「……どうやって潜り込んだ? 随分、舐められたモンだな」
 
 目にクマを作っても尚、小綺麗な顔をした男は、そう忌々しく吐き捨てた。
 突然投げ飛ばされた反動で、受け身を撮り損ねた俺へ、馬乗りになりながら。
 無駄のない動きで、体の自由を封じられた上、容赦無い力で首を締められる。
 
 ――何故、この様な事態になっているのか。

 
 遡ること数分前……。
 階段を上がった先は、一軒の民家だけがそっと建つ空間になっていた。
 
 敷地としてはそう広くないが、こじんまりとしており居心地がいい、どこか寂しげな場所。
 いたる所に長く伸びた雑草が生い茂り、家の外壁やそこらの岩にも、苔のような物が生えている。
 それらは手入れ不足の産物なのではなく、不思議と、必要なものとして存在しているように感じた。
 豊かで、温かみを帯びた……そう。春を連想させる緑。
 わびさびなんて雅な感性とは無縁の俺ですら、どこか魅了される風景。
 
 ……とは言え、まるで生活の匂いがしない。
 自分の足音と呼吸音しか聞こえず、いくらなんでも静かすぎる。
 ここまで来て、無人、廃墟、手がかり無しという可能性が浮上し、やや焦りが生じた。
 
 とりあえず建物の外周を歩いてみると、二度角を曲がった先。
 縁側から長い足を飛び出しているのを見つけた。
 
 誰か住んでいたと安堵したのも束の間。
 仕方なかったとはいえ、不法侵入紛いの身。
 無駄な争いを避けるためにも、慎重に。
 まずは様子を伺おうと極力気配を消し、壁の合間から足の持ち主を観察する。
 
 その人物は柱に身を預け、俺が立っている方面を向いて……どうやら眠っているらしい。
 こちらに気づいた様子はなさそうなので、観察を続ける。
 
 瞳を閉じて微動だに動かない、薄桃色の頭をした、背格好からして男だろう。
 光の加減によっては白髪に見えるほど、色素の薄い髪色と、白すぎる肌。
 浮世離れという言葉がよく似合う一方で、生身の人間か疑いたくなる儚さを感じる。
 いや……もはや呼吸しているのかさえ怪しいほど、動かない。
 
 もしかして本当は精巧に作られた人形か、なんて。
 どのみちこの距離からでは判別がつかないので、さらに近づく。
 
 そうして始めて、彼があまりに小さな寝息を立てていることを知り、生きていると判明した。
 ならば俺に残された道は一つ。
 意を決して、声をかけた。
「すみません、勝手に入り込んで。少し尋ね……」

 そして全て言い終わる前に、世界が逆さまになった。
 
 理解するより先に、強い衝撃。地面に体が打ち付けられる。
 情けないことに、ここまで成す術なく、目を疑う速さで取り押さえられた。
 (しば)し、まな板の上の鯉になった気分を味わっていると、彼は喉に指を食い込ませたのだった。

 
「はっ、余裕そうだな。この状況、理解出来てるか?」
「……っ、あいにく。死……への感覚が、鈍い……んだ」
 
 浅い呼吸を繰り返しながら、次節取り込んだ僅かな空気を元に、なんとか言葉を繋ぐ。
 
「なんだと?」
 すると彼は訝しげな表情で声のトーンを下げ、吐き捨てるように呟いた。
 明らかに機嫌を悪くしたようで、殺意を剥き出しにしながら、さらに両手の力を強めた。
 
 前言撤回だ、寝顔で人を判断してはいけない。
 儚さ? とんでもない。
 口悪馬鹿力男にそのような感想を抱いた自分の感性を疑う。
 
 ――いや、これは流石に苦しい……!
 
 
『ピ――、ピンポンパンポ――――ん』
 
 一筋の冷や汗が頬を伝うのと同時に、先ほどの鐘の音とは比較にならないほどの存在感を放つ音……いや、()
 そう。警報音ではなく、まさかの人力。人の声である。
 あまりに場違いな、ゆるいそれは、大音量で辺りに響き渡る。