――ああ! あほか。自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
 窮地に立たされた私が思い出したのは、『夜の寝覚』という物語だ。この物語には、男性と関りを持つことを拒む姫君が出てくるのだ。

「あれは私が十三歳のときのことでした。十五夜のお月様があまりにも美しかったから、夜遅くまで、楽器を演奏していたのです。お月様に音楽を聞いていただきたくて。そしたら……そう! かぐや姫の絵巻に描かれているような、不思議な姿をした女性が天から舞い降りてきたのです!!」

 私は、『夜の寝覚』という物語を思い出しながら、一生懸命に言い訳をする。 

「そして、その天女さまが言ったのです!
『美しい演奏をありがとう。素敵な音楽を奏でるあなた! どうかわたくしとお友達になってください』と……。
 その年以来、毎年毎年、十五夜になると天女さまはやってきてくださいましたわ。わたくしは、天女さまから天界のことや未来のことを教えていただきました。そして、今年の十五夜にお会いした時に天女さまが仰ったのです。
『かわいい貴女……。貴女と親しくなったことで、貴女の未来が見えるようになったわ。なんてかわいそうなことなのでしょう! 貴女は男性と関りを持ってはいけない。もしも、貴女が純潔を失うことがあったら、死んだほうがいいと思えるような不幸が訪れるでしょう』と……。
 だから、わたくしは、天女さまの言いつけを守って、純潔を失うまいと、今夜、こんなことをしているのですわ」

 痛いよ……!
 初めて『夜の寝覚』という物語を読んだときに、そう思った。
 天女が出てくるまでは、割とリアリズム小説というか、真っ当な描写が続いていたのだ。リアルな恋愛物語が展開されるのかと思いきや、唐突にファンタジー小説になるのだ。
 「あ、このままだとフツーの恋愛小説っぽいぞ! ちょっと変わった設定をプラスしとく?」みたいな軽いノリで、天女要素を付け足したとしか思えない。だって、この天女は「あなたの音楽を帝にも聞かせてあげて!」という意味深な発言もするのだが、この発言の伏線は一切回収されずに、物語は大団円を迎えるのだから。

「なんと……」

 話を聞き終えた帝もやはり「痛い」という感想を持ったのだろう。驚いたように目を見開いている。
 そりゃそうだ。初対面の女が奇行に走ったあげく、「天女様の言いつけで……!」などと、電波なことを言い出したのだ。普通は引くだろうし、驚きもする。しかも、それが自分の妻なんだもん。終わってる。
 私は、いたたまれないような気分になって目を伏せた。もう! どうでもいいから部屋に帰りたい。しかし、次の瞬間、私は顔をあげることになった。

「……そのようなことがあったのならば、あなたがこんなことをした理由も納得がいく!」
「うぇ!!?」

 え、納得しちゃうんですか!? 嘘やん!
 驚いて帝の顔を見ると、神妙な面持ちで頷いている。
 私は、『夜の寝覚』の作者である「菅原孝標女」を心の中で称えた! 正直なところ、私は彼女のことをずっと三流作家だと思っていた。だって、彼女が書いた『浜松中納言物語』では、以下のような会話が平気で繰り広げられるのだ。

女:実は、私は天人の生まれ変わりだったのです! あなたに出会って、そのことを思い出しましたわ!
男:実は、私もあなたは天人の生まれ変わりだと思っていました。そうでないと、その美しさ、説明できない!
女:ひどいわ! あなたは前世の記憶をすっかり忘れているのね! 私たちは前世でも恋人同士で、天界で愛し合っていたではないの!! そして、悪と戦ったではありませんか! あなたの愛なんてそんなもんなのね。別れましょう!

 なんでやねん! 悪ってそもそもなんやねん! と、げらげら笑ったものだった。なお、上記の模範解答は「男:あなたの前世が天人ならば、私も前世では天人だったのですね。天上界であなたと楽しい時間を過ごしていたはずなのに、思い出せない自分が悔しい!」である。

 あまりにも支離滅裂な話展開だと思っていたが、平安時代の人からすると、「なるほど。これは女が別れたくなるのも仕方がないね!」というふうに思える、秩序立った展開だったのかもしれない。

「……それで、君は、その天人に恋をしてしまっていたりするのかな?」
「へ? いえ、わたくしの前に現れたのは天女さまでして……」

 菅原孝標女に思いを馳せていた私に、帝が不思議な質問をする。いやだなぁ。この人。私の話をまじめに聞いてなかったのかよ。
 私はきちんと「天女」といったはずだ。どうして女同士で「恋をする」という発想になるのか? 平安時代は「LGBTQ」が割と進んでいて、親しい間柄にあるニンゲンがいたら、性別を問わずに恋愛関係にあることを疑うものなのか?

