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屋敷の庭に宴席が設けられている。上座には天羽と一華が座し、これから祝宴の儀が始まる。屋敷のものや、そうでないものたちも、この宴に参加するために集まっている。朱音も末席ながら参加を許され、天羽から贈られた鳳の着物を着て、宴席の隅から天羽たちを見守っていた。
静寂の中、さわさわと庭木を揺らす風に乗って、日輪月輪の使者である天女が漆黒の夜空から星をまき散らしながら舞い降りてきた。天羽が彼女らに朗々と告げる。
「日輪月輪あまたの星々に願い出る。誓いの杯を交わし、我が妻を神嫁として認めたまえ」
天女たちは頷き、それを合図に鞠たちが杯を持ってくる。恭しく掲げられた朱塗りの蝶足膳には銀塗りの杯が載っている。誓いの杯だ。前世で朱音は、あれを口にして命を落とした。続いて参列者にも杯が配られる。
(なにも予感がしない。大丈夫なのかしら……。天羽さまの花嫁が、私じゃなく一華さんだから、天から認められたのかしら……)
鞠が天女にこうべを垂れ、つぎに天羽にこうべを垂れた。頭を下げたまま天羽と一華の前に膳が置かれる。朱音の前にも白磁の杯が用意されたが、朱音は一華の前にある杯が気になって仕方がない。そわそわと何度も一華と杯の間に視線を走らせる。
天羽が一華に目配せをした。過去が思い浮かぶ。割れた杯。参列者の悲鳴。遠のく天羽の悲痛な叫び。なにかが、見える……!
「待ってください!」
気が付くと、大声を出していた。その場にいたすべてのものの視線が集まる。はあはあ、と肩で息をしていた。天羽が静かに、一華は訝し気にこちらを見た。
「だめ……、です……、一華さん……。その杯には……、毒が入っています……!」
ざわざわっと列席者に動揺が走る。一華が目を見開いて、立ち上がった。
「なんて嘘を言うの! 私が神嫁に選ばれるのが、そんなに悔しいの!? だから誓いを妨げようとするんでしょう!? おあいにくさま。私はそんな脅しになんて負けない。私こそが天羽さまの妻、神嫁よ!」
一華はそう叫ぶと、杯の中身をグイッとあおった。からん、と杯が床に落ち、転がる。
真っ青になった朱音が見守る中、一華はくっと顎を上げ、高らかに笑った。
「あは……、あはははは! 何が毒よ! 何も起こったりしない。卑怯な手で婚姻の妨げをするお姉さまなんて、居なくなってしまえばいいんだわ!」
愉快そうに上座から朱音を見下す一華を、朱音は安堵の気持ちで見ていた。
(よかった……! 一華さんも天羽さまもご無事だった……!)
この十日間、この時を乗り越えるためだけに幽世についてきた。朱音が未来を知っている時間はここまでだし、一華が誓いの杯を交わしたなら、朱音はもはや一華にとって用済みだ。潔く現世に帰って、あの老人の許へ行こう。
「ご列席の皆さま、宴を進めましょう。祝いの杯を、傾けてはくれませんか?」
勝ち誇った一華が微笑みを浮かべてみなに促す。朱音も着座し、目の前の杯を手に取った。口にしようとして透明な液体に映る自分の顔を見る。なんだろう……? また、なにかが、見える。杯を傾けることを躊躇した、その時。
スパっと、朱音の手元を風が斬った。白磁の杯が二つに割けて床に砕け散る。祝い酒が床に零れ、黒い煙を上げる。床が、真っ黒に焦げていた。参列者の中から悲鳴が上がった。
ああそうだ。割れた杯。参列者の悲鳴。そして……。
「愚か者めが。我が妻に二度、毒を盛った罪は重い。覚悟は出来ているか」
天羽がギラリと光る剣の切っ先を、一華の喉につきつけていた。そのまなこは氷よりも冷たく、一華を蛇蝎のごとく睨みつけている。
「あ……、天羽さま……。な、なにを……」
対する一華は蒼白の上、脂汗まで滲ませている。恐怖にごくりと喉を動かせば、刃の先が触れて、つ、と血がにじみ出た。
「人は騙せても神は騙せない。人が自らの異能で神を操ろうなど、言語道断。お前が覚えていない過去の罪まで、今生で償うが良い」
ひゅっと切っ先が天を仰ぎ、揮い降ろされるかに見えた。
「待ってください!」
朱音は渾身の限り叫んだ。天羽の刀がぴたりと止まる。
「まって……、ください……。今生の天羽さまの花嫁さまです……。お、お慈悲を……」
前世で朱音は祝杯の宴に倒れた。今生では一華が祝杯をいただいた。であれば、前世は間違いで、今生が正しいのでは……? 朱音の混乱に、天羽が穏やかなまなざしを向ける。
「朱音。君は過去を覚えているのだな。何故もっと早くに言ってくれなかったのだ。そうであれば、君を不安にさせたりしなかったものを」
天羽は朱音の所へ歩み寄り、そっと朱音を抱き締めた。そして、聞きなさい、と静かに言う。
