昼間。
「セシル様、お隣よろしいですか」
「そうだレイ、この前の物理魔法の講義のことなんだけど」
夕方。
「セシル様、少しお散歩しませんか」
「ケイト、うまく火がつかないから魔法貸して」
夜。
「セシル様、あちらの方が月が綺麗に見え」
「いい加減しつこい」
空気が涼しくなりはじめた庭に、セシルの冷たい声がよく響いた。メアリは分かりやすく傷ついたような顔をして、取り巻きの女をちらりと見やる。
昼間からずっとメアリの雑談を無視しているのに、何度も何度も話しかけてくるのだ。無視されているのが分からないはずがないだろうし、「どれだけ自分勝手なのか」という苛立ちばかりが湧き上がる。
「でもセシル様、無視するのもあんまりですわ」
「そうですよ、メアリさんが可哀そうですよ」
女子たちがセシルに詰め寄る。彼女たちもまとめて嫌いになりそうだったが、女の中にはこういう生き物もいたと思い出す。自分たちの存在価値を守るために群れて、「自分の友達が傷付けられている」ことばかりに目を向ける。なぜその友達が傷付けられているのかを無視して、相手ばかりを責める。世の中そういう女ばかりではないのは分かるが、セシルが関わる女にはそういった人が多くてうんざりする。
その点、フィオナは清らかだと思う。彼女は群れることを知らない。誰かのために盲目になることも、その盲目さから来る贔屓も知らない。親にも使用人にも取り入ることのできない不器用さは、その正直な心を表しているようで、触れていると安心する。
レイには悪いが、早く帰りたい。帰ってフィオナと話したい。そうずるずると逃避していると、いつの間にか近づいていた男子二人が肩を組んできた。二人分の腕の重さがのしかかり、思わず眉を寄せる。
「またセシル、女子にモテてる。いいなあ」
「モテてないよ、勘違いはやめて」
「囲まれておいてよく言うぜ」
このクラスメイトたちも、大概面倒くさいと思う。「モテる」や「女子に好かれる」の話にならない限りは至極全うな人物たちなのだが、セシルやレイが女子に囲まれているのを見かけると、羨ましいとばかりに絡んでくるのだ。
二人に半ば引きずられるようにして女子たちから引き離される。それから肩にのしかかられたまま、メアリについてどう思っているのかを正直に教えて欲しいと言われる。二人の目がぎらぎらとしているであろうことが見なくても分かって、舌打ちしたくなるのを堪えなければならなかった。
「どうも何も。見てて分かるでしょ、あの女嫌いなんだよ」
「何で、美人じゃん」
美人にモテたい。クラスメイトがたびたびぼやいていた言葉が頭に蘇り、抱えていた苛立ちが膨らんでいく。
「ただ美人なだけの女に興味なんてあるか」
次第に言葉が荒くなってくる。クラスメイトを前に繕っている仮面が剥がれていく。
「もしかしてセシル、好きな子いるのか?」
「そうだよ。メアリなんかよりずっとずっと心の綺麗な人だ。あいつに興味が湧くはずないだろ」
しまった。そう思った時にはもう遅い。肩が急に軽くなり、クラスメイトたちが走っていく。行く先は当然のようにメアリたちの集団の場所だ。
「今の、聞いたか」
男子二人の声は明るい。これで自分たちにチャンスが巡ってきたと信じている声色が、セシルの脳に響く。失望したようなメアリの取り巻きの表情がこちらに寄こされて、セシルの中で何かが切れた。
「うるさいんだよ、お前ら」
近くにある湖に指先を向け、それから男子二人がいる場所を指し示す。セシルの指の動きに合わせて水面がひきずられ、ばしゃりと二人に水が降りかかった。女子たちに水がかからないようにしたのはせめてもの情けだが、全員まとめて水浸しにしてやりたかった。
しんと場が静まり返る。またやってしまった、と気が付いたのと、家の中にいたレイが庭に現れたのは同時だった。
「あーあ、セシルやっちゃったね」
宿泊会は微妙な雰囲気のまま二日目を迎え、予定より早く解散となった。後片付けをしながら、セシルはレイに再び頭を下げた。
