妖厄神――『禍神(まががみ)』の類とされ、他の神々とは異なる立ち位置にいた。人族の地に神出鬼没に現れ、あらゆる不運、災厄を誘発させる力を持つ。その度に多くの人族や生物が滅し、不幸になるため、当然忌み嫌われ、死神並みに恐れられていた。
 とはいえ、妖怪に値する存在ではないので、神々の間でも扱いに困り、煙たがっていたのだ。同じ種族には、疫病神、貧乏神などがいる。それでも神族に値するのは、彼らの能が驚異的であり、理では(まか)り通るからだ。
 しかし、その非情で傍若無人な所業から、『人族を伴侶にするなど有り得ない』『そんな怪異な者に太刀打ちできる巫女などいない』と見られ、どこの社も尊巫女をなかなか出さなかった。

「贄となり、貴女があの一族を鎮めて頂戴。この為に力を使いこなし、鍛えてきたのです」

 自分の異能は、そんな脅威的な力に対抗できるとは思えない。アマリは困惑した。

「そんな…… 私には無理です……!」
「ずっと皆様の治癒の為に使って来ましたが、貴女の本来の力は、生命萌芽(ほうが)……自然再生なのです。逆風となり相殺され、彼らの力を少なからず抑え込む事ができるでしょう」

 知らずにいた真実に、アマリは絶句した。なら、何故、一人きりで隔離されていたのだろう。最初から死ぬしか無い宿命だったなら、それまで両親や弟妹と過ごしたかった。
 例え希薄な間柄でも、独りきりで離れに籠り、『仕事』や教養、芸事の稽古にばかり費やして暮らすよりは……良かった。

輿(こし)入れは、次の新月の夜になります。支度はこちらで進めますから、貴女は今まで通り務めるように。――アマリ」

 宥めるような口調の最後。駄々っ子に言い聞かせるように、念を込めた母の言葉が、彼女の心を(えぐ)った。
 いつも通り従った様子の娘を満足げに見やりながら部屋から出て行く父母の後を追いかけ、問い正す気力は湧かない。

 アマリは『甘利』とも書く。利益を甘んじる、最上位にするという意味の名だ。彼女が産まれた時、祈祷師(きとうし)が重々しい口振りで、こう予言したらしい。

『この(わらべ)はやがて尊巫女となり得るが、極めて稀な力を宿している。有り余る富をもたらすか、手に余る災いをもたらすかは、貴殿方次第でございましょう』

 それを聞いた両親や親戚は、喜ぶ一方、畏怖(いふ)を覚えたという。そこで、娘を上手く飼い慣らし、自分達の利用する事にしたらしい。それを知ったのは数年前。屋敷に仕える下女の立ち話を、物陰で偶然聞いた時だ。
 それまでの違和感、絡まりが一気にほどけ、そのまま崖下に引き落とされた。信じてきた人、教え……全てが崩れ、壊れた瞬間――


 ……どのくらいの時が経ったかわからないまま、ふらり、とアマリは離れの庭園に出た。この小さな庭が唯一の外の世界だ。
 『施し』の仕事を始める時、依頼者にどんなに乞われても絶対に叶えてはいけない、叶えられない幾つかの事柄を、厳しく教えられた。

 『死者の生還』『心を操る』『金品財宝などの富を与える』……等だ

 どれも倫理に反していて、アマリへの負荷も多大で、命に関わるからだと聞いた。その時は、これは親の愛情なのかと嬉しくなったが、今では、それすらも信じられない……

 庭の生け垣には、山茶花(サザンカ)が咲いている。宵闇の中、赤と白に咲く、雅やかで艶やかな姿がアマリは好きだった。

 ――せめて、一度だけでも……薄紅色が観たかったわ

 山茶花には桃のような薄紅色もある。植えてもらえないかと庭師に申し出てみたが、尊巫女の印象(イメージ)の為、巫女装束に使われる紅と白だけ植えるよう、奥方様に頼まれているから……と、申し訳なさそうに言われた。
 薄紅色の山茶花の花能(はなぢから)は……『永遠の愛』だ。アマリの異能では叶えられない。

