真っ先に体が動いたのは、アリマだった。
少女の首を苗床とし、急激に成長を遂げる忌まわしき、寄生妖植物。
ソレを、チナリは視ることが出来ない。故に自分がいかに危険な状態にあるか、知りようもない。
その蔦は寄生主を守るため、外敵を排除しようと躍起になっている。
……いや、敵のはずがないだろ!
「……離れろチナリ! その子は……くっ!」
「…………え、アリ、マ?」
チナリの白い頬に、長い髪に、小さな赤い雫が飛ぶ。
それは彼女を咄嗟に引き寄せ、容赦ない蔦の攻撃から庇った男の勲章だった。
左頬から、一筋の血が滴り落ちている。
「な、なんで切られてるのよ……! あと重いわよ!!」
「あのな! 彼女、華災獣になりかけてるの! お前、危なかったの!」
「ちょっと、喧嘩してる場合じゃないでしょ! 戻ってこれそう?」
「……あーいや、無理そうトキちゃん! 隙がないっっって、怖いわ! ペチペチするなっ!」
そう叫びながらチナリを庇うアリマの周囲には、シャボン玉みたいな膜が覆い、蔦を弾いていた。
両手で掲げられた麺つゆボトルを中心とし、結界が張られているのだ。
「絵面はアレだけど、アリマの集中力が続く限り、私達は大丈夫」
「よし、もう少し耐えて! あとは……任せて」
トキノコが、初めて聞く冷めた声で、呟く。
その手にはいつの間にか、剥き出しの脇差が握られていた。
刃物を構えるその殺気混じりの気迫を前に、ようやくユメビシは我に返った。
「……待ってくれ! トキノコ、なにを」
「ユメビシ、残念だけど。彼女とはこれでお別れだよ」
「頼む、その物騒な物を納めてくれ」
「彼女に憑いてるのは、普通の寄生華じゃないんだ! 今この瞬間にも、地獄の様な痛みと苦痛に犯されている……だからせめて」
「でも、まだ華は咲いてない。なら引き抜けばいいだけの話、違うか?」
「簡単に言うけどね、そんなこと出来るわけ……!?」
「これ、預かってほしい」
そう取り外しながら渡されたのは、シュンセイにより修復された手袋だった。
……第一茶室で起きた一連の騒動を忘れたはずがない。
あれほど見せたがらなかった素手を自ら晒し、あまつさえ穏やかな笑みを浮かべている。
「すぐ終わらせる。これが無駄な行為だと判断したら、トキノコの好きにしてくれ。その時はもう口出ししないから」
「……さっき言ったこと、忘れてないよね?」
「無茶じゃないよ、きっと」
「ユメビシ! 何する気か分かんないけど、その蔦、切れ味抜群だから気を付けろよ!」
アリマの忠告は無論、耳に届いていた。
蔦は荊の様に、硬く鋭く、寄生主を守る牙となり襲いかかる。
最初は子猫の威嚇程度だったが、本体へ近づくにつれて身体に刻まれる傷は増える。
しかしユメビシは瞬きひとつせず、決して歩みを止めなかった。
ただ一点にのみ、意識を集中させていたからだ。
……首後ろに根付き成長した、あと一歩で開花しそうな、歪な蕾を。
***
首の周りで、なにかが這いずり回る感覚。
内からも、外からも。私の抵抗など全くの無意味で、好き勝手に身体中を弄ばれる。
根は着実に神経を蝕んでいた。
蕾は吸い上げた養分を糧に、体内でがん細胞の様に育って。
羽化するように項を食い破り、外に出た。
……全て妄想、錯覚の類かもしれない。
自身の首の後ろがどうなっているかなんて、鏡が無ければ確認出来るはずもないでしょ?
今存在するのは妙にリアルな感触と、それに説得力を持たせる激痛。
首が焼き切れるような熱。
常時耳を塞ぎたくなる様な異音。
苦痛から逃れるため、意識を手放そうとすれば、ここぞとばかりに視界の上から闇が押し寄せる。
それがあまりにも不愉快で。
なけなしの気力で反発すれば、闇を押し除け、現実の風景が再び映し出される。
――誰かが、こちらに手を伸ばしていた。
その顔を、知っている……そんな気がした。
その人はボロボロの姿をしており、シワシワの手で私に触れた。
どうしてか、泣きたくなるほど安心する、優しい冷んやりとした手のひら。
不快な熱と刺激を、宥める様にゆっくりさすられる。
一時の安らぎを感じ始めた間際。
心地の良い声が、子守唄のように言葉を紡ぐ。
その結びは 偽り
その綻びは 泡沫
その遊戯は 終演
道は私が照らそう。無の末路に還り、安らかに眠れ……
――どこで聞いた声だったか。
『……っ、とにかく! 一気に引っ張り上げるぞ』
――もしも、また会えたら、会えたら……