「朱音、来なさい」

そう言って朱音の手を取り、店の中に入る。店内には所狭しと美しい品々が並んでいた。貴金属、洋傘、洋靴、レースのリボン。さまざまな洋物は朱音の目に目新しく映る。品々をきょろきょろ見渡す朱音を連れて、天羽は二階の呉服売り場に来た。やはりずらりと並ぶのは、圧巻の高級な着物や反物だ。

「どうだ、気に入るものは何かあるか」

朱音を連れてきた天羽は、そう言った。一華にあつらえるなら、やはり大柄のものが良い。

「そうですね……。一華さんは華やかなお召し物を好まれますので、柄の大ぶりなものや、流行りのアールデコ風がよろしいかと思います」

アールデコ、という言葉も、高槻で一華が朱音に得意げに言っていた言葉だ。しかし天羽はきょとんとして、違うぞ、と言った。

「君に、贈るのだから、君が好きなものを選びなさい」
「えっ!? わ、私ですか!?」

何故付き人などに着物を買い与えようと思うのだろう。混乱する朱音に、天羽は微笑んだ。

「屋敷でいつも粗末なものを着ているだろう。君が遠慮するのは分かるが、あれは良くない」

つまり、天羽の妻の付き人として相応しくない、ということだろうか。確かにこうやって一華に付き添って出て来てみれば、帝都の真ん中で自分の成りだけ浮いているのは分かる。これでは一華が朱音を伴いたくないのも分かるし、彼女を伴う天羽も、妻の付き人としての品位を憂慮したのかもしれない。確か前世の時も、朱音が天羽に着物を贈られたことがあり、その際に一華も買ってもらっていた。

「も……、申し訳ございません……。考えが及ばず……」
「いや、実はそれは言い訳で、ただ俺が君に贈りたいのだ。幽世(あちら)では大変だろうからな」

微笑む天羽のまなざしは、まるで前世の時のようだった。勘違いしそうになって、走る鼓動を押さえられない。

(勘違いしては駄目よ、朱音……。天羽さまは一華さんの付き人として、一華さんをお守りしている私の働きを認めて下さっただけで、私自身になにかの感情があるわけではないわ……)

ぐっと奥歯を噛んで、自分に言い聞かせる。天羽は反物の棚の前に立ち、どれがいい、と問うた。

「いえ、私は、なにも分かりませんので……」

そう言って、しかし唯一天羽から贈られるのであれば、彼ゆかりの柄が良い。

「あの……」
「なんだ」
「……あの、出来れば、あの、水色の鳳の柄のものが良いです……」
「ほう、手巾の刺繍と同じ柄か」

言い当てられて、恥ずかしくなる。鳳の化身である天羽を想い、挿した柄と同じ文様を希望した。鳳の刺繍は前世でも天羽に贈っており、みんなの記憶にはなくとも、朱音の記憶にだけは残っている、天羽とのあたたかい時間を思い、挿したのだ。
普通は豪華に彩られる鳳の着物だが、見つけた反物は水色地にぼかした川の文様が描かれ、その際に小さな撫子が咲き並び、反物の真ん中くらいに小さな鳳の染めがあるものだ。控えめな柄だが、これで仕立てられた着物を貰えるのだと思うと、胸が高鳴る。

「ふむ。良い品を選ぶな。宜しい、少し待っていなさい」

そう言って天羽は店の店員に用事を言いつけに行った。どこか楽し気に奥へ行く天羽とは反対に、ふう、と高揚した気持ちを抑えようと努力するのは、朱音だ。

(そういえば、前世では幽世に業者の方がいらっしゃったのだったわ……。こんな出来事も、一華さんと入れ替わると違ってくるのね……)

その着物も、届けられた翌日に箪笥ごと水浸しになるという怪異が起き、朱音は着物の洗濯に大わらわしたという思い出もある。

(私のあと少しの自由な人生は、天羽さまのご配慮で喜びの色に染まるわ)

たとえ祝宴の儀を迎え、現世に戻されてあの老人の所へ行かなくてはならなくても、天羽を想った気持ちだけは、輝き続けるだろう。

(大丈夫。心を強く持てば、どんな境遇でも耐えられるもの)

なにもなかった高槻での人生も耐えられたのだ。心の支えがあれば、なおのこと。
朱音は天羽たちと共に微笑みながら帰途についた。