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(とうとうこの日が来てしまった)
私は女房たちを引き連れて、帝がいる清涼殿に向かっている。
前世の記憶を取り戻して5日後、帝からの知らせが届いた。婚姻に良い日というものが決まったのだそうだ。それは、さらに10日後のことだった。
「まぁ、15日も待たないといけませんの!?」
女房達はそんなことを言い合って不快げにしていたが、私としてはありがたかった。帝に寵愛されないための対策を練る期間ができたのだから。2週間。私は、必死に対策を練った。そして1つの結論にたどり着いたのだ。
(顔を醜くしてしまえばいいんだ!!)
『源氏物語』を思い出す限り、帝は、桐壺更衣の顔が気に入っていたようなのだ。だから、特殊メイクをして、顔を醜くしてしまえばいい!
ただし、この計画には実現困難な点があった。
「ですけど、ようやく日取りが決まったのですもの! 当日はとっても美しくしていきましょうね!!」
当日の化粧は女房達が担当するのだ。そして、彼女たちは、桐壺更衣をピカピカにきれいにしようと張り切っている。しかも、毎日の髪の手入れや肌の手入れも、かなり念入りにされてしまっている。
(とりあえず、打開策は見つかったのに! どうしたらいいんだ!)
私はどんどんと磨かれていく自分を見ていて辛い気持ちになった。このままでは、本当に一目惚れをされてしまう。
(顔を醜くしたい! 特殊メイクをしたい!)
一生懸命になって私を磨いてくれている女房達には悪いが、ひどいことを思っていたのだ。そして、ウンウンと唸っていたところ……とんでもない名案を閃いたのだ!
(そうだ! 「はいずみ」作戦だ!)
平安時代後期に書かれた『はいずみ』という物語がある。
この物語には、見た目はとっても美しいのだけれど、ズボラなお姫様が登場する。
「おしろいを塗るのってダルいわ」などと言うような女子力の低さだったのだけれど、実家が太かったので、身分が高い婚約者がいた。
そして、婚約者に会うときだけは、ばっちりメイクを決めるようにしていた。それで、婚約者とはうまくいっていたのだが、ある日、事件が起きる。
いつものようにスッピンで、だらだらとお姫様が過ごしていたときのことだ。偶然、近くに用事があった婚約者が「近所に来たから、ついでに来ちゃった!」などと言って部屋に上がり込んでこようとするではないか!
成人をしている女が「おしろい」すら塗らずにスッピンでいるのは流石にマズい! ズボラ姫、大慌てで鏡台から「塗おしろい」をとって、鏡も見ずに顔に塗りたくった。
しかし! 普段から化粧をきちんとしていなかったから悲劇が起きる。
彼女が取ったのは「塗おしろい」ではなくて、「はいずみ」という「眉用化粧品」だったのだ。眉を描くための真っ黒なクリームを、おしろいと誤解したまま顔に塗りたくったのだから、もう大変!
お姫さまの顔は真っ黒になってしまって、それを見た婚約者は「悪霊憑きの姫だったんだ! 怖すぎる!!」と逃げていってしまって、婚約は破談になるのだった!
(この物語の真似をしちゃおう!)
私はそう考えた。「はいずみ」という化粧品は、クリームタイプで、紙に包まれている。袖の中や懐の中に、簡単に隠しておける。そして、帝と二人っきりになった瞬間に、隙を見て、サッと顔に塗りたくってしまったら、どうなるだろうか!
「あの更衣は呪われている! いますぐ実家に帰ってもらえ!!」
真っ黒な顔の女が急に現れるのだ。物の怪を信じていた当時の人ならば、大騒ぎしてくれるだろう。
実際、『はいずみ』という物語でも、悪霊に憑りつかれた! という話になって、ズボラ姫の親たちは陰陽師を呼んで悪霊退治をしようとするのだ。ズボラ姫が「悪霊怖いよ!!」と泣いたことで、化粧がボロボロはがれおちて、「おしろい」と「はいずみ」を間違えて塗ったことが判明するのだが。
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「さぁ、更衣さま。帝がお待ちです」
帝がいる清涼殿に到着すると、典侍と呼ばれる女官たちが、「御帳台」の中に入るように促した。「御帳台」とは、天蓋つきの大きなベッドのことだ。天蓋の中には、畳が三枚敷けるくらいのスペースが広がっていて、ちょっとした個室として活用することもできる。
これから帝と二人っきりで「御帳台」の中で過ごすことになる。
私についてきてくれた女房と、帝の女房たちは「御帳台」の中に入ることはできない。私についてきてくれた女房は、私が一人っきりになることが心配なのだろう。不安そうな顔をしている。
私は彼女たちに「大丈夫だから!」と伝えるように微笑んだ。すると、女房達はホッとした顔をしながら、部屋から去っていく。部屋から退出する際に、もう一度、こちらを見てはいた。
「お初にお目にかかります。故按察大納言の息女でございます」
私は顔を袖で隠しながら「御帳台」の中に入る。そして、入り口の近くで、平伏して挨拶をする。
「さぁ、愛しい姫。せっかくお会いできたのだから、もう少しくつろいでくださいな。恥ずかしがらず、顔を見せてください」
若々しい声が聞こえた。帝は、「御帳台」の中央あたりにいるようだ。
今だ!
