(やめよう。このまま静かに離れるのがいい)


これが必要とされる選択だ。

目を伏せて裸足で小石を擦ると、視界が後ろに引っ張られる。

「……月冴さま?」

手首を掴まれ、少女がひゅっと喉を鳴らす。

月冴が手首を握る力を強め、広い胸に少女の身体を引き込んだ。


「すでに差し出した生贄はいる。そんなもの、送られるだけ迷惑だ」


(いたい……)

突然、生贄として送られたのだから月冴にとって迷惑でしかない。

厄介者には相応の態度をとってほしいのに、月冴の手は熱くて少女の心を切なくさせる。


「誰が言い出したかは知らぬが、私は土地神ではない」


そう言いきって月冴は鬼火であたりを囲み、椿をけん制した。

物珍しい鬼火に椿は椿は首をかしげ、白無垢の角隠しを外す。


「土地神ではない。ではあなたは何でしょう?」

「あやかしだ。少なくとも人間にやさしい生き物ではない」

「あやかし……ですか」


椿は口元を隠し、目を細めて三日月の形にする。

冷めた目が少女に向き、袖をおろして赤い唇を歪ませた。


「やさしさがないのであればちょうどよいですわ」


まるで凶器だ。

あざやかに雪景色のなかで咲く花、紅の瞳に魅入られれば首は落ちる。


(この人、変わった?)


記憶の中にあるのは村で一番気立ての良い可憐な女性。

ほがらかな笑顔を浮かべ、ドジで転倒した少女に手を差し伸べてくれるような人だった。

誰もが少女をあざ笑うのに、一人だけ少女の着物についた泥を払ってくれた。

やさしい一面しか知らなかったので、今見える鋭さは余計に恐怖をあおってきた。



「わたしはあなたがあやかしでも構いません。……神に嫁ぐ。その覚悟で参りましたから」


挑発か、椿は紅色の唇をペロリと舐める。


「嫁ぐだと?」

「えぇ。たどり着いた先でお会いした方の妻となる」


棺からゆっくりと離れ、椿は月冴の前に立つと視線を流して少女を一瞥した。


「短い間ですが、よろしくお願いしますね。名無しの娘さん」


空虚感に足元に大きな穴が空いた気がした。

椿の髪には白い大輪の花が咲いている。

花の飾りを掴むと、椿はやけくそな微笑みを浮かべて花びらをひらひらと落とした。

波紋する庭石を踏み分けて、椿はためらうことなく屋敷に進んでいく。



「も、戻ります。私が決めることはなにも……」


月冴の胸を押し、少女は熱の集中する頬を袖で擦る。

ここにいる特別さに自惚れていた。

恥ずかしさに頭が締め付けられる。

汗ばんだ手を月冴に気づかれたくなかった。




「逃げるな」


振り向けない。

だけど足は動かない。

肝心なときに決断力がないと、あきらめばかりの生き方に下唇を噛んだ。