがこの国に古くからいる悪しき物と結びつき、妖鬼という人ならぬ物の活動を活発化させていた。
 破鬼とは、そんな妖鬼を滅する力を持った者達だ。人並外れた強い呪力を持ち、破鬼の刀を操る。彼らの手にかかれば、妖鬼を鎮めるための生贄など必要なく、その力でもって平穏をもたらしてくれる。
 そう――必要な時に、彼らを雇うことができれば。
「だけど、あたしは知ってるよ」
 ふん、と小さく鼻を鳴らして兎月は続ける。
「破鬼に依頼するのって、とっても高いお金がかかるの。貧乏な辺境の村ではとても用意できるお金じゃない。そんな村では頭で理解していても、生贄を捧げて束の間の平穏を得るしかないの。破鬼を雇っても来年飢え死にしちゃうからね。だから、あたしが代わりに生贄になるの。それすらもあなたは、妖鬼の手助けをしているとでも言うの?」
「…………」
 険しい表情で和鷹が見下ろしてくる。しかし、兎月の言葉に、どこかしら後ろめたさがあるのだろう。一方的に責めたてるような気配は影を潜め、むしろ迷っているような雰囲気すらあった。
 しばらく睨み合っていると、和鷹が小さいながらもはっきりと聞こえる声で言った。
「お前からは妖鬼の気配を感じる」
 ぎくり、と兎月は顔をこわばらせた。
「それに、命数の流れもおかしい。まるで身体に命数が宿っていないような……いや、むしろ複数か? これは、どういうことだ……?」
「……ええっと……」
 考え込む和鷹の前で、兎月は焦りに焦っていた。
 これはまずい。妖鬼と間違えられたら、何をされるかわかったものではない。
 そう思った瞬間、兎月の身体は反射的に動いていた。手首を掴んでいた和鷹の手を払って立ち上がると、脱兎の如く逃げ出そうとする。
「――縛(ばく)!」
 背後で和鷹の気合とともに放たれる呪力。それは走る兎月へあっという間に追いつくと、首へと素早く巻き付いた。枷のようなものが嵌められる感覚と同時に、和鷹の声がもう一度聞こえた。
「止まれ」
 その瞬間、前に踏み出そうとした足が空を切り、兎月は背中を思い切り地面に叩きつける羽目になっていた。息が詰まって悶えているところに、ゆっくりと追いついてきた和鷹がしゃがみ込んだ。
「うーむ。やっぱり妖鬼か? 普通の人間には効かないはずの術だったんだが」
「けほっ……あ、あたしは普通の人間だよ!」
 咳き込みながらも兎月は強く主張する。妖鬼呼ばわりはやっぱり傷つく。幽霊とか悪霊とかのほうが百倍増しだ。
「これほど説得力のない言い訳もなあ……面妖なヤツめ」
 はあああ、と大きなため息を吐きながら、和鷹は首を左右に振った。先ほどまでの殺気はなくなっている。どこか理解することを放棄したような風情。
「まあ、いい。どちらにしても、妖鬼の気配のするヤツを放っておくわけにはいかない。殺しても死なないらしいしな。正体がきっちりわかるまで、こうして縛らせてもらうぞ」
「そ、そんな……」
 まるで死刑宣告を告げられたように、兎月はがっくりと肩を落としたのだった。