お昼時。
他には誰も居ないおじいちゃんの家で、私、夜行ほたるは、懐かしさに浸りながらおいなりさんを作った。
そうして、いくつかのおいなりさんを隣の神社へお供えして戻ってきた私を、誰もいないはずの家で待ち受けていたのは……。
「むぐむぐ……んま〜♪ 揚げたておあげ、ふわふわふっくらで美味しいな〜♪」
手のひらサイズのキツネが、幸せそうに油揚げを頬張っている場面だった。
よくよく見るとそのキツネは、油揚げの近くに置いていたそば徳利の中から体をにょろ~んと伸ばしている。チンアナゴみたいに。
もしかしてこのキツネは……。
「あ、あやかし!?」
「うにゅ?」
びっくりして大声をあげると、キツネのようなあやかしが油揚げにかぶりついたまま私の方へと振り向いた。
「ひぁーーー!?」
それまで幸せそうに油揚げにかぶりついていたキツネは、私に気付いた途端に慌て始めた。
「に、にんげんだ〜! 知らない娘だ〜!」
チンアナゴみたいににょろんとした身体をくねくねさせながらも、油揚げをガッシリ掴んで離さないのがちょっぴり面白可愛い。
「に、逃げないと! おあげみたいにこんがり焼きキツネにされちゃうよ〜!」
「あっ、ちょっ、ちょっと待っ……」
慌てて引き止めようとしたけど、キツネはシュルンッとそば徳利の中に潜り……込もうとしているのに、掴んだ油揚げが引っ掛かって戻れないようだった。
「ふぎゅっ!? ……戻れないよう〜!」
油揚げを手放せば逃げられるのに、離さずにピーピー泣いているのが間抜け可愛い。
「ねえ、キツネさん」
「ぴゃっ!?」
驚かせないようにちょっと離れた場所から呼ぶと、キツネは私に呼ばれてポトンと油揚げを落とした。
プルプル震えて、潤んだ瞳で私をじっと上目遣いに見つめてくる。
「うっうっ……。ぼく揚げぎつねにされちゃうの?」
「えっ?」
「ぼくおいしくないよ?」
そんなことはしないけど……。
「このおあげのほうが、とってもとってもおいしいよ……?」
落とした油揚げを拾い直すと、悲しそうな様子で私に差し出してくる。
許して欲しいから、この油揚げをあげる……ってことみたい。
でもそれは元々私ので、目を離した隙に可愛い泥棒あやかしがつまみ食いしちゃったものなんだけど。
「ふふっ。そんなに油揚げ気に入ったの?」
「うん。ふっくらふわふわでおいしいのー!」
「じゃあそれはあげるね」
「ほんとー!? で、でもおしおきしない? 焼きギツネにしない?」
「しないしない。だけどもう盗み食いしちゃダメだよ?」
「わかったー!」
とっても素直で可愛いので、思わず許してしまった。
私からの許可を得ると、キツネは安心して食べかけ油揚げを食べるのを再開している。
食べる姿が可愛いので、思わず手を伸ばして撫でてみたくなるけど我慢がまん。
「むぐむぐ……。こんなに美味しいの、初めて食べたよ~」
「そう言ってもらえて嬉しいな。その油揚げね、私が揚げたのよ」
豆腐自体は近くのお豆腐屋さんで買ったもので、私は揚げただけなんだけど……。
「きみが作ったの~? じゃあね、じゃあね! これから毎日ぼくのためにお揚げ作ってくれる?」
キツネがそう言った瞬間、懐かしい記憶が脳裏をよぎりそうになる。
それがなんだったのか思いだそうとしていると、不意に私を呼ぶ声が聞こえた。
「ほたる!!」
「えっ?」
振り返ると、開けっ放しだった家の扉から、どこか懐かしい面影を感じる青年が入ってきた。
実った稲穂みたいに綺麗な金色の髪の二十代くらいの青年は、私を見つけるとキラキラ輝くような琥珀色の瞳を見開いている。
神主さんが着るような袴姿の彼は、もしかして……。
そう思った瞬間、彼は私のところまで駆け寄って勢い良く飛びついてきた。
「やっぱり、ほたるだ!」
「きゃっ!?」
「境内にいなり寿司があったから、戻ってきたと思ったんだよ!」
「え、えっと……」
突然のことで戸惑いがちに彼を見上げると、悲しそうな表情を見せる。
「もしかして俺のこと、忘れた……?」
しゅんとしょぼくれている彼の姿は、不思議と頭上にキツネ耳が生えている……ように見えたけど、気のせいだったみたい。
人懐っこさから懐かしい面影を感じる、綺麗な顔立ちの青年。
幼かった頃と比べて声変わりしているけど、もしかして……。
「こー君だよね?」
「そうそう。稲波琥葉! 覚えてくれていて良かった……。ほたるが戻ってくるの、ずっと待っていたんだよ」
「こー君……」
ギュッと抱きしめられると、ポッカリと空いていた心が温もりでじんわりと埋められていくように感じて……。
「うっ……ぐすっ」
「えっ? ほ、ほたる?」
私は気付いたら、彼の胸の中で泣いていた。
「うわあああん! こー君!!」
どうして私がこんなに泣いてるのか。
それは、実家から逃げ出して、こー君が暮らす町に家出してきたからだった。
---
私には小さな頃から、あやかしや幽霊などの普通のひとに視えないものが視える。
小学生の頃にそのことを親友だと思っていた子に告白したら、気味悪がられて……。
同級生では彼女だけに共有した秘密はあっという間に噂を広められてしまい、気付いたら私の居場所はどこにもなくなってしまう。
孤立した私が唯一安らぎを感じるのは、同じ体質だったおじいちゃんとその家。
昔は遊んでもらうだけじゃなくて、人生相談に乗ってもらったりと頼りにしていたおじいちゃんだけど、私が中学生になった頃、儚くなってしまった。
誰とも時間を共有出来ずに寂しく過ごし続けて耐えきれなくなった私は、通信制の学校に転入した。
けれども、高校三年の秋。
単位は順調に取れているけど進路が決まらない私に、両親の怒りが爆発した。