「ほんとうにごめん」
「いいよ、気にしなくて。メアリさんが来たときから予想してたから。むしろあの時助けてあげられなくてごめんね」
分かっていたなら最初から帰してくれたらよかったのに。そんな考えが一瞬よぎるも、宿泊会を台無しにしたのは自分だ。それに実際に口にしたところで、「僕が居て欲しかったから」なんていう答えが返ってくるのは想像がついた。
「アンナさんがあの時僕にやたら話しかけてきてね。嫌な感じがしたんだ」
セシルの魔法が発動するのを感じ取って、嫌な予感が確信に変わったという。それから水がひっくり返る音がして、ようやくメアリの取り巻きを振り払うきっかけができた。外に出てみたらセシルが怒りのまま魔法を使った後だった、ということらしかった。
「僕を捕まえていたのもメアリさんの作戦だろうね。ケイトくんたちまで混ざるのは想定外だったろうけど」
災難だったね、とレイは肩を叩いてくる。
「やっぱり宿泊会は僕とセシルだけでやるべきだったなぁ。少なくともメアリさんがセシルを諦めるまでは無理だね」
「あの女諦めてくれるのかな」
セシルがソファーに寄り掛かると、レイはくすりと笑った。
「いっそ僕が盗ってもいい?」
先ほどまで一緒にいたクラスメイトの発言であれば笑っていただろうが、レイが言うと冗談には聞こえない。この男にはそれだけの美貌も権力もある。一族の中で権力争いに揉まれているのだから、そこで生き抜くだけの強かさも持ち合わせているはずだ。ただそれを指摘する気にもならず、セシルの口からは投げやりな言葉が零れた。
「いいよ、好きにしてよ」
「じゃあ貰うね」
レイの顔色は変わらない。メアリを望んで手に入れたいというよりは冗談で言っているようにも見えるし、あの女に何か価値を見出しているようにも見える。仮に何か価値があるとすれば、この友人はいずれ教えてくれるだろう。
「疲れただろうから、そろそろ僕たちも解散しようか」
「次会うのは補講の時かな」
「多分ね」
レイはもう少し別荘に滞在してから帰るらしい。彼に送り出され帰路を歩き出すと、ぱたぱたと足音が近づいてくる。その方向を見ると、あのピンク色の瞳がこちらを見ていた。
「待ち伏せするなんて、気持ち悪い」
どうやら彼女は一人らしく、取り巻きの姿は見えない。それを良いことに悪態をつくと、メアリはその表情を悲しそうに歪ませた。わざとらしい動作が腹立たしい。
「あの、好きな人がいるのですよね」
「だから何だよ」
メアリが距離を詰めてくる。
「もう付きまとわないので、せめてその人のどんなところが好きか教えてくださいませ」
好きな人が誰かを聞くわけでもなく、どんな人が好きかを聞くわけでもない。まるでセシルの想い人が誰か理解しているような口ぶりだ。しかしメアリがフィオナのことを知るはずがない。フィオナのことを守り続けているのはセシルだ。秘密が漏れるような失態は冒していないはずだ。
「ね、どうか」
動揺している間に、想像より距離を詰められていた。手をとられ、包むように握られる。ぞわりと背筋が冷えたのと、触れられた場所から何かが弾けるような痛みがあったのは同時だった。
魔力が最初に流れるときは、静電気のような刺激が走る。今出会った刺激は、体内に魔力が流れ込んできた証拠だった。
この女、「聖女」か。
魔力の譲渡に求められる最も重要な条件は、魔力の系統が似通っていることだ。しかし使える魔法も魔力も血が影響する部分が多いため、魔力の供給ができる相手は親族に限られることが多々ある。
ただ、極々稀に、誰にでも魔力を与えられる人間が存在する。それは聖人や聖女と呼ばれ、セシルのように魔力を持たない人間や、消費の激しい勇者たちに重宝されるのだ。
聖女も聖人も、国に一人二人いるかどうかだ。まさかこんなところにいるなんて思いもしなかった。
「私の秘密も教えましたわ。これでいいでしょう?」
手を握る力が強くなったと気が付いたとき、咄嗟に振り払っていた。
