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帝は、白楽天の『長恨歌』フェチで、楊貴妃様ガチ恋勢だった! そのことに気が付いて、私はいろんなことに納得がいった!
『長恨歌』……それは、平安時代に中国から伝わってきた物語の1つだ。中国の「玄宗皇帝」の妃に「楊貴妃」という美しい女性がいた。その美貌で国を混乱させて、最後は死刑に処されてしまう。死刑になって死んでしまったかと思いきや、なんと楊貴妃は「天人」に生まれ変わっていて、天界から皇帝にメッセージを送ってくるのだ。
楊貴妃というのは国を混乱させた悪女ではあるのだけれど、『長恨歌』では、とっても蠱惑的でチャーミングに描かれていて、「悪人なのに憎めない!」という気持ちにさせてくる女性だ。
(そうか。楊貴妃が天界の人になるから、天人について詳しかったのか)
帝は自分の趣味がバレてしまったことを恥じているようだ。別に「二次元」が好きでもいいと思うのだが、神妙な顔をして、うつむいている。
なんだか私はかわいそうになる。平成時代ですら、オタクは肩身が狭くて生きにくかったという。きっと帝も生きにくさを感じているのだろう。
「あの! すごくいいと思います! 楊貴妃さまが好きだなんて素敵なことだと思います!」
私は瞳を輝かせながら帝に言う。彼のことを肯定してあげたいと思ったし、とても良いことを思いついてしまったのだ。
「え、でも……絵の中や物語の中にしかいない人を愛するなんて……どうかしているだろ?」
「いいえ! だって、楊貴妃さまは素晴らしいのですもの!」
令和のオタクたちから叱られそうなことを平気でいう帝を、私は励ましてやる。そして、ゆっくりと本題を切り出していく。
「楊貴妃さまの素晴らしさに気が付けたあなたは凄いのです! みんなにも楊貴妃さまの良さを伝えていってあげましょう! それで、ゆくゆくは楊貴妃さまファンのみんなで「楊貴妃さまの豪華絢爛絵巻」を作りあって見せ合うのはどうでしょうか?」
「楊貴妃さまの豪華絢爛絵巻!! みんなで作る……!?」
よし! かかったぞ! 心の中で私はほくそ笑む。
「長恨歌」は、かつては流行したものの、いささか古さを感じさせるコンテンツなのだ。要は、サポート終了して数十年が経とうとしている界隈のようなものだ。
公式も同人作家も消え果て、圧倒的供給不足の状態にある。そんな飢えたオタクに、「ねぇ! みんなを巻き込んで同人活動しようよ! 大規模イベント開催しようよ!」と言ったらどうなる? どう考えてもひとたまりもないだろう。
「そうです! 楊貴妃さまの豪華絵巻! 長恨歌の美しい言葉つきの!!」
沼にはまれ! そのまま楊貴妃さまの沼にはまって、三次元の女に興味を持てなくなってしまえ! 二次元はいいぞ。私だって令和では、推し活やオタ活を楽しんでいた。そして、自分が熱中できるコンテンツがあったおかげかは分からないけれど、恋人がいなくとも、寂しさを感じなかったのだ。
「もういっそのこと2.5次元舞台……いえいえいえ、舞いでもさせてしまってはいかがでしょうか? 美しい殿上童の中から「楊貴妃さま」になれそうな者を選ぶのですわ。」
「よ、楊貴妃さまの舞!? そんなものをつくることがゆるされるのか!?」
「ええ、私たちで「長恨歌」の世界を再現するのです! みんなで長恨歌のお話を、歌や舞にして楽しみましょう!」
平安時代は「劇」というものが誕生していなかった。「能」の原型となる「猿楽」と呼ばれるものが少しずつ発展していたような段階だ。そんな時代の人に「演劇」なんて未来のコンテンツを提示したのだ。新鮮過ぎて、刺激的過ぎるというものだ。
実際、帝は興奮している!
息を荒くしながら、頬を紅潮させて、何やら愉快なことを考えているようだ。イケる!
