【2024年8月16日】
で、さっきの続きだけどさ。マジ夢ある話だよなー。商業小説でさえ話題になるのってせいぜい文学賞の受賞作だとかメディアミックスされたものくらいなのに、同人誌がブーム巻き起こすなんてな。異例中の異例だろ。そもそも同人誌なんて、基本日陰者だからな。一次創作だとしてもやっぱり同人は同人だよって思う。もちろんプロ級に書けるやつはたくさんいるし、バリバリ売っておそろしい額稼いでるやつもいるのは知ってるけど、その中から一般層まで飛び出せるのはすげぇことだよ。んで、今回のパターンで羨ましいのは、筆力で評価されたわけじゃないってこと。夢あるよなー。だからって、バズってるだけで自分に金が入ってこないんじゃ意味ないけどな。
で、さっき言いかけた、ここだけの話だけど。
俺、実はあの同人誌の作者と話したことあるんだよ。これマジ。Xでそんなこと言ったら嘘松って言われて炎上しそうだろうから言えないけどね。やっぱり俺たちみたいな駆け出し同人作家は、作品と関係ないところで名前にケチがつくのが一番怖いだろ?
あの小説、TikTokで広まったのが話題だけどさ、即売会でも売られてたんだよ。今年の四月の文学フリマ。俺も参加してて、彼女のブースは斜め前だった。そう。作者、女の子だよ。
かわいい子だった。俺たちと同い年くらいだと思う。これっていう特徴はないんだけど、たしか素朴な雰囲気で、顔は……いや、そんなに覚えてないけども。とにかく、純粋そうな子だった。正直タイプだったな。
ってなるとさ、当然話しかけたくなるじゃん?
だから、開場してからずっと彼女のこと見てたんだ。こういうとき、すぐに話しかけないのが俺の定石。地雷の可能性もあるしね。あの子がお客さんの対応をして、どんな人なのか少しくらい把握しておきたかった。でもあの子のブース、何時間経っても誰も来なくて。
たぶん、初参加だったんだよな。スマホで検索してみたんだけど、サークル名も作者名もなにも出てこなかった。仲間作ったり、営業とかしないで来てたんだよ。それを知ったらなんだか同情心も芽生えてきちゃってさ。夕方になって、とうとう声かけたんだ。
そしたらさ。
……なんか、嫌だなって思ったんだよね。
反射的に、嫌だな……間違ったな……って、思った。自分でもわけわかんないんだけどさ。話しかけた瞬間、すごい嫌な感じがしたんだよ。まずい、嫌だ、離れたほうがいいって……なんつーか、本能? が、俺に囁いたんだよな。
で、どうしよどうしよって、柄にもなく慌てた。ナンパなんて今まで割とやってきたし、女の子の前でなにダサいことしてんだって感じだけど、とにかくパニックだったよ。アホだよな。
でも、彼女が顔を上げて、きょとんとした顔でこっちを見てきたから。
それで、よくわかんないけどまぁいいかって思えてさ。全然よくはないんだけど、まぁ、下心の勝利だよ。そのまま話し続けた。今日はじめてなの、とか、SNSやってる? とか。
やっぱり予想通りの子だったよ。声が小さくて、いきなり話しかけてきた俺におどおどしてて。かわいかったな。
そんで彼女、よかったら読んでくださいって言って小説くれた。それが今話題のあの小説だよ。すげぇだろ。そのあとも彼女のブースちらちら見てたけど、たぶんあの日にあそこで彼女の本を手に入れたのって俺だけだと思う。んで、俺も自分の小説プレゼントして、ちょっと無理やりだったけど連絡先交換して、その日は解散したよ。
でも……ここからが、変な話でさ。
まずもらった小説なんだけど、読めなかった。
四分の一くらいまでは読んだんだけど……なんつーか、どうにも素人くさくてさ。表紙の出来も、文のレイアウトもなんだけど、なによりも中身がな。素人の文章って感じで受け付けなかった。ストーリー自体は結構気になるんだけど、そこそこ長いし、俺も次の小説書かなきゃいけないわけでさ。友達の小説とかなら時間作って読むけど、あの子のはどうしても、無理で。
そしたら、これこそ嘘松って言われると思うけど。
小説を読んだ日からずっと、部屋になにかがいる気配がするんだよ。
俺の部屋、1Kのシンプルな部屋なんだけどさ。ベッドに寝転がってると、なにかがベッドの下で蠢いてるんだ。風呂入ってると、磨りガラスの向こうでなにかがこっちを見てるんだ。でもなにもない。振り返ってもなにもない。どこにも、なにも、誰も、いない。
それでもやもやして、ふと部屋の隅に置いてた彼女の小説を見て、なんか嫌だなって思った。
嫌だな、嫌だな、嫌だな……って思い続けて、そこで思い出した。
俺、この嫌な感じを知ってるんだよ。
彼女にはじめて話しかけたときの感情と、同じだったんだ。強烈な嫌悪感。違和感、拒否感、気持ち悪さ……あれと、まったく一緒だったんだ。
それで、考えた。俺はなんで彼女と話したとき、嫌な気持ちになったのか。