「触るな」
昨日怒りのままに消費した魔力が、もう元に戻っている。魔力の供給にかかる時間がフィオナよりもずっと少ない。
こんなこと、知りたくなかった。フィオナだけから与えられるものに、ずっと溺れていたかったのに。自分がいつまでも抱えていられると思い込んでいた幻想は、こんなにもあっけなく壊された。
自分の命は双子の姉に握られている。そして彼女の生活も自分が握っている。セシルしか頼ることのできない彼女を愛して甘やかして、その情を引き出すのが自分の人生だと思っていた。
不自由な生活だろうと、父はセシルの人生を憐れみ嘲笑う。しかしセシルは自分の生き方を苦しいと思ったことはなかった。彼女と寄り添って生きるのが幸せで、互いの命や人生を握っているという事実に、満たされてきたのだから。
しかしその幸せに、穴が開けられた。フィオナが作り出した「情」で満ちていた身体に、異物が入り込んだことが許せなかった。
「もう俺に関わるな」
メアリを置いて、その場を去る。途中から走り出したい気持ちに負けて、怒りを散らすように道を駆けた。
怒りをぶつける正当な理由がほしい。この感情をぶつけて良いものが欲しい。このまま家に帰れば、フィオナからの愛情を貪りたいという欲に負けてしまう。せめてこの怒りをそぎ落してから家に帰りたい。
そうだ、父に頼まれた仕事があった。邪魔な男を殺してくれという、彼の私情にまみれたものだった。
丁度いい。そんな言葉が浮かんだ。殺しの際に魔力を大量に消費すれば、メアリから押し付けられたものもいくらか消費できるはずだ。
怒りの発散のために殺しを選ぶなんて、誰にも知られたくはない。特にフィオナにはそんな影すら見せたくもない。だけど今は、自分の内側で暴れるものをどこかに追いやりたい。
仕事の内容はほとんど覚えていた。相手が誰なのかも、どの時間なら殺せるかも分かる。尚更丁度いいという感情が湧いてきて、セシルはそのまま衝動に身を任せた。
「セシル様、お隣よろしいですか」
「そうだレイ、この前の物理魔法の講義のことなんだけど」
夕方。
「セシル様、少しお散歩しませんか」
「ケイト、うまく火がつかないから魔法貸して」
夜。
「セシル様、あちらの方が月が綺麗に見え」
「いい加減しつこい」
空気が涼しくなりはじめた庭に、セシルの冷たい声がよく響いた。メアリは分かりやすく傷ついたような顔をして、取り巻きの女をちらりと見やる。
昼間からずっとメアリの雑談を無視しているのに、何度も何度も話しかけてくるのだ。無視されているのが分からないはずがないだろうし、「どれだけ自分勝手なのか」という苛立ちばかりが湧き上がる。
「でもセシル様、無視するのもあんまりですわ」
「そうですよ、メアリさんが可哀そうですよ」
女子たちがセシルに詰め寄る。彼女たちもまとめて嫌いになりそうだったが、女の中にはこういう生き物もいたと思い出す。自分たちの存在価値を守るために群れて、「自分の友達が傷付けられている」ことばかりに目を向ける。なぜその友達が傷付けられているのかを無視して、相手ばかりを責める。世の中そういう女ばかりではないのは分かるが、セシルが関わる女にはそういった人が多くてうんざりする。
その点、フィオナは清らかだと思う。彼女は群れることを知らない。誰かのために盲目になることも、その盲目さから来る贔屓も知らない。親にも使用人にも取り入ることのできない不器用さは、その正直な心を表しているようで、触れていると安心する。
レイには悪いが、早く帰りたい。帰ってフィオナと話したい。そうずるずると逃避していると、いつの間にか近づいていた男子二人が肩を組んできた。二人分の腕の重さがのしかかり、思わず眉を寄せる。
「またセシル、女子にモテてる。いいなあ」
「モテてないよ、勘違いはやめて」
「囲まれておいてよく言うぜ」