「ほたる! いい加減進路決めなさい!」
「でも……」
「そんな性格じゃ大学にも行けないし、社会人として働きにも出られないじゃない! よその子はちゃんと学校に行ってるし、もう進路を決めてるのよ! しっかりしなさいよ!」
「……」
そんなの分かってる。
だけど、私だってどうしたらいいか分からないのに……。
一緒に進路について悩む友人もいなければ、両親も怒ってばかりで私の悩みを真剣に聞いてくれない。
私の居場所なんて、ここにはないんだ……。
そう思った私は、亡きおじいちゃんの家へと家出をした。
電車とバスを乗り継いで数時間かけて、寂れかけの田舎にある一軒家に辿り着く。
家の一部には、生前のおじいちゃんが営んでいたそば屋があった。
お店の跡継ぎはいなくて、私のお父さんを含めたおじいちゃんの子供たちはみんな都会の方へと引っ越してしまったから、今はもう誰も住んでいない。
そんなおじいちゃん家の鍵を、私は遺品として受け取っていた。
そば屋側の入り口の鍵を開けて中に入ると、懐かしい記憶が蘇ってくる。
おじいちゃんがそばを作って、おばあちゃんが盛り付けして、私がお手伝いで注文を聞いたりおそばを出したりして、楽しく過ごした場所。
「あの頃はまだ小学生だったけど、ずっとここで暮らしたいなって思ったなあ……」
人間のお客さんだけじゃなくて、ちょっと変わったお客さんも沢山来ていて、とても賑わっていたのに……。
そんな賑やかだった場所も、おじいちゃんが儚くなると同時に消え去ってしまった。
「懐かしい……」
ちょっぴり涙が出そうになって、目頭を拭う。
「久しぶりに、何か作ってみようかな……」
寂しい気持ちを吹き飛ばそうと、おじいちゃんに教わったいなり寿司を作ることにした。
本当はお蕎麦を作って懐かしさに浸りたい気持ちがあるけれど、材料がないしひとりで作れるか分からない。
だから、近所の男の子との思い出が詰まったおいなりさんを作ることにした。
早速、近所のお豆腐屋さんでお豆腐を、お米屋さんで精米済みのお米と、それに調味料を買って来る。
久しぶりにやってきたというのに、町のひとたちは「よく来てくれたね」と言ってとても暖かく迎えてくれた。
掃除や片付けはある程度済ませていたので、買い出しが済んだら蕎麦屋のキッチンで調理開始!
といだお米をだいぶ古びた土鍋に入れて水に浸したら、火にかける。
「ええと、始めちょろちょろ……だから、最初は弱火……っと」
その間に油揚げの準備。
今回のお豆腐は水切りしてあるのを特別に譲ってもらったので、あとは揚げるだけ。
油を引いた天ぷら鍋に入れて二度揚げて、キツネ色になったら……。
「上手に出来た! ……揚げただけだけど」
油揚げをバットに置いて冷ましている間に、お米の炊き具合を調整。
炊き上がったら酢飯の作成に取り掛かる。
棚から引っ張りだした桶にホカホカご飯をこんもり入れて、米酢とお砂糖、塩を混ぜから、お米に振りかけてよく切り混ぜる。
「お酢の良い香りがする……」
しばらくして油揚げに包丁で切れ目を入れて、そこに酢飯をぎゅっと詰め込んで。
「炊きたてだから、あつあつ!」
最後にちょっぴり胡麻を振りかければ……。
「おいなりさんの出来上がり!」
実家でも料理はしていたけれど、両親がおいなりさんをあまり好きではなかったから、作るのは久しぶり。
ツヤツヤした油揚げに、お酢の香り漂う酢飯が詰まっていて、食欲をそそられる。
「ついつい、たくさん作っちゃった」
おじいちゃんと一緒に作るときは、お隣さんにもお裾分けしていたから同じ調子で作ってしまった。
……と、私はそこで思い出した。
お店でおいなりさんを作っていた後は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に家の隣の神社へお供えに行っていたはず。
「挨拶代わりに、お隣の神社にお供え物持って行こう」
家出期間中はここで過ごすから、お隣さんには挨拶しないと。
家の隣にある稲波神社はお狐様を祀っているから、おいなりさんはお供えにピッタリ。
早速いくつかのおいなりさんを取り分けたお皿にラップをして、稲波神社の鳥居をくぐる。
長くて高い階段を息を切らして上がりきると、古い町並みと山が一望できた。
私は成長したけど、紅葉に囲まれた町の秋の景色は、小さな頃と変わらない。
「懐かしい……」
風に吹かれて、持っていたおいなりさんのお酢の香りがふわりと漂った。
景色と香りでふと思い出したのは、幼馴染のこー君の存在。
こー君は、おじいちゃんのお店へよく遊びに来てくれていた、きつねそばが大好きな男の子。
確か、稲波神社の子だって聞いた気がするけど……。
「……こー君って、まだこの町に住んでるのかな」
気になって、おいなりさんを載せたお皿を持ったまま、境内をウロウロしてみる。
そうすると、小さな頃に過ごしていた光景が脳裏に浮かび上がってきた。
『うちにおいなりさん持ってきてくれたんだね。ありがとう、ほたる!』
『こー君ってば! これは神様用だよ?』
『神様用ってことは、うちの神社用でしょ? ん、美味いよ』
嬉しそうにおいなりさんを頬張る彼の頭上に、なんだか耳が生えていた気もするけど……懐かしすぎて記憶を捏造してしまったみたい。
『大人になったら、俺のために毎日おあげ作って欲しいな』
つまみ食いをしてニコッと微笑むこー君は、この辺りでは珍しくとても整った顔立ちをしていて、私はその笑顔を見るたびにドキドキしていた。
時を経て思い出した今もドキドキする。
成長した彼は、どんな姿をしているんだろう。
「最後に彼と会ったのは、いつだったかな……」
おじいちゃんが亡くなる前? それとも、お葬式の時?
