(志成様のせいで、全然眠れなかったわ……)

 翌日の早朝。完全に睡眠不足の私は、池に写った自分の顔をどんよりした気分で見つめる。呪詛が解けてからはすっかりなくなっていた目の下のくまが復活しており、私は深いため息をついた。
 良くない想像に取り憑かれた私は、思わず羽織に裁ち鋏を入れた。私が縫った羽織で、別の女性と会うなんて信じられない。
 その後はとても一緒の部屋で眠るなんて出来ず、一晩縁側で月をぼーっと眺めながら過ごした。朝日が出てきたので、心を曇らせる澱みを取り去りたい一心で、私は庭に佇みあえて朝日の下で光を浴び続けている。
 どうにか陽の光で澱みが浄化してくれないかと考えつつ朝露に濡れた庭を散策していると、屋敷の中で何やら騒ぎが起こっているのが聞こえた。

「志成様、どうか落ち着いてくださいませ」
「落ち着いていられるか! 早く皆を叩き起こして、探さなければ……」

 どうやら志成様が何かを探しており、それを使用人達が宥めているらしい。
 ……今は、顔を合わせたくない。もう少し庭を散歩したって許されるだろう。そんな軽い気持ちで、何も聞かなかったことにして立ち去ろうとしたのだが。

「しかし影を辿っても見つからないのでしょう? では屋敷の中には居ないものとして考えた方が……」
「だから急ぐと言っているんだ! 昨晩布団を使った形跡もなければ、何か騒ぎが起きたわけでもない。影のことを知らない和音が自力で失踪出来るわけがないし、俺の羽織は切り捨てられていた。きっと正行だ……あいつが、和音を……!」

(えっ……私が探されているの?)

 どうしてそうも必死で私を探しているのか理解に苦しむが、私は逃げてなど居ないし、誘拐されてもない。なんならすぐ側の庭に居る。そして羽織がズタズタなのは嫉妬に駆られた私の仕業だ。
 屋敷の方に視線を移せば、寝室近くの外廊下で志成様が膝から崩れ落ちた瞬間だった。その手には刻まれた羽織が握られている。

「和音、和音……お願いだ。生きているなら何かの影を踏んでくれ。どこに囚われていても、絶対に探し出してみせるから……」
「志成様、お気を確かに。まだそうと決まったわけではありません。志成様は優秀な闇の能力の使い手でございますから自信がお有りなのかも知れませんが、最近の激務ゆえの捜索漏れの可能性も」
「だから皆を叩き起こして、闇の能力の使い手総出で探せと言っているんだ! あぁどうしてもっと頑丈な鳥籠に囲っておかなかったのだろう……失うくらいなら、座敷牢にでも閉じ込めてしまえばよかった」

 ここまで取り乱した志成様を見るのは初めてだった。

(どうして? 志成様には、私より好きな人が出来たのではないの? それに……『影』って何?)

 影なら私の足元にも伸びているが、これでは駄目なのだろうか。疑問に思った私はすぐ近くにある石灯籠に近寄って、そこから伸びる影に入った。志成様の言った「影を踏んでくれ」を実行してみることにしたのだ。

「──ッ和音!!」

 その瞬間、志成様と目が合った。必死の形相で外廊下から飛び降りて、草履すら履かず、裸足のまま私に向かって駆けてくる。痛いぐらいに私を抱きしめるその力は、私の脳内にとある仮説を浮かび上がらせた。

 とても小さな私の歌声が聞こえたのも、街で私が助けを求めた声がすぐに届いたのも。夜間志成様が不在の時でも歌って欲しいと言われたのも──

「和音、無事でよかった! 屋敷の中に居ないから、正行に攫われたのかと……」
「もしかして志成様は、『影』を通して私を見ているのですか?」

 志成様から返ってきたのは、無言の肯定だった。