遠くで、鈍い鐘の音が鳴り響いている。
目覚めとしては好ましくない、不安を駆り立てるような音。
おかげで強制的に眠りから覚醒していく。
……ところが、どういうことだろう?
瞼は目の開き方を忘れたかの様に重く、体の節々もギシギシ軋む。
これは随分な時間を睡眠に費やした際、特有の倦怠感。
まあ……人生の大半を病床で過ごしてきた身からすると、このような現象への対処法は一つ。
まずは早々に諦め、焦らず、自然と起き上がれるようになるのを気長に待つこと。
柔らかい風が吹き抜け、居心地の良い陽射しを全身で受け止め、草に頬を撫でられる。
そう、嗅覚も機能してきた今、背中から漂うのは紛れもない……土と青草の匂い。
――ん?
再びまどろみ始めた己に鞭を打つ気持ちで、思考だけでもハッキリさせようと努める。
……なぜ布団の上で熟睡していると、勘違いできたのか?
未だ寝ぼけているのだろうか。
…………いや、そもそもの話。
今こうしている経緯を、思い出せない。
靄でもかかったように、直近の記憶が曖昧なのだ。
この現実と向き合うためにも、のんびり瞼の裏を見ている訳にはいかない。
まずは全神経をその密閉された蓋に集中させ、ゆっくりこじ開けた。
最初に視界が捉えたのは、有限の空だった。
春の日差しを連想させる、麗らかな色合いのそれは、生い茂る木々に刈り取られ、真昼の満月として浮いている様だった。
体温が全身を巡った頃合で、徐々に体を起こし、辺りを見渡す。
そこで驚いたのは、全く見知らぬ林の中にいたことよりも。
俺が倒れていた場所の前方と後方に、それぞれ緩やかな階段が伸びているこの立地。
更に自分はその踊り場的役割の、なんとも心許ない幅の空間で、伸びていた事実。
いや、まあ……登っている途中で力尽きた線も有り得るが。
可能性が高いのは、転落。
そう考えれば、頭を強く打って気絶していた、という筋書きで納得がいく。
どちらにせよ何か手がかりがあるとしたら、上なんだろう。
「今回は登るの楽そうで、良かったな」
――今回?
思わず口から出た感想。
少し前にも似た様なことを試みた気がする……という漠然とした感覚。
「おかしい……何か、大事な…………」
そして、この違和感の正体を言葉に出来ない自分が、腹立たしい。
「……あぁ、クソ。どうして、こんなにも……」
胸の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる様な、容赦ない不快感。
思い出せないことが。焦りが。胸騒ぎが。
何か取り返しのつかない事態に陥っていると、証明しているかのようで。
――恐ろしい。
……それでも。
きっとこれは、そのままにしてはいけない。
知らなければ、思い出さなくては。……向き合わなくては。
「そのために、俺は今ここにいる」
フラフラ立ち上がると、袖からコロンと控えめな音が鳴った。
探ってみれば、中から三つ連なった鈴の飾りが出てきた。
随分年季が入り錆びていたが、コロコロ奏でられる音色は、肌に馴染む心地良さがある。
それにしても。こんな鈴、持っていただろうか……?
ゴーン、ゴーン。
先ほども聞いた鐘の不協和音を皮切りに。
未だ重い体を引きずりながら、階段に足をかけ、一段ずつ確実に上がっていく。
目指す場所は、頭上の遥か先ではあるが、かろうじて目視出来るあの住居らしい建物。
そこで必ず、手掛かりを掴みたい。
――後になって思えば、もしあの時、階段を下っていれば、全く別の結末を歩んでいただろう。
そう思えるほど、彼と早い段階で出会えていたのは幸運と言える。
しかし他に類をみない程、慌ただしく、荒々しい始まりでもあった。