不思議と記憶がうすぼんやりとしていて、うまく思い出せない。
「また会ったら、一緒に遊んでくれるかな……」
でも……再会したとしても、こんなにうじうじして卑屈で家出をするような私の相手をしてくれるのかな。
元気で明るくって人懐っこくて格好良いこー君には、友達がいっぱいいるはずだから……。
……きっと、私のことなんか覚えていないかもしれない。
「……やめよう」
こー君に遭遇するのが怖くなった私は、彼を探すのをやめた。
当初の目的だったおいなりさんをお供えをすると、行きとは違って階段をトボトボと降りて行く。
だから、俯きながら店内に戻った時は、幼馴染のこー君に再会することになるなんて、思いもしなかった。
---
こー君に抱きしめられて背中をさすってもらいながら、私はポツポツとこれまでに起きた経緯を語った。
「そうなんだ……ひとりで大変だったんだね、ほたる」
久しぶりに再会して急に泣き出したにも関わらず、こー君は優しく私を包み込んでくれる。
それがとても嬉しくて、懐かしくて……。しばらく涙が止まらなかった。
「……ぐすっ……」
けれども、こー君に話を聞いてもらって抱きしめられている間に、段々と気持ちが落ち着てきて、冷静になった私は急に恥ずかしくなってしまう。
「わー!? こ、こー君!? くっつきすぎだよ!!」
慌ててこー君から離れると、彼はちょっぴり寂しそうにしていた。
「もう終わり? もっとギュッとしてあげるよ?」
「だ、だいじょうぶ! ごめんね、急に泣いちゃって」
「泣きつかれた俺としては、役得だったけどね」
こー君は飄々と笑うと、近くの座敷に私を座らせてくれた。
「ほたる、お茶淹れてもいい?」
「私がやるよ」
「良いから。俺に任せて」
「お茶葉は、古いかもしれないよ?」
「大丈夫。ほたるの居場所を守ってほしいって、正蔵爺さんから生前頼まれていたんだ。いつでもほたるが帰って来れるようにしてあるよ」
そう言うと懐からお店の鍵を出して見せてくれた。
私に背を向けてコンロに向かうこー君の姿は、嬉しそうで……でもどこか寂しそう。
正蔵爺さんというのは、私のおじいちゃんのこと。
「……おじいちゃん、私の居場所を用意してくれていたんだ……」
しんみりと呟いていると、私の目の前にそっと油揚げが差し出された。
「だいじょうぶ? 悲しいの? おあげいる?」
俯いていた顔を上げると、残りの油揚げをチンアナゴキツネがおずおずと私に渡そうとしている。
「ううん。大丈夫だよ。心配してくれたんだね、ありがとう」
「おあげは?」
どうにも、まだ油揚げが食べたりないらしい。
潤んだ瞳で可愛く見つめられると、どうしても叶えてあげたくなっちゃう。
「私にはいなり寿司があるから、あなたが食べて良いんだよ」
「わぁい! じゃあ頂きます~!」
もぐもぐと再び食べ始めた愛らしいキツネを見て、私は手を伸ばしそうになる。
もふもふで可愛い、撫でたい……。
泣いて色々と吹っ切れた私は、小さなキツネに問いかけた。
「な、撫でても良い?」
「いいよ~!」
許可が得られたので、小さいキツネに右手の人差し指をそっと伸ばす。
ちょん、と触れると柔らかな毛並みの感触が指先に伝わった。
「わぁ……」
「もっと触って良いの!」
「うん。ふわふわ……」
「ふぁ~きもちいい~」
夢中でなでなでふわふわしていると、気づけば小さなキツネは油揚げを食べるのをやめて、気持ちよさそうに撫でられることに集中していた。
可愛さを堪能しながら撫で続けていると、キッチンからこー君の声が聞こえてきた。
「ほたる、お茶淹れたよ」
「ありがとう、こー君」
「ところで、なにやってるの?」
「えっ……と」
このあやかしのこと、なんて説明したらいいんだろう。
テーブルに近づいて私の手元を覗き込んだこー君は、小さなあやかしを見るとショックを受けた顔をして叫んだ。
「ず、ずるい!!」
「へ?」
なにが? と疑問に思っていると、こー君はそば徳利に身体がはまっていたチンアナゴキツネの胴体をぐいっと掴んで、引っ張り出してしまった。
「ひゃぁぁ!」
「こ、こー君!?」
「俺もほたるに撫でられたいのに、ずるいぞ笹雪!!」
「あるじ~! 乱暴は良くないんだ~~!!」
にょろにょろ~! と胴体をジタバタさせるチンアナゴキツネに、こー君は叱りつけている。
こうして見ると、チンアナゴと言うよりも、毛並みがふさふさなウナギみたい。
「それにまた盗み食いをして! しかも! ほたるの作った俺のおあげを!!」
私、まだ油揚げをこー君にあげるって言ってないんだけどな……。
呆然としながらも思わず脳内でツッコミをしていたので、彼らに伝わるわけがない。
「このおあげはぼくのなの~! にんげんの娘がぼくにくれたんだから~!! 盗んでないよ~~!!」
私は慌ててふたり(?)の言い争いを止めた。
「ちょ、ちょっと待って待って! こー君! それは確かに私がこの子にあげたの!」
すると、こー君とにょろりキツネの動きがピタッと止まった。
「え? そうなの?」
「そうなの! 酷いよあるじ、えんざいだよ……」
「それは悪かった……」
こー君があんまり納得していなさそうな表情で渋々と手を放すと、自由の身になったチンアナゴキツネはにょろりとそば徳利に身を潜めてしまった。
……ただし、顔だけ出して、名残惜しそうに潤んだ瞳で食べかけおあげを見つめている。
「だけど、ほたるの作ったおあげを俺より先に食べるのは許さない!」
「ぴぇ……。あるじはおうぼう……」
ふたり(?)を見比べながら、私は首を傾げた。
「こー君、このあやかし知り合いなの?」
元そば屋だった夜行庵は、あやかしに大人気だった。