このクラスメイトたちも、大概面倒くさいと思う。「モテる」や「女子に好かれる」の話にならない限りは至極全うな人物たちなのだが、セシルやレイが女子に囲まれているのを見かけると、羨ましいとばかりに絡んでくるのだ。
二人に半ば引きずられるようにして女子たちから引き離される。それから肩にのしかかられたまま、メアリについてどう思っているのかを正直に教えて欲しいと言われる。二人の目がぎらぎらとしているであろうことが見なくても分かって、舌打ちしたくなるのを堪えなければならなかった。
「どうも何も。見てて分かるでしょ、あの女嫌いなんだよ」
「何で、美人じゃん」
美人にモテたい。クラスメイトがたびたびぼやいていた言葉が頭に蘇り、抱えていた苛立ちが膨らんでいく。
「ただ美人なだけの女に興味なんてあるか」
次第に言葉が荒くなってくる。クラスメイトを前に繕っている仮面が剥がれていく。
「もしかしてセシル、好きな子いるのか?」
「そうだよ。メアリなんかよりずっとずっと心の綺麗な人だ。あいつに興味が湧くはずないだろ」
しまった。そう思った時にはもう遅い。肩が急に軽くなり、クラスメイトたちが走っていく。行く先は当然のようにメアリたちの集団の場所だ。
「今の、聞いたか」
男子二人の声は明るい。これで自分たちにチャンスが巡ってきたと信じている声色が、セシルの脳に響く。失望したようなメアリの取り巻きの表情がこちらに寄こされて、セシルの中で何かが切れた。
「うるさいんだよ、お前ら」
近くにある湖に指先を向け、それから男子二人がいる場所を指し示す。セシルの指の動きに合わせて水面がひきずられ、ばしゃりと二人に水が降りかかった。女子たちに水がかからないようにしたのはせめてもの情けだが、全員まとめて水浸しにしてやりたかった。
しんと場が静まり返る。またやってしまった、と気が付いたのと、家の中にいたレイが庭に現れたのは同時だった。
「あーあ、セシルやっちゃったね」
宿泊会は微妙な雰囲気のまま二日目を迎え、予定より早く解散となった。後片付けをしながら、セシルはレイに再び頭を下げた。
「ほんとうにごめん」
「いいよ、気にしなくて。メアリさんが来たときから予想してたから。むしろあの時助けてあげられなくてごめんね」
分かっていたなら最初から帰してくれたらよかったのに。そんな考えが一瞬よぎるも、宿泊会を台無しにしたのは自分だ。それに実際に口にしたところで、「僕が居て欲しかったから」なんていう答えが返ってくるのは想像がついた。
「アンナさんがあの時僕にやたら話しかけてきてね。嫌な感じがしたんだ」
セシルの魔法が発動するのを感じ取って、嫌な予感が確信に変わったという。それから水がひっくり返る音がして、ようやくメアリの取り巻きを振り払うきっかけができた。外に出てみたらセシルが怒りのまま魔法を使った後だった、ということらしかった。
「僕を捕まえていたのもメアリさんの作戦だろうね。ケイトくんたちまで混ざるのは想定外だったろうけど」
災難だったね、とレイは肩を叩いてくる。
「やっぱり宿泊会は僕とセシルだけでやるべきだったなぁ。少なくともメアリさんがセシルを諦めるまでは無理だね」
「あの女諦めてくれるのかな」
セシルがソファーに寄り掛かると、レイはくすりと笑った。
「いっそ僕が盗ってもいい?」
先ほどまで一緒にいたクラスメイトの発言であれば笑っていただろうが、レイが言うと冗談には聞こえない。この男にはそれだけの美貌も権力もある。一族の中で権力争いに揉まれているのだから、そこで生き抜くだけの強かさも持ち合わせているはずだ。ただそれを指摘する気にもならず、セシルの口からは投げやりな言葉が零れた。
「いいよ、好きにしてよ」
「じゃあ貰うね」
レイの顔色は変わらない。メアリを望んで手に入れたいというよりは冗談で言っているようにも見えるし、あの女に何か価値を見出しているようにも見える。仮に何か価値があるとすれば、この友人はいずれ教えてくれるだろう。
「疲れただろうから、そろそろ僕たちも解散しようか」