「叔父上の一の御子! 私は、あの子は本当に美しいと思う。化粧をしたら楊貴妃さまのように美しくなると思うのだが」
「結構なことですわ! きっとお似合いになりますわ! 一の御子さまに楊貴妃さまのコスプレ……いえ、楊貴妃さまの衣装を着てもらって、楊貴妃さまのセリフでも言ってもらいましょう!」
叔父上の一の御子とか知らないけれど、私はとにかく肯定をする。とにかく彼の前に魅力的なコンテンツを提示していくのだ。そして、沼に沈めてしまうのだ。
「いいことを考えましたわ! 女御さま方にお伝えになってみてはいかがでしょうか? 『より素晴らしい楊貴妃さまの絵巻を持ってきた女を皇后とする』なんて……つまりは「楊貴妃さま絵合わせ大会」の優勝者を皇后にするのです」
「楊貴妃さま絵合わせ大会! それはいい! だって、家の繁栄がかかってるんだもんね! どの女御も素晴らしい絵巻を持ってきてくれるよね?」
この帝、なかなか酷いことを言う。しかし、そこで彼はハっとしたような表情をする。
「でもでも、いいのかな? 絵巻の優劣なんかでお后さまを決定してもいいのかな? 后選びは重要なことなのに……」
「もちろんよろしいのですよ! いいに決まってます!! 絵巻の優劣で皇后さまを決めるなんて! とっても典雅なことですわ!!!」
力強く私は答えたが、もちろんよろしいわけがない。普通にメチャクチャ叩かれる。
この帝の孫にあたる冷泉帝という天皇が、とても絵が好きだったのだ。冷泉帝のもとでは、源家と藤原家出身の妃がバトルをしていた。両家は、冷泉帝に「絵巻」をプレゼントすることで、彼の気を惹いていた。そして、源家のほうが素敵な絵巻をプレゼントすることができたので、源家の女御が皇后になったのだった。
そんな彼の皇后選抜方法のせいで、藤原家の女御は実家に帰ってしまうし、家来たちも「どう考えてもちゃうくないですか?」と口々に言いあうのだ。
「ありがとう!! ありがとう!! 君に会えてよかった。私は楊貴妃さまに出会ってからというもの、ずっと鬱屈とした思いを抱えていた! 明日からでも早速行動を開始したいと思う!」
帝は感動で泣き出しそうな様子だ。そして、さっそく行動を開始しようとしている。そんな帝に私は、最後の仕上げをすることにした。
「でもね、帝……楊貴妃さまの豪華絢爛絵巻に舞……そんな素晴らしいものを誕生させるには、絶対にしないといけないことがあるんですよ」
「それは! それはなんなのだ!?」
やったー! まさに王手だ! 帝王だけに。私はそんなことを考えながら、帝に大切なことを伝えたのだった。
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帝との結婚式の夜から、20日が経過した。
私は、というと、無事に清らかな身のままで過ごすことができている。そして、最近、ちょっと楽しみにしていることがあるのだった。
「しかし、驚きますね。帝の変化には!」
「まだまだ幼いと思っておりましたが、本当に変わられた! 歴史に残る賢帝となられるのではないでしょうか!」
「最近では、我々に対しても思いやりある発言をしてくださる!」
「それに身分低いものの発言もきちんと聞いてくださるのですから」
私が住んでいる桐壺という建物は、御所の中でも外れのほうにある。
そのせいだろうか。噂をしたい男たちが、建物の隅でこそこそと内緒話をしているのだ。
そして、最近の彼らの話題は1つだけ。「帝が非常に賢くなられた」ということだ。私は彼らのそんな噂話を聞くことを、毎日の娯楽としているのだ。
(ふふ。そうでしょ。そうでしょ! だって、私がしっかりと教育をしておきましたからね!)
帝に出会ったあの日。私は彼に言ってやったのだ!