 ――そうだったわね。かなわない、のよね。何もかも
 ――『愛』が、何かもわからないまま、死ぬのだから……

 闇夜に浮き出る紅白の花の前で、()れ切っていた瑠璃の()を、独り(にじ)ませた。



「アマリ様。この度は誠に有難き事にございます」

 『輿(こし)入れ』が決まってから参拝者を始め、屋敷に仕えるあらゆる者に礼を言われ続けた。ある者からは泣かれ、(うやうや)しく頭を下げられながら……
 ()()()()()の日々が、感傷に浸る余裕も無いまま過ぎてゆく。世話をしてくれる侍女は、少し複雑そうな眼差しで彼女を見つつも、変わらず接していた。

 ――もう、何も考えない。これが、私の生きる義務、宿命……

 自身に呪文をかけるように、何度も何度も、同じ言葉を繰り返し、言い聞かせる。

 この数年、年替わりに天変地異を始め、疫病の蔓延、火災、飢饉、治安の悪化という様々な災厄が、人族の地を襲っている。恐怖と絶望に陥った人々が、何かの救いを求めたがるのは無理も無いと思った。
 自分がその元凶の一つを少しでも鎮められるのなら、これが自分の役目で存在意義なのだ……と、自身に改めて(さと)した。
 拒否した時の彼らを想像すると、罪悪感で痛ましくもなる。自分の命や人生の事など、少しでも気にしたら、自身の()()が狂ってしまいそうだった。
 ()す術が無いという以前に、そんな考えや疑問すら持つ事自体、決して赦されないのだ。幼子の頃から暗に()され、命じられている。


 瞬く間に、いよいよ明日が『輿入れ』の夜となった。心身共に疲れ切ったアマリは、虚脱に陥っている。
 この離れに連れて来られてから、一人で夜を過ごすのは当たり前だった。寂しさと心細さ、悪夢による恐怖で泣きながら助けを呼んでも、『騒がしい』と(とが)められた。
 舞などの稽古(けいこ)中、厳しさに涙すると師範に注意され、その後、母にきつく叱咤された。そんな中、一つ一つを諦め続け、気づいた時には()()()てていた。

 ――妖厄神()…… せめて、完全に殺してから、贄にして下さらないかしら……
 ――あ…… でも、彼にとって私は毒なのね……嫌われてしまうわ……

 朦朧(もうろう)としたまとまりの無い脳裏に、そんな(いびつ)に壊れそうな考えが浮かぶ中、婚礼前夜が過ぎた。


 翌日。ほとんど眠れなかったアマリは、朝から始まった『輿入れ』の支度にも、されるがままだった。この役目を代々任されてきた侍女達によって行われ、順序良く事が進んでいく。
 仕上げの白無垢を(まと)った時は、淡い瑠璃の瞳が白一色の姿に一層映え、神秘的な美しさを醸した雅な姿になっていた。

 ――……私……死ぬのよね……? これから……

 姿見(すがたみ)に身体を映され、「お美しゅうございます」等と絶賛される。相手が神族とはいえ、いつかは花嫁衣装を着るという未来は憧れだったが、上質な衣も丁寧に施された化粧も、()く為の死装束にしか見えない。『今更よね……』と自虐的に(わら)う。
 これも見知らぬ()()に決められていた事。人族の為に犠牲となる、尊き巫女の清く潔い姿を、民に見せつける儀式……祭典の一環なのだと。


 真冬の新月の夜更けは、粉雪が降っていた。そんな凍てついた空間でも、周辺に住む民が、今夜『輿入れ』する尊巫女を一目見ようと、屋敷の正門付近に集まっている。彼女の()()()は、既に知れ渡っていた。
 自分達の為、あえて妖厄神の元へゆく……「何と気高く、慈悲深い尊巫女様」と、手を合わせながら崇め、中には憐れみを含んだ眼差しを向ける者もいる。皆、この婚姻は『花嫁の死』によって終わる儀式だと知っていた。

 門近くに、一人用の駕篭(かご)(たずさ)えた、社に仕える従者二人が待っていた。民が傍観する中、侍女に付き添われた白無垢姿のアマリが現れる。

「尊巫女様。こちらへ」

 中に乗るよう、従者の一人が(うやうや)しく促す。純白の花嫁を乗せた駕篭は、屈強な彼らに担がれ、雪舞う道へ進み、闇夜に消え入った。