おじいちゃんとも仲の良いこー君だって、当然あやかしの存在を認識している。
彼は神社の息子さんだし、このあやかしキツネとも何らかの関わりがあるのかも。
「ああ、うん。こいつ……管狐って言うあやかしなんだけど、俺の式神でさ」
「くだぎつね? チンアナゴキツネじゃないんだ?」
「まあ確かに胴体がチンアナゴみたいだけど……管狐だね。名前は笹雪って言うんだ」
「ささゆきです!」
チンアナゴキツネ……じゃなくて管狐の笹雪は、そば徳利から身体をにょろんと伸ばしてぺこりとお辞儀した。
「あ、はい。私はほたるです。夜行ほたる。よろしくね、笹雪」
「ほたるのおあげはおいしいね~! ぼくに毎日おあげ作ってほしいな~」
「だめだ! 絶対に!」
「ガーン!」
真顔で禁止するこー君の言葉に、笹雪は耳をぺたりと伏せて悲しそうにしょぼしょぼしてしまった。
「ふふっ」
そんなふたりのやり取りを見ていて、私は思わず懐かしくなる。
確か小さな頃にも、こー君に「俺のために毎日おあげ作ってほしい」って言われていたんだっけ。
ペットじゃないけど、式神は主に似るんだなあ……と思うと、ふたりとも可愛く思えて微笑ましくなってしまう。
「あっ、笑った〜!」
「良かった……」
私がふたりの様子を眺めていると、彼らの視線がぎゅんっ! とこちらに向く。
「へ? ど、どうしたの?」
びっくりした私が問いかけると、ふたりはニコニコ笑顔で答えた。
「やっと笑ってくれたね、ほたる」
「ずっと悲しそうな顔してたの」
私が悲しい表情をしていたり、泣いたりしていたことを、ふたりは気にかけてくれていたみたい。
「ほたるには、笑顔でいてもらいたいな。実家が辛いならここにいなよ」
こー君はお茶を私に渡してくれると、ぽんと優しく頭を撫でてくれた。
さっきまであんなに泣いたのに、こー君の温かさに目がじんわりと潤んでしまいそうな気がする。
「ありがとう。しばらくそうするつもりなの」
「しばらくと言わず、ずっとここに居てほしい」
「ふふっ、さすがにそれは無理だよ」
思わず家出してしまったけど、そのうち戻らないと行けないし。
それに、実家に戻ったらもうここには戻って来られない気がする。
「どうして〜? あるじの言う通り、ずっとここにいればいいのに〜」
「それは……」
私も、ずっとここにいたい。
おじいちゃんの家にいると、心がとても穏やかになるから。
だけど、何も為さずにこの家にいるだけなんて、本当に良いのかな……。
誰からも陰口を言われないだけで、実家にいるときと何ひとつ変わらない気がする。
そうだ、だって私は、このおじいちゃんの家に家出して来たんだから。
何かが変わるわけなんて、ない。
答えかねていると、笹雪が無邪気に微笑んだ。
「そうすればおいしーおあげがいっぱい食べられるもん。えへへー」
「食いしん坊め」
「あたっ! ぼうりょくはんた〜い!」
何も出来ない苦しさでツキリと痛んだ胸は、笹雪にチョップするこー君の賑やかなやりとりで吹き飛んだ。
こー君が淹れてくれたお茶を一飲みして、私は問いかける。
「そういえばこー君、神主さんみたいな格好してるね。おうちのお手伝い?」
「神主みたい、じゃなくて神主やってるんだよ。親父のあとを継いだんだ」
「すごいね。神主さんって神社の社長さんみたいなものでしょう?」
「凄くないよ。小さな村の小さな神社だからさ」
「でもすごいよ。私は進路決まらないし……やりたいことなんて……なにも……」
「……ほたる」
俯く私の頭を、こー君は優しく撫でた。
「これからのことはあとで考えるとしてさ。一緒にお昼ご飯にしない?」
こー君はそう言うと、私がさっき神様にお供えしたばかりのおいなりさんを笑顔で取り出す。
「ほたると一緒に食べようと思って、持ってきたんだ」
昔から変わらないこー君の様子に、私も思わず笑ってしまう。
「こー君ってば、相変わらずお供え物つまみ食いしてるの?」
「あるじも食いしん坊だー!」
「今も昔も、他のは手を付けてないよ。俺が欲しいのは、ほたるだけだから」
こー君から真っ直ぐに見つめられてドキッとする。
恥ずかしさを誤魔化すように、私も自分の昼食として確保していたおいなりさんを掴んだ。
「じゃ、じゃあ食べよう」
「ぼくもおいなり食べるの〜!」
「笹雪にはおあげがあるだろう」
「ふぐぅ……」
私とこー君は隣同士に座って、手を合わせておいなりさんを食べ始めた。
「いただきます」
ひとくち食べると、あげたて油揚げに甘じょっぱい酢飯の味が口いっぱいに広がる。
「うん! おいしく出来てよかった」
「美味い! 美味いよ、ほたる!」
こー君も気に入ってくれたみたいで、おいなりさんを次々と食べてくれる。
「いいなあ。ぼくも食べたいなあ」
味わってもぐもぐと食べていると、目の前のそば徳利に収まって油揚げを食べていた笹雪からのうらめしそうな視線が……。
油揚げがあるとはいえ、ちょっと可哀そうだなあと思いながら食べていると、不意に背中にもふもふふわふわとした感触を感じる。
優しくてくすぐったくて、なんだか不思議とちょっぴり懐かしいような感じのもふもふが気になって後ろを振り返ると……。
「……しっぽ?」
何故か狐っぽい尻尾がもふもふんっと揺れていた。
尻尾の生えている場所を目で追ってみると、それはこー君から生えていて……。
「えっ……と、こー君?」
いやそんなまさか……と思って顔を見上げてみると……。
おいなりさんを食べてニコニコと微笑むこー君の頭上に、ふわふわな耳がひょっこりと飛び出していた。
余程おいなりさんがおいしいのか、尻尾も耳もぴょこぴょこご機嫌に動いていて可愛い。
可愛いんだけど……なんでこー君から尻尾と耳が?
