そうですね。あの日のことはよく覚えてますよ。
だって、あんなインライはじめて見ましたもん。テレビでいうところの放送事故ってやつなのかな。あ、この場合配信事故か。こういう動画がたまたま録画されてて、その切り抜きをSNSで見かけたりすることはあるけど、まさか生で見ることになるとは思いませんでした。ちょっと感動です。なんて、こんなこと言うと不謹慎ですけどね。あの夜のインライは最大同時視聴数なんて五十もなかったと思うから、なおさらちょっと感動なんです。
あ、インライって、インスタグラムの配信ライブのことです。
って……そんなこと知ってますよね。Iさん、私と同い年くらいですよね? あ、大学一年生? 私の少し上かぁ。
びっくりしたな。本当に今日新幹線に乗って来たんですか? 突然DM来たときは驚いたけど、つい承諾しちゃいました。あの日のこと話せる人なんてリアルにいないし、出身地が同じで親近感湧いたのもあるかな。普段はネットで知り合った人とは会わないんですけど、同性ならいいかなぁ、なんて。
はい。りこりんのインライの話ですよね。
あの日のりこりんは、相変わらずでしたね。夜の一時過ぎだったかな、突然配信がはじまりました。インスタを開いたらファンはまだ五人くらいしか集まってなくて、りこりんは壁際のソファでお酒を飲んでました。レモンスカッシュとか言ってたけど、あれ間違いなくハイボール。また事務所に怒られるパターン。
で、りこりんは再来月に配信する新曲のこと、今日のリリイベのこと、まこちゃんとお菓子の取り合いで喧嘩したこと……だらだら話してました。いつも通りでした。
で、三十分くらい話したあとだったかな。視聴者も二十人くらいに増えてきて、雰囲気も和んできたころ、ファンのひとりがコメントしたんです。ソファの横にある本なに? って。
そしたらりこりん、急にテンション上がって。やっとツッコんでくれたー! って叫んでました。誰かが触れてくれるように、わざと置いていたみたいでした。
この先の流れは私がXに上げた動画の通りですね。
あ、動画流しますか? なら、私のスマホに切り抜いてない元動画入ってますから、見ますか?
あは。あの日のインライを全部録画してた人なんて、きっと私くらいですよ。りこりんってご当地アイドルの中でも圧倒的地下だから、ほんと知名度ないんですよ。
——じゃーん! 実は今日、みんなにこの本を見せたくて配信したの! あ、新曲の話がメインじゃないんかーいって言うのはナシね。それはイベントのときにいつでも話せるし!
この本、知ってる? 今ネットで話題になってる同人誌。『きみのかえる場所』! これがですねー、手に入っちゃったんですよぉ。すごすぎない? これ、噂では世の中に三十冊くらいしかないんだって。同人誌の世界ってよく知らないけど、人気な人じゃないと売れないからたくさんは作らないんだってさ。え、普通はもっと少ないの? じゃあこの本を書いた人って人気作家さんだったのかなぁ。あ、待って待って、コメント早すぎ。新曲の話でもそれくらい反応してよ!
……これ、私もびっくりしました。まさかりこりんがあの話題の小説を持ってるなんて。
『きみのかえる場所』。
これ、同人誌なんですね。出版社から出されたものじゃなくて、自分で作った本。同人誌なのに、いま注目の小説ってTikTokで話題になってるの、よく見ます。
この小説の頭の部分とか目次を切り取った画像は出回ってますけど、実物を見たのははじめてだったから驚きました。まぁ、本物かどうかなんてわかりませんけどね。ほとんどの人が読んだことないんだから、表紙だけパクればそれっぽいものなんて簡単に作れますからね。りこりんって枕の噂もあったから、胡散臭いどっかの社長にニセモノ掴まされたんだったりして。
——お話はね、みんな噂では聞いたことあると思うけど、すてきなラブストーリーだったよ。純愛だった。田舎のほうに住んでる女の子と男の子が恋に落ちるの。感動した! 私もこんな恋してみたいなーって思った。って、うそうそー。私、みんなのアイドルですから。心配しないで!
……ねぇみんな。この小説、気になるよね?
私がXに上げてた部分はここまでですね。この先は、当時インライを見てた人しか知らない映像です。
驚きなんですけど、りこりん、ここから小説を読みはじめるんです。
みんなにも読んでほしいなんて言って、最初から最後まで。だから早送りにしますね。三十分くらいあるので。
とりあえず、りこりんのこの小説へのハマり具合にみんな驚いてました。アイドルが配信で小説の朗読なんて普通ないと思います。アイドルじゃなくても普通ないんじゃないかな。著作権のこともあるだろうし。って、りこりんの映像を勝手にアップしてる私も本当はよくないんですけどね。
このへんで止めますね。りこりんが小説を読み終わったところです。
——みんな、どうだった?
