――時は、少し遡る。
場所は第四茶室。
トウノサイが納める神域には、世にも珍しい客人がいた。
華災獣となりながら、今もなお、人の形を保っている少女。
本音を晒せば、今すぐにでも隅から隅まで調べ尽くしたい。
しかしその欲求に耐え、自然経過を見守ることに専念したのは、ヨミトを始め他の主人達の総意だったから。
変に手心が介入しない、純粋な結果に皆興味があるのだ。
夜が明け、朝の訪れとともに、待ち侘びた瞬間は訪れた。
蟠華が確認されてから、記念すべき初の生還者。
彼女は自身の生命力だけで目を覚ましたのだ。
「気分はいかがですか」
「……えっと……」
「ではお嬢さん、お名前は?」
「なまえ……」
朦朧と曇っていた瞳に、ゆっくり光が宿る。
「三木しずな……です」
それは自身を起動させるための、魔法の言葉。
もう一度、同じ人間として歩むために、必要不可欠な儀礼なのだろう。
「では三木君。体に何か、違和感や不調を感じますか?」
「いえ、特には……それより、あの人は」
「あの人?」
「崖で、私の代わりに落ちた……男の人」
初めて見せる大きな感情の揺らぎ。
美しい雫の源泉が、瞼の内に溜まっていく。
しかし、それは表面張力の様に留まり、決して溢れる素振りを見せない。
――あぁ、なんて唆られる……
「あの……?」
「いえ失礼。噂に聞くユメビシ君ですね? その後に対面してますが、やはり覚えてないですか」
「全然……とにかく、無事なんですか……良かった」
「随分丈夫らしいですよ、彼」
――本当は一つだけ、心当たりがある。
それは不確かで、現実味のない……記憶の端に追いやられた、悪夢の記憶。
その断片は、『もう一生味わいたくない』本能的な苦しみを物語っていた。
しかし、それを終わらせてくれた人影を見た。
その人にもう一度会いたくて、お礼がしたくて。
そんな願いを道標に、こちらへ戻って来られた……気がする。
――だというのに。
何故か私は、またおかしな場所にいた。
しかも、とっても嫌な感じがする。
視界の情報だけで言えば、美しいと表現できる場所だろう。
私には、特別なものはあまり視えない。稀にうっすら視えるけど。
その代わり、体感として察することができる。
この場所は……ずっしりくる重さがあった。
澄んでいるのに、禍々しい。静かなのに、騒がしい。
そんな相反する、見た目とのギャップ。
だからこそ、得体の知れなさが、心底薄気味悪い。
「……変な場所」
「変わってます?」
「ここ、なんですか」
「端的に申し上げれば、僕のテリトリーですね」
「いや、それは何となく分かりますけど……」
「端的過ぎましたか? では、第四茶室。それが僕の管理する神域の名前です。訳あって貴方をここに一晩、隔離させて頂きました」
「神域……それより、隔離って。ここ思いっきり屋外ですよね? 私ここで過ごしたんですか、真冬に!?」
「すみません、室内に入れるのは少々気が引けまして。でも肌寒くはなかったでしょう? 毛布掛けときましたし」
――薄々思ってたけど、この人、怪しすぎる!
その奇抜な目元と謎眼鏡は、この際置いておいて。
こんなに優しそうな表情をしているけど、隠しきれない冷たさを纏う。
それは本人から出ているのもなのか、この場所に由来するものなのか。
特にあの、建物の奥はまずい気がする。
……意識を向けるだけで、胸が圧迫されるように息苦しい。
「驚いた、分かりますか? 鋭い感性……いえ、敏感な体質をお持ちですね」
「え……?」
「いやね、上手く隠せてると自負していたんですけど。貴方、明らかにあちらを見て、嫌そうな顔をしたから」
「無闇に関わりたくないだけです。……それくらいしか、自衛の手段ありませんから」
「不思議ですね。それだけこの場所に嫌悪感を抱きながら、元の場所へ帰りたいとは願わないのですか? そういった台詞が出ませんね」
「それは……」
全くその通りなのだ。
正直、家どころか地元にも帰りたくはない。
……まあだからと言って、この場所に居続けたいわけでもなく。
本当、これからどうしよう?
「何か訳がおありのようで。寧ろ好都合かもしれません。貴方次第ですが」
「それって、どういう……」
「トウノサイ様!」
突然別の声が聞こえたかと思えば、何処から現れたのか。
一人の少年がトウノサイさんの隣に立っていた。
「クロミツ、そろそろ向かいます。準備をお願い出来ますか」
「はい勿論! お任せ下さいっ!」
そう元気よく答えた、なんだか忠犬を彷彿とさせる少年に。
すれ違い様、何故かジロッと、睨まれてしまった。
……何だったのだろう、あの子は。
ここには怖い人しか居ないのだろうか?
「クロミツは素直で可愛い、うちの庭師ですよ」
「すみません、心の声聞こえたりします?」
「読心術なんて使えなくても、君は分かりやすいですからね。嘘、つけないタイプでしょう?」
「そんなこと……ないですよ」