「こー君?」
「なにかな? ほたる」
「耳と尻尾が生えてるよ……?」
「えっ!? わっ、やばっ!!」
こー君は慌てて手で耳を隠しているけど、さっきまでなかった耳は一向に消える気配がない。
「こー君って、あやかしだったの?」
「……そうだよ。俺は妖狐の末裔。いつもは耳と尻尾は隠してるんだよ。……ほたる、俺のこと怖い?」
耳と尻尾をぺしょりと倒して問いかけるこー君の姿は、庇護欲を誘う様子で可愛い。
「え? なんで? おじいちゃんのそば屋にあやかしは沢山来ていたし、笹雪もあやかしだから、怖くないよ。むしろ可愛いよ」
「か、かわ……。怖がられるより良いけど、なんだか複雑だな……」
複雑だと言いつつも、こー君の尻尾と耳は嬉しそうにふわふわと揺れていて、見ている私も嬉しくなった。
「でもなんで急に尻尾と耳が出てきたの?」
「それはたぶん、ほたるの料理を食べたからじゃないかな」
「私の?」
「ほたるの作る料理には、あやかしの妖力を回復させる力があるんじゃないかって思うんだ。正蔵爺さんの蕎麦みたいに」
こー君は私の手を取って、目を真っ直ぐに見て言った。
「ねえ。ほたる。もし進路に悩んでいるならさ……夜行庵を再建しないか?」
「えっ?」
「迷えるあやかしたちのために、蕎麦を作ってほしいんだ!」
こー君の提案は、行く場所を失くしたあやかしのためでもあり……そして、居場所を求める私のためでもあった。
……これは、後ろ向きだった私が前を向いて、そして……こー君との恋を自覚するお話。
他には誰も居ないおじいちゃんの家で、私、夜行ほたるは、懐かしさに浸りながらおいなりさんを作った。
そうして、いくつかのおいなりさんを隣の神社へお供えして戻ってきた私を、誰もいないはずの家で待ち受けていたのは……。
「むぐむぐ……んま〜♪ 揚げたておあげ、ふわふわふっくらで美味しいな〜♪」
手のひらサイズのキツネが、幸せそうに油揚げを頬張っている場面だった。
よくよく見るとそのキツネは、油揚げの近くに置いていたそば徳利の中から体をにょろ~んと伸ばしている。チンアナゴみたいに。
もしかしてこのキツネは……。
「あ、あやかし!?」
「うにゅ?」
びっくりして大声をあげると、キツネのようなあやかしが油揚げにかぶりついたまま私の方へと振り向いた。
「ひぁーーー!?」
それまで幸せそうに油揚げにかぶりついていたキツネは、私に気付いた途端に慌て始めた。
「に、にんげんだ〜! 知らない娘だ〜!」
チンアナゴみたいににょろんとした身体をくねくねさせながらも、油揚げをガッシリ掴んで離さないのがちょっぴり面白可愛い。
「に、逃げないと! おあげみたいにこんがり焼きキツネにされちゃうよ〜!」
「あっ、ちょっ、ちょっと待っ……」
慌てて引き止めようとしたけど、キツネはシュルンッとそば徳利の中に潜り……込もうとしているのに、掴んだ油揚げが引っ掛かって戻れないようだった。
「ふぎゅっ!? ……戻れないよう〜!」
油揚げを手放せば逃げられるのに、離さずにピーピー泣いているのが間抜け可愛い。
「ねえ、キツネさん」
「ぴゃっ!?」
驚かせないようにちょっと離れた場所から呼ぶと、キツネは私に呼ばれてポトンと油揚げを落とした。
プルプル震えて、潤んだ瞳で私をじっと上目遣いに見つめてくる。
「うっうっ……。ぼく揚げぎつねにされちゃうの?」
「えっ?」
「ぼくおいしくないよ?」
そんなことはしないけど……。
「このおあげのほうが、とってもとってもおいしいよ……?」
落とした油揚げを拾い直すと、悲しそうな様子で私に差し出してくる。
許して欲しいから、この油揚げをあげる……ってことみたい。
でもそれは元々私ので、目を離した隙に可愛い泥棒あやかしがつまみ食いしちゃったものなんだけど。
「ふふっ。そんなに油揚げ気に入ったの?」
「うん。ふっくらふわふわでおいしいのー!」
「じゃあそれはあげるね」
「ほんとー!? で、でもおしおきしない? 焼きギツネにしない?」
「しないしない。だけどもう盗み食いしちゃダメだよ?」
「わかったー!」
とっても素直で可愛いので、思わず許してしまった。
私からの許可を得ると、キツネは安心して食べかけ油揚げを食べるのを再開している。
食べる姿が可愛いので、思わず手を伸ばして撫でてみたくなるけど我慢がまん。
「むぐむぐ……。こんなに美味しいの、初めて食べたよ~」
「そう言ってもらえて嬉しいな。その油揚げね、私が揚げたのよ」
豆腐自体は近くのお豆腐屋さんで買ったもので、私は揚げただけなんだけど……。
「きみが作ったの~? じゃあね、じゃあね! これから毎日ぼくのためにお揚げ作ってくれる?」
キツネがそう言った瞬間、懐かしい記憶が脳裏をよぎりそうになる。
それがなんだったのか思いだそうとしていると、不意に私を呼ぶ声が聞こえた。
「ほたる!!」
「えっ?」
振り返ると、開けっ放しだった家の扉から、どこか懐かしい面影を感じる青年が入ってきた。
実った稲穂みたいに綺麗な金色の髪の二十代くらいの青年は、私を見つけるとキラキラ輝くような琥珀色の瞳を見開いている。
神主さんが着るような袴姿の彼は、もしかして……。
そう思った瞬間、彼は私のところまで駆け寄って勢い良く飛びついてきた。
「やっぱり、ほたるだ!」
「きゃっ!?」
「境内にいなり寿司があったから、戻ってきたと思ったんだよ!」
「え、えっと……」
突然のことで戸惑いがちに彼を見上げると、悲しそうな表情を見せる。
「もしかして俺のこと、忘れた……?」
しゅんとしょぼくれている彼の姿は、不思議と頭上にキツネ耳が生えている……ように見えたけど、気のせいだったみたい。
人懐っこさから懐かしい面影を感じる、綺麗な顔立ちの青年。
幼かった頃と比べて声変わりしているけど、もしかして……。
「こー君だよね?」
「そうそう。稲波琥葉! 覚えてくれていて良かった……。ほたるが戻ってくるの、ずっと待っていたんだよ」
「こー君……」
ギュッと抱きしめられると、ポッカリと空いていた心が温もりでじんわりと埋められていくように感じて……。
「うっ……ぐすっ」
「えっ? ほ、ほたる?」
私は気付いたら、彼の胸の中で泣いていた。
「うわあああん! こー君!!」
どうして私がこんなに泣いてるのか。
それは、実家から逃げ出して、こー君が暮らす町に家出してきたからだった。
---
私には小さな頃から、あやかしや幽霊などの普通のひとに視えないものが視える。