私は、片手の袖で顔を隠した状態で、もう片方の手で「はいずみ」を顔に塗りまくった。何度かおしろいで練習をしておいたのだ。顔全体にうまく塗れたと思う。
「お会いできて、とても嬉しいですわ。でも、不思議ですわ。初めてお会いするような気がしませんわ。なぜでしょう。帝には、親しみを感じてしまいますわ」
帝に真っ黒になった顔を見せる。彼と目があった。彼は、目を大きく見開いて、驚いたような表情を浮かべている。
しかし、驚いたのは彼だけではない。私も驚いたのだ。だって、彼がとても若かったから。年齢は17歳くらいだろうか。やや小柄だから、中学二年生くらいの少年のようにも見える。
「いったいこれは……」
彼は、私の顔をまじまじと見ている。少し照れくさい気持ちになったのだが、私は上品に身をくねらせて、恥ずかしそうな素振りを見せる。
「そんなにご覧にならないでくださいませ。恥ずかしいですわ!」
おぞましい見た目の女が、奥ゆかしい言動をしたのだ。きっと、帝は、内心では恐ろしい気持ちになっているはずだ。
しかし、意外にも彼はつまらなさそうにため息をついて見せる。その表情には、怯えの色はなく、どこかゲンナリしているように見える。
「それは、誰の命令でやっているの?」
見た目に反して、大人っぽい……冷ややかな声音で帝が尋ねる。私は、ヒヤっとしてしまう。
「わかっている。弘徽殿女御だろ? 他の更衣もそうだった。酷く趣味の悪い着物をきせられている子、派手で下品な化粧をしている子……。聞けば、弘徽殿女御が『更衣なんだから身の程を弁えるのよ。寵愛を得るような姿をするんじゃないわよ』と、圧力をかけていたのだという」
ええええ! もうそんなことやってるんですか!?
私は驚く。『源氏物語』の冒頭部分でも、弘徽殿女御は気性が荒っぽいみたいに書かれてはいた。しかし、物語には、桐壺更衣以外の女性をいじめている描写はなかったのだ。
だが、ただ、書かれていなかっただけで、ちょっとくらいの圧力をかけてはいたのかもしれない。
「やはり、そうなのだね? あなたは、弘徽殿女御から何かを言われたんだ? 君は、これまで見た中で一番ひどい。最大の被害者だね」
私の驚いた表情をどう受け取ったのか。そんなことを言ってくるではないか!
いやいや。私は嫌がらせはされていない。
あ、そういえば、あれが嫌がらせだったのかもしれない。清涼殿に来るまでの道中、「弘徽殿」の建物の前の廊下を通りかかったときのことだ。廊下が見える廂の間という空間に弘徽殿女御の女房達が大勢集まってきて、こちらを見ながら、私の衣装や容姿を品定めするようなことを言っていた。
(あら! かわいい! この時代の女子高生くらいの年齢の子も、令和の女子高生と同じことするのね! 新任の先生とか転校生が廊下を通りかかったら、見に来て騒いじゃうわよね!)
教育実習のことを思い出して、ニコッと微笑みかけたりしてしまったんだけれど……この時代って、姿をジロジロみられるのって屈辱的なことだったはずだ。やっぱり、嫌がらせだったのか? それにしては、かわいすぎないか?
精神年齢22歳の私としては、16歳くらいの女の子が仲良く騒いでいるのを見ると、キュンっとしちゃうのだが。「先生、ちょっと服装ダサいよ!」とかって、若い子からからまれても、何とも思わない。「おしゃれが気になる年頃ね! かっわいいい!!!」となっちゃう。
「あ、いえ……その……」
私はヘドモドしながら、返事をしようとする。そして、ハタっと当惑してしまう。
帝がつまらなそうな表情をしていたから。私のことを見下すような、取るに足りない人間を見るような目で見ている。
(ああ、なるほどね!)
そのときにピンときた。
彼が出会ってきた更衣たちは、みんな権力者におびえていたのだろう。権力者に怯えて、妙なことをする更衣。そんな更衣たちを帝は見飽きてしまっているのだ。
だから、桐壺更衣に対しても「はいはい。いつものですね。あらあら、ヘンなメイクをしてしまって。そんなに権力が怖いの?」という感じで、退屈なものを感じているのだろう。
(はい! そうです! 私は権力者が怖いです。だから、弘徽殿女御さまに言われるようにしました! どうか助けてください)
そんなふうに言ってしまえば、彼からの関心を失えるはずだ。おそらく他の更衣たちも帝に救いを求めたのだろう。いい加減、彼もげんなりしているはずだから。
私は、「弘徽殿女御さま」という単語を口にしようとした。しかし、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
(いやいや。よくない! だって、私は、弘徽殿女御に何かをされていない! 自分の利益のために、誰かを貶めるような嘘をつくなんて……最低だ!)
もしも弘徽殿女御が更衣に「はいずみ」を塗らせた! なんてことが広まったら? 確かに彼女はひどいことをしている悪女なのかもしれないけど、やってもいないことの犯人にされるのはおかしい。間違えている。
「ねぇ! 君、返事できないの!? 弘徽殿女御に何か言われたのかって聞いているんだけど? それとも、そんなに弘徽殿女御が怖いの? 同じキサキなんだけどねぇ」
帝は、私が返事をしないことにイライラとしている。
ああ! もうっ! どうすりゃいいんだ。「自発的にやった!」と言ったら、「なんで? やっぱり弘徽殿女御とかに気を使っているからでしょ?」というふうになって、過度に更衣を追い詰めたということで、結局は弘徽殿女御たちが悪になってしまう。
「弘徽殿女御さまは関係ございません!! 天女さまです! 天女さまに言われたんです!!」
「天女?」