ああ! そうだ。『源氏物語大成』という本だった。私が取ろうとしていたのは、『源氏物語大成』という書名の本だった。私が生きていた世界では、『源氏物語』という作品が、日本文学の聖典としてあがめられていて、私は『源氏物語』をテーマにした卒業論文を書いていたのだった。
『源氏物語大成』という本は、『源氏物語』を研究する上で、絶対に見ておかないといけない資料だった。とにかく分厚い資料で革装丁。天の部分には、金押しもされている豪華で重たい本だった。
『源氏物語』……
その書名を思い出した瞬間、あらすじや名場面の数々が心に浮かんでくる。さすが、大学で研究をしていただけのことはある。しかも、『源氏物語』という作品は、この時代……平安時代を舞台とした古典文学だった。
(わたくしも物語は好きでよく読んでいた。でも、わたくしの記憶の中には、『源氏物語』という作品は存在していない。ということは、これから誕生する物語なのだろうか?)
もしかしたら「名作」が誕生する瞬間に立ち会えるのかもしれないと思うと、私は少しワクワクとした気持ちになった。
『源氏物語』は、光源氏という美しい男性を主人公にした物語だ。
ただ、この光源氏という男は、どうしようもない浮気者だった。そして……そうだそうだ! 確か『源氏物語』にも、桐壺更衣と呼ばれるお姫様が登場するのだ。
(桐壺更衣……。懐かしいな)
彼女のことを私はよく覚えている。桐壺更衣という登場人物は、作中で一番といってもいいくらいに、すごく不幸なお姫様だったのだ。なんせ、物語が始まって、数ページで死んでしまうお姫さまなのだから。『源氏物語』の作中人物の中でも、トップクラスに運が悪いというか、かわいそうというか、気の毒な女の子なのだ。
そんなふうに、桐壺更衣という作中人物のことに思いを馳せていたときだ。嫌な汗が背中を伝った。
(あれ……。おかしいな。『源氏物語』の桐壺更衣とわたくしの境遇って、かなり似てない?)
私は手元にある『◎平安時代の「わたくし」』というメモを見直した。おかしい……。『源氏物語』の桐壺更衣と、わたくしの血筋や実家のある場所。すべてが一致している。
(いやいや。まさかね。私が『源氏物語』の桐壺更衣に生まれ変わったなんて……そんなことはないよね?)
一生懸命、否定をしてみたものの、どんどん鼓動が早くなっていく。
だって、『源氏物語』に登場していた人物たちに、わたくしは心当たりがある。「明石入道」と呼ばれる桐壺更衣の従兄弟、そして「雲林院の律師」という桐壺更衣の兄。そして、桐壺更衣をいじめていた「弘徽殿女御」という女性……。
(嘘だ!! 私、よりにもよって『源氏物語』の桐壺更衣なんかに生まれ変わっちゃったの!?)