「君が前の生で毒杯に倒れた後、俺は犯人であるこいつを斬ろうとした。しかしこの女は卑怯にも幽世から現世に逃げ帰ろうとしたが、捕らえようとした鞠から逃げおおせる途中で、幽世と現世のはざまに嵌り、結果的には死んだ。しかし俺から最愛の君を奪ったこいつに対する憎しみは消えなかった」
前の生での一華の顛末を知って驚く。前の生で幽世に来てから、親切に嫁に入るとは、等の知識を教えてくれていたのに。
「そして君の転生を知った。しかし二度目の生で君に会うための手がかりが得られなかった。君が、持って行ってしまったからだ」
いとおしさを隠しもせず、天羽が朱音を見つめる。暑い眼差しに、鼓動がどんどん早くなっていく。
「一度目の生で会った時、君が俺の羽根で出来たアクセサリーを拾ってくれたことを覚えているか。あれは俺の対を探すための羽根だった。鳳は対の凰を探す。世にとこしえの平和と繁栄を授けるために。その力である羽根のアクセサリーに君が触れた途端、羽根は君の中に吸い込まれて行った。いいか、鳳は対である鳳を己が力で探す。一度絶たれた君の輪廻に、羽根の力が付いて行った。だから君の二度目の生も分かった。俺はあの夜会で君と会うのを待ち焦がれた」
天羽が朱音の髪の毛を頭部から梳き、頤へと指を滑らせた。天羽の指先の温度に頬がかあっと熱くなり、それと同時に体内で脈動する何かを見つけた。心臓ではない。別のなにかだ。
「しかし、俺の前にこいつが現れたのだ。憎き君の敵。湧き上がった憎悪に任せて、あそこで斬っても良かった。しかしこの生のこいつは己が罪を覚えてない。その生の罪なきものを、俺は処罰できない。それで君の前でこいつの罪をつまびらかにし、処刑しようと思った。君の無念を晴らすために」
言いながら、ぎろりと一華を睨みつける。対する一華も天羽を睨みつけていた。
「君がこいつの周りで起こる怪異が分かったのは、俺の羽根を持っているからだ。同属の行いくらいは察知できる力が、君には備わっている。しかし、その力も人の謀略の前では無力だ。俺の力と感応しないからだ。しかし、今、君は、自分に起こる未来を見たね?」
未来? 杯の酒を見て、予感したことだろうか。
恐る恐る頷くと、素晴らしい、と天羽は朱音をもう一度抱き締めた。
「羽根の力がきっかけだったのかもしれないが、君には先見の力が眠っていたんだな。おそらく、それは凰の力だ。鳳と共に在り、とこしえの平和を導くための力。それが開花したのだ。君の、たえなる願いを、日輪月輪が聞き届けたんだ」
朱音は思い出す。前の生の最期に願ったことを。
――――『出来ることなら。生まれ変わっても、あなたのお傍に居られますよう』
だから、毒杯を飲むことを躊躇うことが出来たのか? 朱音は不思議な気持ちで天羽の言葉を聞いていた。
「ああ、朱音。望んでくれて、ありがとう。君が願わなければ、君のこの生はなかったかもしれない!」
歓喜する天羽が朱音を強く抱き込む。天羽から一華を引き受けた鞠が深く頭を下げた。
「朱音さま。先程はこやつの企てに乗り、犯人扱いしてしまい、申し訳ございませんでした。こやつは魅了の力が私たちに通じたと思っていたようですが、そもそもこやつ程度の魅了の力なぞ、私たちには痛くもかゆくもない。天羽さまの命とはいえ、天羽さまの妻である朱音さまに対する無礼への処罰、いかようにも受けます」
「なんですって!? あんた、確かに魅了されたはずだったのに……!」
一華が大声を上げたが、後ろ手に縛りあげられている状態で頭を床に押し付けられて、屈辱的な顔をしている。
「さあ、朱音。この罪人の処遇をどうする。俺は前の命と今生での二度の神と神嫁への冒涜として、切り刻んでやってもいいと思っているが」
天羽が露ほどもおおごとと思っていない顔でそんなことを言うので、朱音は蒼白した。
「とんでもございません! 今生は一華さんが居て下さらなかったら、私は幽世に来ることは出来ませんでした。どうかお慈悲をいただけませんか……」
朱音の言葉にまたも金切り声を上げたのは、一華だった。
「お姉さまに同情してもらう位なら、死んだほうがましだわ! さっさと斬りなさいよ!」
それを見た天羽がふむ、と思案した。
「自尊心の高いきさまには、ここでの死より、現世に戻ってあの好色老爺に好きにされる方が罰になりそうだな。それに高槻は神嫁たる才を持った君を不当に扱っていたから、朱音の再度の嫁入りを考慮しても、相応の仕置き必要だ。よって、高槻は爵位はく奪とし、地方へやる旨、帝に進言しておこう」
天羽の言葉に、一華以外の満場の拍手が送られる。一華は会場が大騒ぎから一転、祝福の様子に変わっても、わめき続けたため、鞠によって連行されてしまった。