「アマリ。お前のいき先が決まりました」
数日前の夜更け。アマリの暮らす離れに、両親が揃って訪ねて来た。
「どちらの神様の元へでしょうか?」
幼少期は神々や一族の昔話を乳母から、物心ついてからは自身の責務と宿命を師範から説かれている。
異能が強くなった頃、『施し』を行う離れの一室に、独り置かれた。それから十年程、侍女が世話に来るだけの日々に変わった。情が希薄な家だったが、そんな扱いをされたのはアマリだけだ。
「妖厄神です」
「⁉」
様付けしない神に対する称では無い呼び方。皆、似た概念で彼を捉えている。世間知らずのアマリでも、とんでもない状況だと判る。伴侶になる道は絶たれるという、酷な未来を意味していたからだ。
「お前にしか果たせないのだ。頼む」
「解って頂戴。貴女の宿命なの」
愕然とする娘に、形式的に父は語り、母は必死の形相で乞いた。
「……ですが、何故……?」
妖厄神――『禍神』で、他の神と異なる類にいた。人族の地にあらゆる不運、災厄を誘発させる力を持つ。その度に多くの人族や生物が滅する為、当然忌み嫌われ、死神並みに恐れられていた。その非情な所業に尻込みし、どこの社も尊巫女を出さなかったのだ。
「贄となり、鎮めて頂戴。この為に力を鍛えてきたのです」
自分の異能は、そんな脅威的な力に対抗できるとは思えない。
「そんな……私には無理です……!」
「ずっと皆様の治癒に使って来ましたが、貴女の本来の力は生命萌芽……再生なのです。逆風となり相殺され、あの一族を弱らせる事ができるでしょう」
意識が、遠退く。始めから死ぬ宿命だったなら、独りでいたくなかった。寂しさや恐怖に助けを呼んでも『騒がしい』と叱られ、稽古の厳しさに弱音を吐くと、母に罵倒された。そんな中、一つ一つ諦め続け、全て棄てたのだ。
「輿入れは、次の新月の夜になります。支度は進めますから、貴女は今まで通り務めるように。――アマリ」
駄々っ子を宥めるように念を込めた母の口調が、アマリの心を抉る。いつも通り従った様子の娘を見やり、父母は出て行った。
アマリは『甘利』とも書く。利益を甘んじるという意味だ。彼女が産まれた時、祈祷師が予言したらしい。
『この童は極めて稀な能を宿している。有り余る富をもたらすか、手に余る災いをもたらすかは、貴殿方次第でございましょう』
両親や親戚は喜ぶ一方、畏怖を覚えたという。そこで娘を上手く飼い慣らし、利用する事にした。
真実をアマリが知ったのは数年前。屋敷の下女の噂話で、裏名の由来と共に偶然聞いた時だ。それまでの違和感が一気にほどけた。そのまま引き落とされ、信じてきた人、教え……全てが崩れ、落ちた瞬間――
ふらり、とアマリは離れの庭に出た。庭の生け垣には山茶花が咲いている。宵闇の中、紅と白に咲く、雅で艶やかな姿が好きだった。
――せめて、一度だけでも……薄紅が観たかったわ
山茶花には桃のような薄紅色もある。植えてもらえないかと庭師に申し出てみたが、巫女装束に使われる紅と白だけ植えるよう頼まれているからと断られた。
どんなに乞われても絶対に叶えてはいけない『施し』を、幾つか厳しく命じられた事がある。『死者の生還』『心を操る』等だ。どれも倫理に反し、アマリへの負荷も多大だからと聞いた。
薄紅色の山茶花の花能は……『永遠の愛』。アマリの異能では叶えられない。
――そう。かなわない、のよね。何もかも
――『愛』が、何かもわからないまま、死ぬのだから……
闇夜に浮き出る紅白の花の前で、涸れ切っていた瑠璃の眼を、独り滲ませた。
翌日。参拝者を始め、屋敷に仕えるあらゆる者に礼を言われた。ある者からは泣かれ、恭しく頭を下げられながら……今まで通りの日々が、感傷に浸る間も無いまま過ぎてゆく。
この数年、疫病の蔓延、火災、飢饉、治安の悪化等の様々な災厄が、人族を襲っている。恐怖と絶望に陥った人々が、救いを求めるのは無理もなかった。自分の命や人生の事など、疑問を持つ事自体が赦されない。これが自分の存在意義だと、自身に唱えてきた。
輿入れ当日。この役目を任されてきた侍女達によって、事が進んでいく。仕上げの白無垢を纏い、淡い瑠璃の瞳が白一色に一層映えた姿になると、姿見に全身を映された。そんな自分をアマリは虚ろに眺める。
――……私、死ぬのよね? これから……
迎えた申の刻。粉雪が宵闇を舞っていた。そんな凍てついた中でも、周辺の住民が、輿入れする尊巫女を一目見ようと、屋敷の正門付近に集まっている。彼女の行き先、これは『花嫁の死』によって終わる儀式だと、皆知っていた。
一人用の駕篭を携えた、社に仕える従者二人が外で待っていた。侍女に付き添われた白無垢姿のアマリが門から現れると、中に入るよう、従者が恭しく促す。
花嫁を乗せた駕篭は、やがて闇に消え入った。
