「神楽(かぐら)様、香取家から詩織(しおり)様がいらっしゃいました」

 「入れ」


 詩織と呼ばれた少女はくぐもった声の主がいる襖の中へ足を踏み入れた。

 大広間には一人の若い男性が座って、左右にはこの男性に仕えているだろう家臣が腰を下ろして値踏みするかのように見ていたが、詩織は全く気にせず、むしろ、

 (ものすごく広い......!)

 今自身が置かれている状況を全く見ていないかった。


 「そなたが詩織か?」


 上座に座る神楽の声で周囲を見るのを止めて、その場で跪いた。


 「はい。詩織と申します、領主様。......あの私に何か御用ですか?」


 その瞬間、声には出ていないが、この場にいる者全員が『え?』と目が点になってしまった。

 右に他の文官と共に座っている詩織の父親だろう男は手で顔を覆っていた。


 「そなたはこの場が何か聞いていないのか?俺の正室候補として面会に来たんじゃないのか?」

 「私は正室候補として呼ばれたのですか。てっきり、領主一族に何かあるのではと思ってしまいましたが、杞憂でしたか。てっきり成人しか参加できない武道大会に私も参加できるという知らせかと思っていたのですけど」


 (まさか、大会ではないなんて......)

 詩織の整った眉が残念そうに下がっていた。


 「どうして、この場で武の話が出るのだ?」

 「え?普通でしょう?」


 詩織はどうして神楽がこのように言うのか分からなかった。

 頬に手を当てて首をかしげると肩に髪がさらりと絹糸のような髪が触れた。


 「普通なわけないだろう!詩織、この場では基本的に俺の正室となるために女子(おなご)達はこぞって得意なことや趣味を話すのだが.........」

 「では、武に関することですね」

 「いや、なんでそうなる。琴とか裁縫だろう」

 「琴に裁縫ですか......」


 詩織は神楽から視線をそっと外した。

 琴や裁縫は武家の女性として必要な教養の一つでできて当たり前なのだが、

 (指、動くかな)

 できるかどうか怪しかった。

 昔、母親に妹と一緒に教えられたのだが、興味なんてなく、最低限度できるようになると止めてしまった。


 「......もし良かったら、教えようか?」

 「遠慮しておきます」

 「武官と一緒に鍛錬できると言ったら?」

 「よろしくお願いいたします、領主様」

 「こちらこそ、よろしく、詩織」


 あっさりと折れて目先のことに飛び込んだ詩織を見て、不安を感じるのと同時にこれから始まる毎日を想像して全く動かなかった表情が僅かに緩んだ。

 このことに、


 「神楽様の表情が動いたぞ!」

 「これで正室は決まりましたね!」

 「詩織様、ありがとうございます!」


 両脇に座る家臣一同はお祭り騒ぎのように騒ぎ出した。

 一部の者は詩織に感謝して崇めているが、詩織はにこにこしてこの場にいた。

 詩織の長い睫毛に縁どられた瞳を軽く閉じて微笑するする姿は聖女のようにも見えるが、これが思考を放棄している顔だと分かるのは果たしてこの場に何人いるのだろうか?

 後日、佐久穂国(さくほのくに)に正室が決まったと御達しが来た。