答えは簡単だった。
彼女のそばに、なにかがいたからなんだよ。
それも、たくさん。数えきれないくらいたくさん。目には見えないんだけど、彼女の足元にたくさんのなにかがうずくまっていて、気を抜いたらそれが飛びかかってくるような気がした。無意識だったけど、それがすごく嫌だったんだ。
即売会にいた彼女は、どこからどう見てもひとりだった。
でも間違いなく、彼女のそばにはたくさんのなにかがいた。
人……。いや……生き物。いや、なんだかわからない。
とにかく、なにかがいた。
なにかが蠢いてた。
それで、今も。
あのときと同じように、俺のそばにもなにかがいるんだよ。
すごく嫌な感じがする、小さい、たくさんの、なにかが……。
彼女に電話した。でも、返ってきたのはイマコノデンワバンゴウハっていう無機質な女性の声だけだった。小説は捨てることにしたよ。資源ゴミは来週だから、まだ玄関のところに置いてあるけど。
でもそれがまた嫌なんだよな。不意に玄関のほうから人の声が聞こえたり、カタカタ音がしたり……。
そんだけ。
そんで、この話は終わり。
とりあえず俺が言いたかったのは、Xであの小説のことはもう触れないほうがいいってことなんだ。
今でも思い出すよ。あの子、今となっては顔も服装も思い出せないけど、本当に普通の女の子だった。でも帰り際、変な感じはしたんだ。
あの即売会の夜、知り合いの参加者たちと打ち上げがあってさ。断られるだろうとは思ったけど彼女も誘ってみたくて、ブースを片付けてるあの子に近づいた。
そしたら、すごく小さい声で呟いてたんだ。同じ単語を、高速で。
かえらなきゃかえらなきゃかえらなきゃかえらなきゃ……って。
DM、長くなってごめんな。
執筆で忙しいなら読まなくていいし、返信もしなくていいから。とりあえず、注意喚起だけはしておきたいと思ってさ。時間取らせたな。
あぁ、ごめん。
終わりにしたいのに、また書いてしまう。さっきから、なんか変なんだ。
どんどん増えてる。玄関のほうはもういっぱいで、キッチンは溢れてる。赤くて黒くて、汚い。
たぶんあいつらは、小説の中から出てきてるんだよ。
カラカラ音をたてて、ページの内側から這い出てくる。いくつもいくつも。それでずっと、俺のことを待ってるんだ。
でもさ、不思議だけど。
嫌な感じはしないよ。
今は、すごく幸せなんだ。ここにはあの小説がある。今すぐにでも読むことができる。そして、みんなもそれを待ってくれてる。俺の前に一列に並んで、俺のことをうれしそうに見守ってくれてるんだ。
って、さっきから俺、なに言ってるんだろうな。
うん。
今さらだけど、やっぱりこの小説はおすすめなのかもしれない。
【2024年9月9日】
返信遅れてごめん。今どこにいる?
新刊の準備で忙しくて、全然Xに入れてなかった。先月おまえとXで話してて、DMに移ろうって言ってたから内容はすぐ読もうとしたんだけど、長そうだったから執筆のほうを優先してしまった。こんなことになるならあの日のうちに最後まで読むべきだった。本当にごめん。
で、大丈夫なのかよ。
みんな心配してる。なんで即売会ドタキャンしたんだよ。今どこにいるんだよ。おまえにとっては同人仲間なんて浅い関係なのかもしれないけど、俺たちは現場で何度も会ってるし、おまえのことは普通の友達以上の関係だって思ってるよ。
本当に心配してる。
っていうのも、おまえが急に消えたことももちろんなんだけど、変な人からDMが来たんだよ。
Xでポストしてたあのやり取り——ほら、〈俺、あの小説の作者知ってるよ〉ってやつ。その部分、おまえはすぐ消したと思うけど見られてたみたいでさ。その変な人に、DMに移ったあとの会話を教えてほしいって言われたんだよ。
もちろん断った。おまえだって、あの小説の作者と会ったことは公にはしたくないって言ってただろ。そうじゃなくても、知らないやつに俺とおまえの会話を勝手になんて教えられない。だからやんわりと拒否したんだけど、そしたらその人——その女の子、この前の即売会に現れたんだ。
それでまた、DMを見せてほしいって言ってきて。断ったんだけど、どうしてもって粘られてさ。その子、あの小説の作者の従姉妹らしいんだよ。作者と連絡がつかないみたいで、捜しても見つからなくて、それで例の小説を知る人たちからなにか情報を得られないかって考えて俺たちを見つけたんだ。ようやく見つけた手がかりなんだって。そんな話、本当かどうかなんてわからないけど、俺には彼女が嘘をついているようにはどうしても見えなくて。
だからつい、これまでのおまえとのやり取りを見せてしまった。ごめん。
とにかく、このメッセージを読んだらすぐに連絡をくれ。大丈夫なのか? なにかに襲われたのか? 無事でいるのか?
心配してる。
【2024年9月10日】
早くおまえも来いよ