 帝の発言の意味がわからず、私は首をかしげて曖昧にほほ笑む。そんな私の顔を見て、帝は「おやおや」とでも言いたげな得意げな表情を見せている。ちょっとイラっとした。

「天人から聞いていなかったの? 彼らは天上界では「男の姿」をしていて、この下界に降りてくるときだけ「女性の姿」になると聞いているけれど……。だから、君の言っている天女さまの性別も、「男」だと思うけど」
「そうなんですか!?」

 驚きのあまり大きな声が出た。 
 だって、大学ではそこまで深くは習わなかった。確かに、『夜の寝覚』に出てくる天女と姫君のやり取りは少しばかり百合っぽくはあったのだが。でも、もしも天女さまに、ナニとはいわないけれど、汚らしいものがついているのだとすれば、話は変わってくる。嫌だなぁ、ほんと。

「まぁ、諸説あるんだけれどね。それに、厳密にいうと、男でもないとも言える。天人という存在は、性別の両方を有していて、性別が両方あるからこそ、性別がないともいえるような存在なんだよ。そして、彼らには感情もない。すべての感情を有していて、それがゆえに無でもあり、ああ! でも違う! 天人の五衰というふうに……苦しみもあるが、しかし、苦しみゆえに神聖さを失うことになるから――」

 帝は急に早口になってワケのわからないことを言う。なんだよ、この人。天人に詳しすぎるだろう。自分の得意分野のときだけ早口になるオタクみたいではありませんか。

「ああ、すまない……でも、今いったように天人というのは恋心を持つこともあり得るわけだから、その天人は、君のことを気に入ったから、『男と関わると不幸になる』なんて、そんなことを言ったのかもしれない」
「いや、まさか、そんなことはないでしょう」

 私は天人の恋心というものを笑顔で否定する。しかし、次の瞬間、とても良いことを思いついて、言葉をつづけた。

「……天人さまは私のことを愛してはいらっしゃらなかったと思うのです。ですが、帝に言われて気がつきました。私は、天人さまのことをお慕い申し上げておりますわ。もしも、妻になれるのならば、あの天人さまの妻になりたい! たとえ、十五夜の日にしか会えないのだとしても……不毛な恋だとしても、この愛を貫きとうございます!」

 私は力説した! 「異類婚姻譚」といって、お姫様がニンゲン以外の男性に恋をする説話というものが日本には多くある。そして、「異類婚姻譚」では、ニンゲン以外の存在に恋をしている女性を娶ることはタブーとして描かれていたのだ。
 もしも、帝が天人の存在を信じているのだとすれば、天人と交流を持っていて、しかも天人に恋をしている女を妻として肉体的に愛することを忌避するのではないかと思ったからだ。

「そうだろ! そうだろ!! やはり、君は天人に恋をしているんだ」

 帝に私の思いが通じたのかはわからない。しかし、私と天人の恋を応援してくれているようで、不思議なテンションの高さで喜色を浮かべている。

(これは! 成功したのでは!?)

 私は心の中で万歳をする。
 帝は、私と天人の恋を応援しているらしい。帝がヘンなことをしようとしてきたら「天人さまとの愛を貫きたい!!!」といって拒絶すればいいし、しつこくされたら「天人と関わった女を妻にしたら不幸になりますよ?」と脅迫してやればいい。

「もっと天人の話をしたい! 実はね、珍しいお経があるんだ。天人について詳しく書かれているよ」

 帝は、二階厨子と呼ばれる小さな棚から何やら難しそうな経典を取り出した。ああ。嫌だな。私は古文は好きだけれど、漢文はあまり得意ではないのに……。しかも、お経とか。難しい話を聞かされるのは眠たくなるなぁ。
 私はありがたい経典に対して、そんな罰当たりなことを思った。それがいけなかったのかもしれない。罰は速攻で当たった。帝が勢いよく経典を開いた瞬間、ハガキくらいのサイズの紙片がひらりと舞ったのだ。 

「あ、帝。経典から何か落ちましたわ」

 拾った瞬間に、私は「やらかした!」と叫びそうになった。
 それは、なんというのだろうか……平安時代の「萌え絵」とでもいってもいいのだろうか。
 古代中国の衣装を身に着けた、むっちりとした女の人の……その……えらく扇情的な姿が描かれていたのだ。極彩色で。イラストの下には達筆で「楊貴妃」と書かれている。

「うわあああああああ!!」

 帝は私の手から紙片を勢いよくひったくった。その態度を見ていても明らかだ。
 私は確実に見てはならないものを見てしまったのだ。令和の絵を見慣れた私からすると、そんなにマズいものには見えなかったのだが、この時代だと……とてもいやらしい絵ということになっているのかもしれない。

「見たよね……?」

 帝は頬を真っ赤に染めて、涙目になってこちらを見てくる。ああ。困った。帝の弱みなんて握っても碌なことがないに決まっている。 
 とりあえず女の姿には触れなければいいのではないだろうか。そうだ「楊貴妃」とか書いてあったから、彼女の話に持っていけばいいのではないだろうか?

「えっと、楊貴妃ですかね? あの、国を傾けてしまったとかいう……」

 しかし、私のこの発言は一番してはならなかったものだったようだ。
 コミュニケーション能力とは、言わなくてもいいことを言っちゃわない能力のことをいうらしいのだけれど、私はどうもコミュニケーション能力が低いのか、ちょくちょく余計なことを言ってしまう。

「違う!! 違うよおお!! 楊貴妃さまは国を傾けてないよおお!」

 帝は、二階厨子をバンっと殴りつけた。ひぃ。怖いよ。情緒不安定にもほどがあるだろ。羞恥に震えていたのに、次の瞬間には、怒りに震えるのはどうかと思う。

「驚かせてしまってすまない。でも、君も僕と同じだろ? 天人に恋をしてしまっているんだから」

 帝は少し恥じたように言うが、わけがわからない。僕と同じってどういうことですか? まったく話についていけないのですが……。

「おかしいと思うだろう? 私は、13歳の頃に、白楽天の『長恨歌』……それから、陳鴻の『長恨歌伝』を読んで以来……楊貴妃さまが好きで好きでたまらないんだよ。楊貴妃さまに恋をしているんだ」

 なんとこの帝……楊貴妃様ガチ恋勢(、、、、)だったのである。