王道の恋愛小説なんだけど……私はね、すごく心打たれたの。なんていうのかな。心臓の奥の奥の、ここを刺したらほんとに死んじゃうぞっていうところをピンポイントで突き刺されたっていうか。脳の空いている隙間に物語の原液をざらざら流し込まれたっていうか。小説の世界に引き込まれて、もう逃げられなくなった。最後のページをめくって、見開きで描かれた挿絵を見た瞬間、私、変わってしまったんじゃないかって思ったの。自分という存在が。今の私はたぶん、小説を読む前とは別人なんだよ。
このときのりこりんは目がとろんとしていて、きっと酔いが回っているんだろうなと思いました。呂律は怪しいし、言っていることもよくわからないし。印象的な挿絵っていうのも、ぼうっとしてて見せてくれないし。でもまぁ、好きな小説を読んだあとだから放心してるのもあるのかなと思いました。
——あの挿絵の場所は実在するのかな。挿絵っていうか、写真みたいなんだよね。本当にすてきな景色。小説の舞台の、山間の村に花がたくさん咲いててね、まるで天国みたいなの。そこは開放感がある場所で、木が多くて鬱蒼としてるんだけど、葉の隙間から光が差し込んできれいだった。
そう、赤かった。
燃え上がるみたいな赤が、山の麓に整列してた。はじめて読んだときからずっと目に焼き付いてるの。ここは私の部屋なのにね、今でも赤いものが見える。私の前に、きれいに並んでくれてるの。
ますます話がわからなくなってきたけれど、ファンたちはりこりんの話を聞きながら、そうだねなんて言って同調してました。大好きなアイドルがなにかを褒めてるとき、ファン側はとりあえず同調するものですからね。でもあのときの空気は少し違った気がします。みんな、りこりんに共鳴してた。小説に惹かれてた。頭の中に山間の景色が浮かんで、ファンたちもりこりんも、小説の舞台に立ってたの。まるで物語のキャラクターになったみたいに、自分たちがアイドルとファンであることも忘れて、山の麓で笑い合ってた。私もそう。見てもないのにその光景を思い浮かべられた。花に包まれたあの世界を、そう、今でも。
そんなときだったかな。
ファンのひとりが、あれ、って言ったの。
なにあれ。なんだろ。あそこ。そんなコメントが——ほら、みんな騒いでますよね。私も現実に引き戻されたような気がして、スマホに目を向けました。なにかが起きてるみたいなんですけど、なんのことかわかりませんでした。ただコメント欄がざわざわしてる。りこりんも、半分寝てるみたいな顔をしてたけどようやく目を覚ました感じで、スマホに目を向けました。
——え、なに?
りこりんにもなんのことかわからなかったみたいでした。でも一部のファンがなにかを伝えようとしてるんです。私もわからず、じっとやり取りを見ていました。
——なに?
ううん。別に、親はいないよ。ひとり暮らし。
彼氏? ふふ。いないいない。だから私、清純派アイドルなんだってば。
うん。え? どこに?
カーテンの? どこ? 裏?
え?
…………足?
ここで、映像は終わりです。
りこりんがうしろを振り向いた瞬間、配信が切れたんです。動いた拍子に腕が画面に当たっているから、たぶんりこりんが停止ボタンを押してしまったんだと思います。
足、って、なんだったんでしょう。
戻してよく見てみると、コメントに三人くらい、足、足、って書かれてるから、足が見えたってことなんだと思います。
うん、たしかに……よく見ると、窓の縁に足みたいなものが見える、気もします。黄色のペディキュアをした、足。でも遠すぎて、黄色の雑貨かなにかが並んでるだけのようにも見えるし。
え? はい。ズームはこれが限界です。見えないですか?
私としては、足に見えなくもないですけど、カーテンの裏に足があるはずがないんですよね。
テラス窓ならわかりますけど、これ、出窓のカーテンですから。カーテンの向こうは小さい窓ですし、その向こうは外です。もしあの部屋が一階だったとしても、出窓の向こうに人が立っていたとしたら、見えるのは足じゃなくて胸あたりなんじゃないでしょうか。
正直、なにがなんだかわからなくて。この部分は切ってSNSにアップしました。
それでもこの動画をネットに上げたのは、やっぱりこれがりこりんの最後の映像だったからです。
みんな、すごく悲しんでましたから。地下アイドルって言ったって、彼女芸歴だけは長いから固定ファンは多いんですよ。事務所からりこりんが『ドロップキス』を脱退するっていうお知らせが出て、でも理由は曖昧で、みんなずっともやもやしてます。ファンのひとりが握手会で聞いたら、他メンが「りこりん急にいなくなっちゃったの」って言ったそうです。でも、失踪だなんて信じられないんです。
だって、りこりんはずっと新曲の配信を楽しみにしてたし、なによりもこのグループが大好きだったから。脱退なんて考えたこともなかったはずなんですよね……。
話は、こんなところです。
こんなんでよかったですか? 小説のこと知りたいっておっしゃってましたけど、役に立ったのかどうか……。
……。
……。
あ、ごめんなさい。ぼんやりしちゃった。
不思議なんですけど私、最後のりこりんの姿なのに、この動画を見ると幸せな気持ちになるんです。
私、古参ファンなんですよ。りこりんは地元に根ざしたアイドルだから、私も同じ地域の出身者として、りこりんが子役のころから応援してました。彼女には思い入れがあるんです。
だから、この動画は宝物なんです。
もう会えないかもしれないけど、再生すれば何度でも彼女に会えるから。
あの光景が、頭の中に浮かび上がるから。
夢みたいな、世界だったから。たくさんの人たちが、私を待っていてくれるから……。
……え?
私、今なにか言いました?
そんなこと言ってないですよ。変なこと言わないでください。
じゃ。もういいですか?
私、これから用事があるんだった。早く行かなくちゃ。もう終わりでいいですよね? じゃあ、さよなら。
あの。
あなたも、早くかえったほうがいいですよ。