数日前の夜更け。アマリの暮らす離れに、両親が揃って訪ねて来た。
「どちらの神様の元へでしょうか?」
幼少期は神々や一族の昔話を乳母から、物心ついてからは自身の責務と宿命を師範から説かれている。
異能が強くなった頃、『施し』を行う離れの一室に、独り置かれた。それから十年程、侍女が世話に来るだけの日々に変わった。情が希薄な家だったが、そんな扱いをされたのはアマリだけだ。
「妖厄神です」
「⁉」
様付けしない神に対する称では無い呼び方。皆、似た概念で彼を捉えている。世間知らずのアマリでも、とんでもない状況だと判る。伴侶になる道は絶たれるという、酷な未来を意味していたからだ。
「お前にしか果たせないのだ。頼む」
「解って頂戴。貴女の宿命なの」
愕然とする娘に、形式的に父は語り、母は必死の形相で乞いた。
「……ですが、何故……?」
妖厄神――『禍神』で、他の神と異なる類にいた。人族の地にあらゆる不運、災厄を誘発させる力を持つ。その度に多くの人族や生物が滅する為、当然忌み嫌われ、死神並みに恐れられていた。その非情な所業に尻込みし、どこの社も尊巫女を出さなかったのだ。
「贄となり、鎮めて頂戴。この為に力を鍛えてきたのです」
自分の異能は、そんな脅威的な力に対抗できるとは思えない。
「そんな……私には無理です……!」
「ずっと皆様の治癒に使って来ましたが、貴女の本来の力は生命萌芽……再生なのです。逆風となり相殺され、あの一族を弱らせる事ができるでしょう」
意識が、遠退く。始めから死ぬ宿命だったなら、独りでいたくなかった。寂しさや恐怖に助けを呼んでも『騒がしい』と叱られ、稽古の厳しさに弱音を吐くと、母に罵倒された。そんな中、一つ一つ諦め続け、全て棄てたのだ。
「輿入れは、次の新月の夜になります。支度は進めますから、貴女は今まで通り務めるように。――アマリ」
駄々っ子を宥めるように念を込めた母の口調が、アマリの心を抉る。いつも通り従った様子の娘を見やり、父母は出て行った。
アマリは『甘利』とも書く。利益を甘んじるという意味だ。彼女が産まれた時、祈祷師が予言したらしい。
『この童は極めて稀な能を宿している。有り余る富をもたらすか、手に余る災いをもたらすかは、貴殿方次第でございましょう』
両親や親戚は喜ぶ一方、畏怖を覚えたという。そこで娘を上手く飼い慣らし、利用する事にした。
真実をアマリが知ったのは数年前。屋敷の下女の噂話で、裏名の由来と共に偶然聞いた時だ。それまでの違和感が一気にほどけた。そのまま引き落とされ、信じてきた人、教え……全てが崩れ、落ちた瞬間――
ふらり、とアマリは離れの庭に出た。庭の生け垣には山茶花が咲いている。宵闇の中、紅と白に咲く、雅で艶やかな姿が好きだった。
――せめて、一度だけでも……薄紅が観たかったわ
山茶花には桃のような薄紅色もある。植えてもらえないかと庭師に申し出てみたが、巫女装束に使われる紅と白だけ植えるよう頼まれているからと断られた。
どんなに乞われても絶対に叶えてはいけない『施し』を、幾つか厳しく命じられた事がある。『死者の生還』『心を操る』等だ。どれも倫理に反し、アマリへの負荷も多大だからと聞いた。
薄紅色の山茶花の花能は……『永遠の愛』。アマリの異能では叶えられない。
――そう。かなわない、のよね。何もかも
――『愛』が、何かもわからないまま、死ぬのだから……
闇夜に浮き出る紅白の花の前で、涸れ切っていた瑠璃の眼を、独り滲ませた。
翌日。参拝者を始め、屋敷に仕えるあらゆる者に礼を言われた。ある者からは泣かれ、恭しく頭を下げられながら……今まで通りの日々が、感傷に浸る間も無いまま過ぎてゆく。
この数年、疫病の蔓延、火災、飢饉、治安の悪化等の様々な災厄が、人族を襲っている。恐怖と絶望に陥った人々が、救いを求めるのは無理もなかった。自分の命や人生の事など、疑問を持つ事自体が赦されない。これが自分の存在意義だと、自身に唱えてきた。
輿入れ当日。この役目を任されてきた侍女達によって、事が進んでいく。仕上げの白無垢を纏い、淡い瑠璃の瞳が白一色に一層映えた姿になると、姿見に全身を映された。そんな自分をアマリは虚ろに眺める。
――……私、死ぬのよね? これから……
迎えた申の刻。粉雪が宵闇を舞っていた。そんな凍てついた中でも、周辺の住民が、輿入れする尊巫女を一目見ようと、屋敷の正門付近に集まっている。彼女の行き先、これは『花嫁の死』によって終わる儀式だと、皆知っていた。
一人用の駕篭を携えた、社に仕える従者二人が外で待っていた。侍女に付き添われた白無垢姿のアマリが門から現れると、中に入るよう、従者が恭しく促す。
花嫁を乗せた駕篭は、やがて闇に消え入った。