今回は二日間の休日だったようで、本日も偲は休みである。
よって時生もまた、自動的に休暇という扱いだ。
秋も終わりに近づいてきた本日、偲は澪と剣道の稽古をしている。終わったら居室へ戻ってくると話していたから、時生は秋だけれど冷たい飲み物を渡したいと考えて、台所でその用意をしていた。すると稽古を終えた様子で二人が着替えに向かったのが見えたので、早速麦茶を用意して、二人が顔を出すという居室へと向かった。
掛け軸と赤茶色の低い卓がある畳の部屋で、開け放された障子の向こうには、庭がよく見える。本日は秋雨が降っており、紅い楓の葉を濡らしている。
「ああ、時生」
そこへ澪の手を引いて、偲が入ってきた。片手には茶封筒を持っている。
「あ、あの、これ……よかったら」
そう言って時生がコップを二つ示すと、柔らかな表情で偲が笑った。
「コップが一つ足りないのではないか?」
「え?」
「時生の分がない。持ってくるといい、澪も喜ぶ。な?」
「うん! 早く持ってきて!」
笑顔の二人の言葉に、照れくさくなって、はにかむように笑ってから、時生は台所に自分のコップを取りに行った。そして戻ってきて、三人で卓を囲む。
「うん、やはり一汗かいた後は、冷たい麦茶が美味いな」
ほっと息を吐いた偲の姿に、両手でグラスに触れながら、時生は唇の端を持ち上げる。
「よく、妻もこうして冷たい麦茶を用意してくれたんだ」
「そうだったんですか」
「ああ。彼女も一緒に飲むことが多かった。大抵いつも彼女は、俺より年上である事を気にしていて……俺は歳など関係ないと伝えたのだが」
苦笑するように偲が語る。
澪がコップに口をつけながら、その横顔を見ている。
偲の正面に座っている時生は、〝妻〟という言葉に、訊いていいのか迷いつつ、どうしても考えてしまう。何故、出て行ったのだろうか? どのような、人なのだろうか? そこまで踏み込んでは悪いようにも思う。思考の迷宮に迷い込んだように、思わず悩んでいると、偲が顔を上げて、不思議そうに首を傾げた。
「時生? どうかしたのか?」
「い、いえ……」
「悩んでいる顔をしていた。悩みがあるなら、打ち明けて欲しい。気を楽に過ごしてほしいんだ、俺は」
「そ、その……悩んでいると言いますか……」
「煮え切らないな。なんだ?」
偲の声に、言葉に窮した時生だったが、悩みあぐねいた末、率直に尋ねることに決める。
「実は伺いたいことが……」
「なんだ? なんでも聞いてくれ。答えられることならば答える」
すると偲が真面目な表情に変わった。
意を決して、時生は続ける。
「奥様は、どのような方なんですか?」
「鶴だ」
「え?」
「鶴だ」
「そ、そうですか」
「他には何かあるか?」
「いえ……」
二回も繰り返されたので、聞き間違いではなさそうだった。名前なのだろうか? と、時生は首を捻りそうになる。鶴とは一体どういうことなのだろう。
「お父様、そこに置いてある茶色い封筒はなんだ?」
「ああ、これは明日の会議で使う書類でな。読み返しておこうと思ってここへ置いたんだ。大切な書類だから、明日はこれが絶対に必要なんだ。二時からの会議で使うのだが、まだ調整したい部分もあるから、今日は細部を読み込みたくてな」
追求したい気持ちもあったが、偲と澪が話し始めてしまったので、これ以上聞ける空気ではない。
こうして、お茶の時間は流れていった。
よって時生もまた、自動的に休暇という扱いだ。
秋も終わりに近づいてきた本日、偲は澪と剣道の稽古をしている。終わったら居室へ戻ってくると話していたから、時生は秋だけれど冷たい飲み物を渡したいと考えて、台所でその用意をしていた。すると稽古を終えた様子で二人が着替えに向かったのが見えたので、早速麦茶を用意して、二人が顔を出すという居室へと向かった。
掛け軸と赤茶色の低い卓がある畳の部屋で、開け放された障子の向こうには、庭がよく見える。本日は秋雨が降っており、紅い楓の葉を濡らしている。
「ああ、時生」
そこへ澪の手を引いて、偲が入ってきた。片手には茶封筒を持っている。
「あ、あの、これ……よかったら」
そう言って時生がコップを二つ示すと、柔らかな表情で偲が笑った。
「コップが一つ足りないのではないか?」
「え?」
「時生の分がない。持ってくるといい、澪も喜ぶ。な?」
「うん! 早く持ってきて!」
笑顔の二人の言葉に、照れくさくなって、はにかむように笑ってから、時生は台所に自分のコップを取りに行った。そして戻ってきて、三人で卓を囲む。
「うん、やはり一汗かいた後は、冷たい麦茶が美味いな」
ほっと息を吐いた偲の姿に、両手でグラスに触れながら、時生は唇の端を持ち上げる。
「よく、妻もこうして冷たい麦茶を用意してくれたんだ」
「そうだったんですか」
「ああ。彼女も一緒に飲むことが多かった。大抵いつも彼女は、俺より年上である事を気にしていて……俺は歳など関係ないと伝えたのだが」
苦笑するように偲が語る。
澪がコップに口をつけながら、その横顔を見ている。
偲の正面に座っている時生は、〝妻〟という言葉に、訊いていいのか迷いつつ、どうしても考えてしまう。何故、出て行ったのだろうか? どのような、人なのだろうか? そこまで踏み込んでは悪いようにも思う。思考の迷宮に迷い込んだように、思わず悩んでいると、偲が顔を上げて、不思議そうに首を傾げた。
「時生? どうかしたのか?」
「い、いえ……」
「悩んでいる顔をしていた。悩みがあるなら、打ち明けて欲しい。気を楽に過ごしてほしいんだ、俺は」
「そ、その……悩んでいると言いますか……」
「煮え切らないな。なんだ?」
偲の声に、言葉に窮した時生だったが、悩みあぐねいた末、率直に尋ねることに決める。
「実は伺いたいことが……」
「なんだ? なんでも聞いてくれ。答えられることならば答える」
すると偲が真面目な表情に変わった。
意を決して、時生は続ける。
「奥様は、どのような方なんですか?」
「鶴だ」
「え?」
「鶴だ」
「そ、そうですか」
「他には何かあるか?」
「いえ……」
二回も繰り返されたので、聞き間違いではなさそうだった。名前なのだろうか? と、時生は首を捻りそうになる。鶴とは一体どういうことなのだろう。
「お父様、そこに置いてある茶色い封筒はなんだ?」
「ああ、これは明日の会議で使う書類でな。読み返しておこうと思ってここへ置いたんだ。大切な書類だから、明日はこれが絶対に必要なんだ。二時からの会議で使うのだが、まだ調整したい部分もあるから、今日は細部を読み込みたくてな」
追求したい気持ちもあったが、偲と澪が話し始めてしまったので、これ以上聞ける空気ではない。
こうして、お茶の時間は流れていった。