叫びだしたいのを必死に抑えた。
令和のファンタジー作品で、マンガやゲームの世界に主人公が転生してしまうという作品は、たくさんあった。そういう話は好きだったし、主人公のことを羨ましく思ったりもした。しかし、これはあんまりだ。桐壺更衣なんて、私が一番なりたくないタイプの女性なんだから。
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『源氏物語』の桐壺更衣――
彼女は『源氏物語』の主人公である「光源氏」の母親なのだ。『源氏物語』という作品のキーパーソンといえる人物だろう。ただ、主人公の母親という重要な立場にありながら、割と早くに死んでしまうのだ。
その原因というのが酷い。身分低いキサキであったにも関わらず、出会ってすぐに帝から異常なまでに愛されてしまって、それで死ぬのだ。
「なんか自分でもよくわからんけど、とにかく好きなんだよなぁ。きっと前世で何かしらの関係があったんだよ!」
帝は、そんなふうに語って、桐壺更衣のことを溺愛し、昼間であろうがお構いなく寵愛(つまりは性交)をするのだった。帝は后を選ばないといけないのだから、后候補である女御たち妃と時間を多く取らないといけない。それなのに、桐壺更衣ばかりと時間を過ごして、后選びを真面目にしようとしない。
「もしかして帝は、桐壺更衣を「后」にしようとしているのか!?」
帝がありえないことをしようとしているのではないかという噂が立ち始めた。そんな噂が立ち始めて、桐壺更衣は、女御や更衣といった他のキサキから、酷い嫌がらせを受けるようになるのだ。
帝のキサキたちは、「桐壺更衣」という共通の敵ができたことで結託し、桐壺更衣の影口を彼女に聞こえるように囁いたり、彼女の衣装を汚したりするようになるのだった。ときには、桐壺更衣は、ボロボロになって帝の前に現れることすらあった。そんな彼女を見て、帝は言うのである。
「かわいそうな女の子って、なんかいいね! グッとくる!」
クズである。
もしもだ。帝が本当に桐壺更衣を愛しているのであれば、彼女が他のキサキたちから憎まれないようにするために、他のキサキたちも平等に愛するようにしなくてはならなかったのだ。
しかし、帝は辛い目に遭っている桐壺更衣を寵愛するばかり。実家での療養が必要なくらいに桐壺更衣が弱ってしまっても寵愛をやめない。「憐れで可哀そうであればあるほどに、桐壺更衣はかわいさが増していって見飽きない!!」というイカれたことを平気で言うのである。
たまに、権力を行使して、女御や更衣を責めたりもするのだが、根本的な解決……つまり、後宮の秩序を維持するためにキサキたちをみな大事にする……ということをしないのだ。
桐壺更衣はやがて『源氏物語』の主人公である光源氏を生む。まぁ、毎日のようにやることをやっているのだから、子どもができるのも当然といえば当然といえる。しかし、帝はそんなふうには考えない。
「僕たちに子どもが生まれたってことは、僕らの愛は前世から続くものということだね!」
平安時代、夫婦の間に子どもができたとしたら、その夫婦の絆は前世から続くもの……生まれ変わる前も夫婦であり、今後、別の何かに生まれ変わっても夫婦として再会できると信じられていた。
子どもが誕生したことで、「神仏にも自分たちの関係が認められた」。そう考えた帝は、これまで以上に桐壺更衣のことを寵愛するようになる。子どもが誕生する以前は、桐壺更衣が実家に帰ることを許していた。しかし、子どもが生まれてからは「里帰り」を一切許さない。
「神仏に認められた夫婦だよ? ずっと一緒にいようよ!」
そして、ある夏の日。弱っていた体に猛暑がこたえてしまったのか、桐壺更衣は病気になってしまう。病気になって苦しい桐壺更衣は、「具合が悪いので実家に帰って休ませてください」と懇願するのだが……
「そんなにしんどいの? 顔色よさそうに見えるし、しばらく様子見でよくない?」
帝は取り合わない。更衣の一番近くにいる帝。本当に彼女のことを愛していたのならば、彼女の異変に気が付いただろうに……。
帝が「様子見でよくない?」「様子見でよくない?」と言い続けている内に、みるみる桐壺更衣の容態は悪化。危篤の状態になってしまう。
平安時代の宗教は神道だ。
神道では、「死」というものを忌避するので、帝の住まいで「死人」が出ることは絶対にあってはならないのだ。したがって、死にそうになっている桐壺更衣は後宮から出ていかなくてはならない。しかし、
「約束したじゃん! ずっと一緒にいるって! 一緒に死んで、次は比翼の鳥・連理の枝に生まれ変わろうっていったじゃん」
帝はぐったりとしている桐壺更衣の体を延々とまさぐり続けて、そんなことを言い続けるのだ。このままでは、帝の住まいで「死人」が出るという一大事が発生してしまう!
