馬に乗るのは好きだった。護衛の家臣を撒いてたった一騎で草原を駆けていると、鬱陶しい日常を忘れてしまう。もう屋敷に戻らねばならない時刻だが、寿王は構わず駆け続けていた。
突然丘の向こうから一騎が現れ、寿王に並んで走った。乗り手を見て、寿王は驚いた。
「蒼天」
「私も馬は得意ですよ。競走します?」
「あれから菓子を食べに来ないな」
「相変わらず甘いものばかりじゃないですか」
来てはいるんだな、と寿王は知った。
「僕がよく遠駆けするのを知っていたか」
「寿王様の事は、皆がよく知っていますよ。何をすれば喜び、また怒るのか。ご機嫌を取るためにですけど」
寿王は苦笑いして言った。
「じゃあ、お前は違うな。せっかくの僕の自由時間を、邪魔しているんだから」
「たまには面白いでしょう、邪魔をされるというのも」
蒼天は悪戯っぽく笑った。馬上では誰もが同じ目線になる。その自然さが、寿王には心地よかった。取り巻きどもが下から見上げて来る媚びた目線は、いつも気味悪く感じている。
しばらく二人で駆けた。速度を落とし、互いの事を語り合った。
蒼天は寿王と同じ歳だった。親は一応貴族の出身で、娘の将来を思い、寿王の屋敷に勤めさせたという。
「礼儀作法を身に付けて、早く嫁に行けと父に言われました。妹がすでに嫁いでいましたから」
「身に付いたか?」
寿王が聞くと、蒼天は高い声で笑った。
「全然。その気もありません。身に付けなければ、嫁に行かずに済むんですから」
そう聞いて寿王も大いに笑った。この奔放な娘には、お高い貴族の生活など窮屈なだけだろう。
「うらやましいな。僕は男とはいえ、お前のように自分を解放して生きる事はできない」
「皇帝の子という立場であれば、誰でもそうなるでしょう。お察しします」
「皇子は僕だけじゃないのにな」
「お母上が、いろいろ動いているという噂を聞きます」
これを聞いた寿王は、蒼天から目を逸らし、虚しく頷いた。
寿王の母は、現在のところ皇帝に最も寵愛されている婦人だった。彼女は野心も強く、いずれ寿王を跡取りにさせようと考えているのを、寿王も感づいていた。ただ、目の前でそれをはっきりと教えてくれたのは、蒼天が初めてだった。
寿王が言った。
「僕の名前は、李瑁だ。寿王というのは爵号だ」
「知っていますよ」
「お前も、姓は李だな」
「……ええ」
李蒼天は、そう答えて俯いた。この短いやりとりには、深い意味が込められていた。
同姓の結婚はしないのが、この国の古くからの習慣であった。同姓は同族と見るからである。寿王は、「お前を迎えたいが、それは無理だ」と言ったのだ。蒼天も、その気持ちを理解したようだった。
ほんの一瞬だけ燃え、すぐに消えた想いだった。
少しして、蒼天が急に頭を上げた。明るい目をしていた。
「あ、やっぱり李の姓で良かった。寿王様の身内になったら、宮中のどんな陰謀に巻き込まれる事か!」
「お前、はっきり言い過ぎだぞ」
寿王は苦笑しながら、蒼天の横顔を見た。蒼天はまっすぐ前を向き、その瞳には一点の曇りもなかった。
蒼天が何も言わずに、馬に鞭を入れた。彼女の馬は急に速度を上げ、風のように去って行った。
その蹄が蹴り起こした草と土の香りを感じながら、寿王は静かに蒼天を見送った。
突然丘の向こうから一騎が現れ、寿王に並んで走った。乗り手を見て、寿王は驚いた。
「蒼天」
「私も馬は得意ですよ。競走します?」
「あれから菓子を食べに来ないな」
「相変わらず甘いものばかりじゃないですか」
来てはいるんだな、と寿王は知った。
「僕がよく遠駆けするのを知っていたか」
「寿王様の事は、皆がよく知っていますよ。何をすれば喜び、また怒るのか。ご機嫌を取るためにですけど」
寿王は苦笑いして言った。
「じゃあ、お前は違うな。せっかくの僕の自由時間を、邪魔しているんだから」
「たまには面白いでしょう、邪魔をされるというのも」
蒼天は悪戯っぽく笑った。馬上では誰もが同じ目線になる。その自然さが、寿王には心地よかった。取り巻きどもが下から見上げて来る媚びた目線は、いつも気味悪く感じている。
しばらく二人で駆けた。速度を落とし、互いの事を語り合った。
蒼天は寿王と同じ歳だった。親は一応貴族の出身で、娘の将来を思い、寿王の屋敷に勤めさせたという。
「礼儀作法を身に付けて、早く嫁に行けと父に言われました。妹がすでに嫁いでいましたから」
「身に付いたか?」
寿王が聞くと、蒼天は高い声で笑った。
「全然。その気もありません。身に付けなければ、嫁に行かずに済むんですから」
そう聞いて寿王も大いに笑った。この奔放な娘には、お高い貴族の生活など窮屈なだけだろう。
「うらやましいな。僕は男とはいえ、お前のように自分を解放して生きる事はできない」
「皇帝の子という立場であれば、誰でもそうなるでしょう。お察しします」
「皇子は僕だけじゃないのにな」
「お母上が、いろいろ動いているという噂を聞きます」
これを聞いた寿王は、蒼天から目を逸らし、虚しく頷いた。
寿王の母は、現在のところ皇帝に最も寵愛されている婦人だった。彼女は野心も強く、いずれ寿王を跡取りにさせようと考えているのを、寿王も感づいていた。ただ、目の前でそれをはっきりと教えてくれたのは、蒼天が初めてだった。
寿王が言った。
「僕の名前は、李瑁だ。寿王というのは爵号だ」
「知っていますよ」
「お前も、姓は李だな」
「……ええ」
李蒼天は、そう答えて俯いた。この短いやりとりには、深い意味が込められていた。
同姓の結婚はしないのが、この国の古くからの習慣であった。同姓は同族と見るからである。寿王は、「お前を迎えたいが、それは無理だ」と言ったのだ。蒼天も、その気持ちを理解したようだった。
ほんの一瞬だけ燃え、すぐに消えた想いだった。
少しして、蒼天が急に頭を上げた。明るい目をしていた。
「あ、やっぱり李の姓で良かった。寿王様の身内になったら、宮中のどんな陰謀に巻き込まれる事か!」
「お前、はっきり言い過ぎだぞ」
寿王は苦笑しながら、蒼天の横顔を見た。蒼天はまっすぐ前を向き、その瞳には一点の曇りもなかった。
蒼天が何も言わずに、馬に鞭を入れた。彼女の馬は急に速度を上げ、風のように去って行った。
その蹄が蹴り起こした草と土の香りを感じながら、寿王は静かに蒼天を見送った。