小学生の頃にそのことを親友だと思っていた子に告白したら、気味悪がられて……。
同級生では彼女だけに共有した秘密はあっという間に噂を広められてしまい、気付いたら私の居場所はどこにもなくなってしまう。
孤立した私が唯一安らぎを感じるのは、同じ体質だったおじいちゃんとその家。
昔は遊んでもらうだけじゃなくて、人生相談に乗ってもらったりと頼りにしていたおじいちゃんだけど、私が中学生になった頃、儚くなってしまった。
誰とも時間を共有出来ずに寂しく過ごし続けて耐えきれなくなった私は、通信制の学校に転入した。
けれども、高校三年の秋。
単位は順調に取れているけど進路が決まらない私に、両親の怒りが爆発した。
「ほたる! いい加減進路決めなさい!」
「でも……」
「そんな性格じゃ大学にも行けないし、社会人として働きにも出られないじゃない! よその子はちゃんと学校に行ってるし、もう進路を決めてるのよ! しっかりしなさいよ!」
「……」
そんなの分かってる。
だけど、私だってどうしたらいいか分からないのに……。
一緒に進路について悩む友人もいなければ、両親も怒ってばかりで私の悩みを真剣に聞いてくれない。
私の居場所なんて、ここにはないんだ……。
そう思った私は、亡きおじいちゃんの家へと家出をした。
電車とバスを乗り継いで数時間かけて、寂れかけの田舎にある一軒家に辿り着く。
家の一部には、生前のおじいちゃんが営んでいたそば屋があった。
お店の跡継ぎはいなくて、私のお父さんを含めたおじいちゃんの子供たちはみんな都会の方へと引っ越してしまったから、今はもう誰も住んでいない。
そんなおじいちゃん家の鍵を、私は遺品として受け取っていた。
そば屋側の入り口の鍵を開けて中に入ると、懐かしい記憶が蘇ってくる。
おじいちゃんがそばを作って、おばあちゃんが盛り付けして、私がお手伝いで注文を聞いたりおそばを出したりして、楽しく過ごした場所。
「あの頃はまだ小学生だったけど、ずっとここで暮らしたいなって思ったなあ……」
人間のお客さんだけじゃなくて、ちょっと変わったお客さんも沢山来ていて、とても賑わっていたのに……。
そんな賑やかだった場所も、おじいちゃんが儚くなると同時に消え去ってしまった。
「懐かしい……」
ちょっぴり涙が出そうになって、目頭を拭う。
「久しぶりに、何か作ってみようかな……」
寂しい気持ちを吹き飛ばそうと、おじいちゃんに教わったいなり寿司を作ることにした。
本当はお蕎麦を作って懐かしさに浸りたい気持ちがあるけれど、材料がないしひとりで作れるか分からない。
だから、近所の男の子との思い出が詰まったおいなりさんを作ることにした。
早速、近所のお豆腐屋さんでお豆腐を、お米屋さんで精米済みのお米と、それに調味料を買って来る。
久しぶりにやってきたというのに、町のひとたちは「よく来てくれたね」と言ってとても暖かく迎えてくれた。
掃除や片付けはある程度済ませていたので、買い出しが済んだら蕎麦屋のキッチンで調理開始!
といだお米をだいぶ古びた土鍋に入れて水に浸したら、火にかける。
「ええと、始めちょろちょろ……だから、最初は弱火……っと」
その間に油揚げの準備。
今回のお豆腐は水切りしてあるのを特別に譲ってもらったので、あとは揚げるだけ。
油を引いた天ぷら鍋に入れて二度揚げて、キツネ色になったら……。
「上手に出来た! ……揚げただけだけど」
油揚げをバットに置いて冷ましている間に、お米の炊き具合を調整。
炊き上がったら酢飯の作成に取り掛かる。
棚から引っ張りだした桶にホカホカご飯をこんもり入れて、米酢とお砂糖、塩を混ぜから、お米に振りかけてよく切り混ぜる。
「お酢の良い香りがする……」
しばらくして油揚げに包丁で切れ目を入れて、そこに酢飯をぎゅっと詰め込んで。
「炊きたてだから、あつあつ!」
最後にちょっぴり胡麻を振りかければ……。
「おいなりさんの出来上がり!」
実家でも料理はしていたけれど、両親がおいなりさんをあまり好きではなかったから、作るのは久しぶり。
ツヤツヤした油揚げに、お酢の香り漂う酢飯が詰まっていて、食欲をそそられる。
「ついつい、たくさん作っちゃった」
おじいちゃんと一緒に作るときは、お隣さんにもお裾分けしていたから同じ調子で作ってしまった。
……と、私はそこで思い出した。
お店でおいなりさんを作っていた後は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に家の隣の神社へお供えに行っていたはず。
「挨拶代わりに、お隣の神社にお供え物持って行こう」
家出期間中はここで過ごすから、お隣さんには挨拶しないと。
家の隣にある稲波神社はお狐様を祀っているから、おいなりさんはお供えにピッタリ。
早速いくつかのおいなりさんを取り分けたお皿にラップをして、稲波神社の鳥居をくぐる。
長くて高い階段を息を切らして上がりきると、古い町並みと山が一望できた。
私は成長したけど、紅葉に囲まれた町の秋の景色は、小さな頃と変わらない。
「懐かしい……」
風に吹かれて、持っていたおいなりさんのお酢の香りがふわりと漂った。
景色と香りでふと思い出したのは、幼馴染のこー君の存在。
こー君は、おじいちゃんのお店へよく遊びに来てくれていた、きつねそばが大好きな男の子。
確か、稲波神社の子だって聞いた気がするけど……。
「……こー君って、まだこの町に住んでるのかな」
気になって、おいなりさんを載せたお皿を持ったまま、境内をウロウロしてみる。
そうすると、小さな頃に過ごしていた光景が脳裏に浮かび上がってきた。
『うちにおいなりさん持ってきてくれたんだね。ありがとう、ほたる!』
『こー君ってば! これは神様用だよ?』
『神様用ってことは、うちの神社用でしょ? ん、美味いよ』
嬉しそうにおいなりさんを頬張る彼の頭上に、なんだか耳が生えていた気もするけど……懐かしすぎて記憶を捏造してしまったみたい。
『大人になったら、俺のために毎日おあげ作って欲しいな』
つまみ食いをしてニコッと微笑むこー君は、この辺りでは珍しくとても整った顔立ちをしていて、私はその笑顔を見るたびにドキドキしていた。
時を経て思い出した今もドキドキする。
成長した彼は、どんな姿をしているんだろう。
「最後に彼と会ったのは、いつだったかな……」
おじいちゃんが亡くなる前? それとも、お葬式の時?