「次会うのは補講の時かな」
「多分ね」
レイはもう少し別荘に滞在してから帰るらしい。彼に送り出され帰路を歩き出すと、ぱたぱたと足音が近づいてくる。その方向を見ると、あのピンク色の瞳がこちらを見ていた。
「待ち伏せするなんて、気持ち悪い」
どうやら彼女は一人らしく、取り巻きの姿は見えない。それを良いことに悪態をつくと、メアリはその表情を悲しそうに歪ませた。わざとらしい動作が腹立たしい。
「あの、好きな人がいるのですよね」
「だから何だよ」
メアリが距離を詰めてくる。
「もう付きまとわないので、せめてその人のどんなところが好きか教えてくださいませ」
好きな人が誰かを聞くわけでもなく、どんな人が好きかを聞くわけでもない。まるでセシルの想い人が誰か理解しているような口ぶりだ。しかしメアリがフィオナのことを知るはずがない。フィオナのことを守り続けているのはセシルだ。秘密が漏れるような失態は冒していないはずだ。
「ね、どうか」
動揺している間に、想像より距離を詰められていた。手をとられ、包むように握られる。ぞわりと背筋が冷えたのと、触れられた場所から何かが弾けるような痛みがあったのは同時だった。
魔力が最初に流れるときは、静電気のような刺激が走る。今出会った刺激は、体内に魔力が流れ込んできた証拠だった。
この女、「聖女」か。
魔力の譲渡に求められる最も重要な条件は、魔力の系統が似通っていることだ。しかし使える魔法も魔力も血が影響する部分が多いため、魔力の供給ができる相手は親族に限られることが多々ある。
ただ、極々稀に、誰にでも魔力を与えられる人間が存在する。それは聖人や聖女と呼ばれ、セシルのように魔力を持たない人間や、消費の激しい勇者たちに重宝されるのだ。
聖女も聖人も、国に一人二人いるかどうかだ。まさかこんなところにいるなんて思いもしなかった。
「私の秘密も教えましたわ。これでいいでしょう?」
手を握る力が強くなったと気が付いたとき、咄嗟に振り払っていた。
「触るな」
昨日怒りのままに消費した魔力が、もう元に戻っている。魔力の供給にかかる時間がフィオナよりもずっと少ない。
こんなこと、知りたくなかった。フィオナだけから与えられるものに、ずっと溺れていたかったのに。自分がいつまでも抱えていられると思い込んでいた幻想は、こんなにもあっけなく壊された。
自分の命は双子の姉に握られている。そして彼女の生活も自分が握っている。セシルしか頼ることのできない彼女を愛して甘やかして、その情を引き出すのが自分の人生だと思っていた。
不自由な生活だろうと、父はセシルの人生を憐れみ嘲笑う。しかしセシルは自分の生き方を苦しいと思ったことはなかった。彼女と寄り添って生きるのが幸せで、互いの命や人生を握っているという事実に、満たされてきたのだから。
しかしその幸せに、穴が開けられた。フィオナが作り出した「情」で満ちていた身体に、異物が入り込んだことが許せなかった。
「もう俺に関わるな」
メアリを置いて、その場を去る。途中から走り出したい気持ちに負けて、怒りを散らすように道を駆けた。
怒りをぶつける正当な理由がほしい。この感情をぶつけて良いものが欲しい。このまま家に帰れば、フィオナからの愛情を貪りたいという欲に負けてしまう。せめてこの怒りをそぎ落してから家に帰りたい。
そうだ、父に頼まれた仕事があった。邪魔な男を殺してくれという、彼の私情にまみれたものだった。
丁度いい。そんな言葉が浮かんだ。殺しの際に魔力を大量に消費すれば、メアリから押し付けられたものもいくらか消費できるはずだ。
怒りの発散のために殺しを選ぶなんて、誰にも知られたくはない。特にフィオナにはそんな影すら見せたくもない。だけど今は、自分の内側で暴れるものをどこかに追いやりたい。
仕事の内容はほとんど覚えていた。相手が誰なのかも、どの時間なら殺せるかも分かる。尚更丁度いいという感情が湧いてきて、セシルはそのまま衝動に身を任せた。