「よろしいですか。流行を生み出したいのだとすれば、自分自身が価値ある存在にならないといけないのです!」
「いい加減な人が愛しているものを周囲の人は低く評価するものです! まずは帝自身が魅力的な帝王になることですわ。魅力的な人が愛しているものは、それだけで上等なものに見えるのですから!」
婚姻をする3日間の夜に、私は帝に「正しい帝とは何か」ということを徹底的に叩き込んだ。『源氏物語』の帝とは違った行為をするように教えたらいいのだから楽勝だ。
一つ、キサキたちは身分に応じて、平等に愛するように
一つ、身分が低いキサキに1日会ったら、彼女よりも上位のキサキには2日会うようにすること
一つ、家来たちをあまり困らせない
とにかくいろんな注文をつけた。しかし、帝はというと、よっぽどコンテンツに飢えていたのだろう。素直に私の言うことを聞き、模範的な帝王になろうとしてくれた。
ただ、ちょっと気になる発言もあったが。
「凄いね、君! 叔父上のところの一の御子以上に、楊貴妃さまっぽいよ! 僕が楊貴妃にハマるきっかけになった「亭子院の帝の時代に作られた「長恨歌の絵巻」」の楊貴妃さまにそっくりだ」
2日目の夜。ばっちりとメイクをして現れた私にそんなことを言ったのだ。
この帝の叔父上のところの一の御子? 血縁的には従兄弟にあたるのか……『源氏物語』で忘れてはいけない何かがあったような気がするのだが……。彼のいとこに重要な人物がいたはずで……。
「桐壺更衣さま! あの方からのお手紙でございます」
男たちの噂話を盗み聞きして、追憶にふけっていた私に女房が声をかける。女房は、とても嬉しそうな表情をしているのだが、私はちょっと複雑だ。
(あの日から、帝から手紙が届くようになってしまったのよね)
とりあえず帝からの溺愛を回避することはできた。しかし、どうしたことだ。私は帝から全力でなつかれてしまっているようなのだ!
『あなたにもう一度会いたい!』
『きちんと女御たちを大事にしている。政治もしている。そろそろ更衣と会っても叱られないのでは?』
『手紙をありがとう! あなたの手紙に書かれていた「劇の脚本」というもの、素晴らしすぎて感動している。あなたからの手紙は経典と一緒に大切に保管させてもらっている!』
『手紙だけでは嫌だ! あなたと話がしたい。会っていろんなことを直接聞きたい!』
そして、困ったことに私はちょっとずつ帝のことを「かわいい」と思うようになってしまっている。
(だって、手のかかる子のほうがかわいいというじゃないか)
学校の先生たちは、修学旅行や飲み会の場で、好きな生徒の話をしたりしている。
「ねぇ、××先生。ここは学校ではないことですし、やっちゃいましょうよ。ぶっちゃけ、先生は〇学年の子の中で、どの子が一番お気に入りなんですか?」
女子高生が恋バナでもするように、キャーキャー言いながら、お気に入りの生徒の名前を告白しあうということをしているのだが、その時に名があがるのは、優秀な子ではなくて、「ちょっと抜けている子」なのだ。
先生という職に就くタイプの人間は、世話好きのタイプが多いせいだろうか。なんとなく見ていて放っておけないような子に庇護欲のようなものを刺激されてしまう!
さらに、その子が「先生! 先生!」などと言って、過剰なまでに自分を必要としてくれたら、もう……贔屓しないようにするのが大変なのだ。
(なんというか……弟みたいというか。気になっちゃうんだよな)
ご褒美につられて仕事を頑張っているなんて……! 『源氏物語』で非道なことをする帝だということはわかっている。しかし、彼自身の性根が「悪」だったわけではなくて、彼を取り巻く環境こそが……要は、彼ではなくて、「教育が悪かった」のではないかと思ってしまうのだ。
(まぁ、とりあえず良しとしましょう! だって、私は『源氏物語』の最初をきちんと変えていけているんだから!)
帝から、特別な感情を向けられているのは困ったことなのだと思う。しかし、物語の流れを大きく変えることができたのだと思うし、案外、何とかなるのではないかと思うのだ。
『あなたが会ってくれないと退屈だ。食事をするのも面倒になってきた』
楽観的に考えながら、手紙を開くと、そんな困ったことが書かれている。私は、微笑みながら返事を書く。
『食事をなさらないなんて。そんな愚かしいことを仰るものではありませんわ。そんなことを仰る方が好きなものなんて……みんな大したもんじゃないと思うようになってしまいますわ』
私はさらさらと返事をしたためる。そして、紙の空いているスペースに、二頭身の楊貴妃さまイラストをいくつもいくつも描いておいてやる。以前にデフォルメされた楊貴妃イラストを送ってあげたところ、「この楊貴妃さまは、愛らしすぎる!!!」といって大喜びをしたのだ。
手紙を開いた彼の顔を想像すると、自然と笑みがこぼれた。