不思議と記憶がうすぼんやりとしていて、うまく思い出せない。
「また会ったら、一緒に遊んでくれるかな……」
でも……再会したとしても、こんなにうじうじして卑屈で家出をするような私の相手をしてくれるのかな。
元気で明るくって人懐っこくて格好良いこー君には、友達がいっぱいいるはずだから……。
……きっと、私のことなんか覚えていないかもしれない。
「……やめよう」
こー君に遭遇するのが怖くなった私は、彼を探すのをやめた。
当初の目的だったおいなりさんをお供えをすると、行きとは違って階段をトボトボと降りて行く。
だから、俯きながら店内に戻った時は、幼馴染のこー君に再会することになるなんて、思いもしなかった。
---
こー君に抱きしめられて背中をさすってもらいながら、私はポツポツとこれまでに起きた経緯を語った。
「そうなんだ……ひとりで大変だったんだね、ほたる」
久しぶりに再会して急に泣き出したにも関わらず、こー君は優しく私を包み込んでくれる。
それがとても嬉しくて、懐かしくて……。しばらく涙が止まらなかった。
「……ぐすっ……」
けれども、こー君に話を聞いてもらって抱きしめられている間に、段々と気持ちが落ち着てきて、冷静になった私は急に恥ずかしくなってしまう。
「わー!? こ、こー君!? くっつきすぎだよ!!」
慌ててこー君から離れると、彼はちょっぴり寂しそうにしていた。
「もう終わり? もっとギュッとしてあげるよ?」
「だ、だいじょうぶ! ごめんね、急に泣いちゃって」
「泣きつかれた俺としては、役得だったけどね」
こー君は飄々と笑うと、近くの座敷に私を座らせてくれた。
「ほたる、お茶淹れてもいい?」
「私がやるよ」
「良いから。俺に任せて」
「お茶葉は、古いかもしれないよ?」
「大丈夫。ほたるの居場所を守ってほしいって、正蔵爺さんから生前頼まれていたんだ。いつでもほたるが帰って来れるようにしてあるよ」
そう言うと懐からお店の鍵を出して見せてくれた。
私に背を向けてコンロに向かうこー君の姿は、嬉しそうで……でもどこか寂しそう。
正蔵爺さんというのは、私のおじいちゃんのこと。
「……おじいちゃん、私の居場所を用意してくれていたんだ……」
しんみりと呟いていると、私の目の前にそっと油揚げが差し出された。
「だいじょうぶ? 悲しいの? おあげいる?」
俯いていた顔を上げると、残りの油揚げをチンアナゴキツネがおずおずと私に渡そうとしている。
「ううん。大丈夫だよ。心配してくれたんだね、ありがとう」
「おあげは?」
どうにも、まだ油揚げが食べたりないらしい。
潤んだ瞳で可愛く見つめられると、どうしても叶えてあげたくなっちゃう。
「私にはいなり寿司があるから、あなたが食べて良いんだよ」
「わぁい! じゃあ頂きます~!」
もぐもぐと再び食べ始めた愛らしいキツネを見て、私は手を伸ばしそうになる。
もふもふで可愛い、撫でたい……。
泣いて色々と吹っ切れた私は、小さなキツネに問いかけた。
「な、撫でても良い?」
「いいよ~!」
許可が得られたので、小さいキツネに右手の人差し指をそっと伸ばす。
ちょん、と触れると柔らかな毛並みの感触が指先に伝わった。
「わぁ……」
「もっと触って良いの!」
「うん。ふわふわ……」
「ふぁ~きもちいい~」
夢中でなでなでふわふわしていると、気づけば小さなキツネは油揚げを食べるのをやめて、気持ちよさそうに撫でられることに集中していた。
可愛さを堪能しながら撫で続けていると、キッチンからこー君の声が聞こえてきた。
「ほたる、お茶淹れたよ」
「ありがとう、こー君」
「ところで、なにやってるの?」
「えっ……と」
このあやかしのこと、なんて説明したらいいんだろう。
テーブルに近づいて私の手元を覗き込んだこー君は、小さなあやかしを見るとショックを受けた顔をして叫んだ。
「ず、ずるい!!」
「へ?」
なにが? と疑問に思っていると、こー君はそば徳利に身体がはまっていたチンアナゴキツネの胴体をぐいっと掴んで、引っ張り出してしまった。
「ひゃぁぁ!」
「こ、こー君!?」
「俺もほたるに撫でられたいのに、ずるいぞ笹雪!!」
「あるじ~! 乱暴は良くないんだ~~!!」
にょろにょろ~! と胴体をジタバタさせるチンアナゴキツネに、こー君は叱りつけている。
こうして見ると、チンアナゴと言うよりも、毛並みがふさふさなウナギみたい。
「それにまた盗み食いをして! しかも! ほたるの作った俺のおあげを!!」
私、まだ油揚げをこー君にあげるって言ってないんだけどな……。
呆然としながらも思わず脳内でツッコミをしていたので、彼らに伝わるわけがない。
「このおあげはぼくのなの~! にんげんの娘がぼくにくれたんだから~!! 盗んでないよ~~!!」
私は慌ててふたり(?)の言い争いを止めた。
「ちょ、ちょっと待って待って! こー君! それは確かに私がこの子にあげたの!」
すると、こー君とにょろりキツネの動きがピタッと止まった。
「え? そうなの?」
「そうなの! 酷いよあるじ、えんざいだよ……」
「それは悪かった……」
こー君があんまり納得していなさそうな表情で渋々と手を放すと、自由の身になったチンアナゴキツネはにょろりとそば徳利に身を潜めてしまった。
……ただし、顔だけ出して、名残惜しそうに潤んだ瞳で食べかけおあげを見つめている。
「だけど、ほたるの作ったおあげを俺より先に食べるのは許さない!」
「ぴぇ……。あるじはおうぼう……」
ふたり(?)を見比べながら、私は首を傾げた。
「こー君、このあやかし知り合いなの?」
元そば屋だった夜行庵は、あやかしに大人気だった。
おじいちゃんとも仲の良いこー君だって、当然あやかしの存在を認識している。
彼は神社の息子さんだし、このあやかしキツネとも何らかの関わりがあるのかも。
「ああ、うん。こいつ……管狐って言うあやかしなんだけど、俺の式神でさ」
「くだぎつね? チンアナゴキツネじゃないんだ?」
「まあ確かに胴体がチンアナゴみたいだけど……管狐だね。名前は笹雪って言うんだ」
「ささゆきです!」
チンアナゴキツネ……じゃなくて管狐の笹雪は、そば徳利から身体をにょろんと伸ばしてぺこりとお辞儀した。
「あ、はい。私はほたるです。夜行ほたる。よろしくね、笹雪」
「ほたるのおあげはおいしいね~! ぼくに毎日おあげ作ってほしいな~」
「だめだ! 絶対に!」
「ガーン!」
