「……! …!!」

真っ暗闇の中、なにか、怒鳴り声が聞こえる。次の瞬間、腹に痛烈な痛みが走った。

「……っ!」

朱音は咳込み、瞼を空けた。視界には男性のものと思しき着物の裾と、真っ白な足袋を履いた足元が見える。

「朱音! いつまで寝てるつもりだ! さっさと仕事をしないか!」

鬼の形相をした男性はもう一度足を上げ、朱音の腹を蹴った。圧迫感にごほっともう一度咳込む。しかし。

(えっ……? ここは……。というか、私、生きているの……?)

男性に睨まれながら、朱音は起き上がって辺りを見渡す。そこはかつて朱音が生活していた屋敷の使用人部屋だった。朱音はおもむろに自分の顔を両の掌でぺたぺたと触る。触れた頬はあたたかく、とても自分が死人だとは思えない。それに。

「なにをやっている、朱音! 食事の支度がまだだ! 一華も学校に行かなければならん! お前の身分で自分の身支度をする暇があると思うな!」

怒鳴って、もうひと蹴りするのは、確かに父だ。蹴られているのだから、父には朱音が見えているし、触れるのだ。この状態で自分が魂だとは思えない。

「お……、お父さま、あの、私は……」

私は生きているのですか。
そう問おうとした時、もう一度蹴られる。

「父などと呼ぶなと言っただろう! 能無しのくせにぐずぐずするな! お前は言われたことだけ黙ってやっておればいい!」

最後に一喝して、父は薄暗い部屋を出て行った。ぽかんと見送る視線の先の開け放しの襖の向こうには、一華の楽しそうな声やそれに相槌を打つ母の声など、高槻家の日常の音が溢れていて、そこで朱音は漸く我に返った。

(よ……、よく分からないけど、兎に角私は生きているんだわ……。でも、確かに幽世で死んだと思っていたのに、高槻家に戻って来ている……?)

疑問は尽きないが、兎に角いま、高槻に居るのだったら、やることは決められている。朱音は急いで部屋を飛び出た。