周囲の側近や桐壺更衣の母親が、帝から桐壺更衣を引き離して車に乗せて、実家へ向かって出発するのだが……あと少しで実家にたどり着けるところまで来たところで、桐壺更衣は息を引き取ってしまう。
「もしも……もしも、こんなふうな運命を辿るのだと知っておりましたら……」
それが桐壺更衣の最期の言葉になった。
運命を知っていたらどうなのか? 桐壺更衣は、最後の思いすら言い終えることはできなかった。
“桐壺更衣が最後に言いたかったことは何なのか“という問題は、「桐壺巻」の謎の1つで、卒業論文のテーマにもよく選ばれている。
私の友人も、このテーマで卒論を書いていた。彼女によると、「もしも……もしも、こんなふうな運命を辿るのだと知っておりましたら……帝のことをもっと思う存分に愛しておけば良かった!」と、考えている学者が多いらしく、彼女もその方向で論文を書いていっていると言っていた。
しかし、私は思う。「帝に嫌われるように動いていたのに! コンチクショー」とでも続くんじゃないかと。
(ああ! 嫌だ嫌だ! 嫌すぎる!!)
私は、そもそも恋愛があまり好きではない。
デートとかダルいし、誰かと一緒にいるよりも、一人でのんびりと時間を過ごして、自分磨きをしておきたい。男とイチャイチャしたりするのは、時間の無駄だと思っていたし、男に「きみ、かわいいね!」とか言われても、まったく嬉しく思えない質だった。
男からの評価とか正直、どうでもいい。
誰かから肯定されなくとも、私は私だ。自分の価値くらいは自分で上げていくし、自分の好きなことをやって、自分のご機嫌は自分で取っていく。
そんな私にとっては、男から愛されまくって、体をべたべたと始終触られ続けるなんて……! 苦行でしかない。
(よし! 逃げよう!! 全力で逃げよう!!)
私は決意した。帝から寵愛されないように逃げ切ろう! それに、逃げるということは、桐壺更衣の親兄弟たちにとってもいいことなのだ。
桐壺更衣には「兄」がいたのだ。まず、この兄だが、惨たらしい死に方をした妹の菩提を弔うために出家して、寺に入ってしまう。
そして、桐壺更衣の母親が一番可哀そうだ。
夫には先立たれ、娘も悲惨な死を迎え、息子は坊主になった……という辛すぎる状況に我慢ができなくなって、鬱になってしまう。家の掃除すらできなくなって、屋敷は「あばら家」になる。
更衣の死から数年後、「ああ、孫が心配だ! こんなことなら娘をキサキになんてしなけりゃよかった」と後悔しながら死ぬのである。あばら家のゴミ屋敷で! 数え年なら六歳……今の年齢ならば、まだ五才にもなっていない幼い孫に看取られながら……!
(わたくしのお母さままで不幸にしてはいけない!)
私はたぶん地震で死んでしまったのだろう。私は死んだけれど、もしも両親が生きていたら?
私は一人っ子だったのだ。きっと両親は泣いたであろう。苦しい気持ちになったことだろう。正直、そのことを考えただけで、つらくて、泣きたくなる。
前世でそんな最期を迎えてしまったのだ。
せめて、今世は、しっかりと天寿をまっとうして、お母さんを看取ってあげたい! きちんと兄もつれてきて、二人でしっかりと親を看取ろう。
(それに……わたくしを救うことができたら、令和に帰ることもできてしまうのでは?)
令和の私は、記憶が正しければ『源氏物語』の本につぶされて死んだのだ。
しかしだ。わたくしが『源氏物語』の世界を逃げ切ったら、主人公の光源氏という男は誕生しなくなる。つまり、『源氏物語』という本がこの世からなくなってしまうわけだから……
(私が『源氏物語』の本につぶされるという未来も消え去ることになるのでは? だって、そんな本自体が存在しなくなるのだから)
桐壺更衣として天寿を全うしたら、令和の女子大生に戻ることもできるかもしれない!
もちろん、そんなにうまくいくとは思えない。しかし、私はまだまだやりたいことがあった。卒論だって書けていないし、塾の教え子たちの進路も見届けていない。担任をする予定だった高校生たちにも会いたい! 初めて担任する子たちなのだ。どんなにかわいいことだろう!
私がしようとしていることは無駄なことなのかもしれない。
でも、それでも私は生きていたいのだ。生き返る可能性があるのならば、なんだってしたいのだ。