真顔で禁止するこー君の言葉に、笹雪は耳をぺたりと伏せて悲しそうにしょぼしょぼしてしまった。
「ふふっ」
そんなふたりのやり取りを見ていて、私は思わず懐かしくなる。
確か小さな頃にも、こー君に「俺のために毎日おあげ作ってほしい」って言われていたんだっけ。
ペットじゃないけど、式神は主に似るんだなあ……と思うと、ふたりとも可愛く思えて微笑ましくなってしまう。
「あっ、笑った〜!」
「良かった……」
私がふたりの様子を眺めていると、彼らの視線がぎゅんっ! とこちらに向く。
「へ? ど、どうしたの?」
びっくりした私が問いかけると、ふたりはニコニコ笑顔で答えた。
「やっと笑ってくれたね、ほたる」
「ずっと悲しそうな顔してたの」
私が悲しい表情をしていたり、泣いたりしていたことを、ふたりは気にかけてくれていたみたい。
「ほたるには、笑顔でいてもらいたいな。実家が辛いならここにいなよ」
こー君はお茶を私に渡してくれると、ぽんと優しく頭を撫でてくれた。
さっきまであんなに泣いたのに、こー君の温かさに目がじんわりと潤んでしまいそうな気がする。
「ありがとう。しばらくそうするつもりなの」
「しばらくと言わず、ずっとここに居てほしい」
「ふふっ、さすがにそれは無理だよ」
思わず家出してしまったけど、そのうち戻らないと行けないし。
それに、実家に戻ったらもうここには戻って来られない気がする。
「どうして〜? あるじの言う通り、ずっとここにいればいいのに〜」
「それは……」
私も、ずっとここにいたい。
おじいちゃんの家にいると、心がとても穏やかになるから。
だけど、何も為さずにこの家にいるだけなんて、本当に良いのかな……。
誰からも陰口を言われないだけで、実家にいるときと何ひとつ変わらない気がする。
そうだ、だって私は、このおじいちゃんの家に家出して来たんだから。
何かが変わるわけなんて、ない。
答えかねていると、笹雪が無邪気に微笑んだ。
「そうすればおいしーおあげがいっぱい食べられるもん。えへへー」
「食いしん坊め」
「あたっ! ぼうりょくはんた〜い!」
何も出来ない苦しさでツキリと痛んだ胸は、笹雪にチョップするこー君の賑やかなやりとりで吹き飛んだ。
こー君が淹れてくれたお茶を一飲みして、私は問いかける。
「そういえばこー君、神主さんみたいな格好してるね。おうちのお手伝い?」
「神主みたい、じゃなくて神主やってるんだよ。親父のあとを継いだんだ」
「すごいね。神主さんって神社の社長さんみたいなものでしょう?」
「凄くないよ。小さな村の小さな神社だからさ」
「でもすごいよ。私は進路決まらないし……やりたいことなんて……なにも……」
「……ほたる」
俯く私の頭を、こー君は優しく撫でた。
「これからのことはあとで考えるとしてさ。一緒にお昼ご飯にしない?」
こー君はそう言うと、私がさっき神様にお供えしたばかりのおいなりさんを笑顔で取り出す。
「ほたると一緒に食べようと思って、持ってきたんだ」
昔から変わらないこー君の様子に、私も思わず笑ってしまう。
「こー君ってば、相変わらずお供え物つまみ食いしてるの?」
「あるじも食いしん坊だー!」
「今も昔も、他のは手を付けてないよ。俺が欲しいのは、ほたるだけだから」
こー君から真っ直ぐに見つめられてドキッとする。
恥ずかしさを誤魔化すように、私も自分の昼食として確保していたおいなりさんを掴んだ。
「じゃ、じゃあ食べよう」
「ぼくもおいなり食べるの〜!」
「笹雪にはおあげがあるだろう」
「ふぐぅ……」
私とこー君は隣同士に座って、手を合わせておいなりさんを食べ始めた。
「いただきます」
ひとくち食べると、あげたて油揚げに甘じょっぱい酢飯の味が口いっぱいに広がる。
「うん! おいしく出来てよかった」
「美味い! 美味いよ、ほたる!」
こー君も気に入ってくれたみたいで、おいなりさんを次々と食べてくれる。
「いいなあ。ぼくも食べたいなあ」
味わってもぐもぐと食べていると、目の前のそば徳利に収まって油揚げを食べていた笹雪からのうらめしそうな視線が……。
油揚げがあるとはいえ、ちょっと可哀そうだなあと思いながら食べていると、不意に背中にもふもふふわふわとした感触を感じる。
優しくてくすぐったくて、なんだか不思議とちょっぴり懐かしいような感じのもふもふが気になって後ろを振り返ると……。
「……しっぽ?」
何故か狐っぽい尻尾がもふもふんっと揺れていた。
尻尾の生えている場所を目で追ってみると、それはこー君から生えていて……。
「えっ……と、こー君?」
いやそんなまさか……と思って顔を見上げてみると……。
おいなりさんを食べてニコニコと微笑むこー君の頭上に、ふわふわな耳がひょっこりと飛び出していた。
余程おいなりさんがおいしいのか、尻尾も耳もぴょこぴょこご機嫌に動いていて可愛い。
可愛いんだけど……なんでこー君から尻尾と耳が?
「こー君?」
「なにかな? ほたる」
「耳と尻尾が生えてるよ……?」
「えっ!? わっ、やばっ!!」
こー君は慌てて手で耳を隠しているけど、さっきまでなかった耳は一向に消える気配がない。
「こー君って、あやかしだったの?」
「……そうだよ。俺は妖狐の末裔。いつもは耳と尻尾は隠してるんだよ。……ほたる、俺のこと怖い?」
耳と尻尾をぺしょりと倒して問いかけるこー君の姿は、庇護欲を誘う様子で可愛い。
「え? なんで? おじいちゃんのそば屋にあやかしは沢山来ていたし、笹雪もあやかしだから、怖くないよ。むしろ可愛いよ」
「か、かわ……。怖がられるより良いけど、なんだか複雑だな……」
複雑だと言いつつも、こー君の尻尾と耳は嬉しそうにふわふわと揺れていて、見ている私も嬉しくなった。
「でもなんで急に尻尾と耳が出てきたの?」
「それはたぶん、ほたるの料理を食べたからじゃないかな」
「私の?」
「ほたるの作る料理には、あやかしの妖力を回復させる力があるんじゃないかって思うんだ。正蔵爺さんの蕎麦みたいに」
こー君は私の手を取って、目を真っ直ぐに見て言った。
「ねえ。ほたる。もし進路に悩んでいるならさ……夜行庵を再建しないか?」
「えっ?」
「迷えるあやかしたちのために、蕎麦を作ってほしいんだ!」
こー君の提案は、行く場所を失くしたあやかしのためでもあり……そして、居場所を求める私のためでもあった。
……これは、後ろ向きだった私が前を向いて、そして……こー君との恋を自覚するお話。



