「やあやあ、ご苦労さま。随分のんびりしてたね」
「……嫌味を言わないでくれ……手が、出そうになる」
「ははは、素直なんだから。少し休憩する?」
提案されずとも、糸が切れた人形のようにその場へ倒れ込む。
肩で息をしながら抗議の視線を斜め上へ向ける。
俺への当て付けのつもりなのか。
ニコニコと体操なんかしてる男が一名。
同じ場所を通ったはずなのに、ここまで露骨に疲労具合の差が現れるだろうか?
階段自体さほど段数があったわけでも、急勾配だったわけでもない。
だというのに、一段上がるほどに体が鉛のように重くなっていき、ヨミトとも距離がどんどん開いた。
階段の中央には申し訳程度の、縄と釘で作られた簡易な手すりもどきがあった。
耐久性に問題がありそうなアレを頼りに、やっとの思いで上がってこれたのだ。
俺の体力が著しく落ちているのか、ヨミトが慣れているだけなのか。
……それとも何かカラクリがあるのか。
ようやく視線に気づいたらしい。
こちらの意図を汲み取ったのか、おちょくってるのか。
何故か目線を合わせ、俺の頭上に手を置き左右に動かしだした。
それはまるで子供をあやすような仕草で。
「いや、は?」
「ほら、褒めて欲しいんだろ?」
「どうしてそうなる」
「違うの? それじゃここまで登ったご褒美ってことで。後ろ見てごらんよ、絶景だから」
「……ぜっっったい突き落とすなよ」
「しないしない」
無言でヨミトの両手首を片手で掴んで拘束する。
不自然にも嬉しそうな表情をしている事には触れず、ゆっくり慎重に振り返る。
「……これは、」
元から出ていた霧が更に濃くなったのか、本来あるはずの木々や海岸が、白く曖昧な世界に飲み込まれていた。
たった今、苦労して登ってきた階段すらも途中で途切れている。
絶景というには何も見えないのが本音だ。
しかし別の表現をするならば。そう、まるで……
「雲の上にでも来たみたいだな」
「ははっ、それはロマンチックでいいね」
「浪漫?」
「うん、でも島に住んでいる大抵の者は、この景色を知らないんだ。立ち入り禁止区域だからね、基本的には」
「神域ってやつか」
「まあね。とは言っても漁を行える海岸も別にあるんだ。ここはあくまで『祭り』がある時のみ解放される、特別な出入り口さ」
「祭り?」
「それも今度説明するけど……おや? ソウヒじゃないか」
ヨミトが声をかけた方向に目をやる。
すると俺たちのすぐ側に、いつの間にか一人の少年が立っていた。
背は俺より少し低く、目から下を布で隠し、三つ編みが印象的な落ち着いた雰囲気の子。
また不思議なことに、こうして認識してもなお、気配を全く感じない
それにソウヒと言う名……どこかで聞いたことがあるような。
――そう、あれは確か。
『も――っやっぱりここだった! ソウヒー、そっち行ったよ!』
そうだ。喰い姫が撤退する時、トキノコが外に叫んでいた名だ。
「ヨミトさん、何をしておられるので? ……そちらの方は」
少年は上司のような立場の者が、見ず知らずの奴に手首を鷲掴みにされてる妙な光景を目の当たりにしているのだ。
うん、怪訝そうな表情をして然るべきだろう。
だから一刻も早く誤解を解きたい思いで、パッと手を投げ捨てる。
「彼はユメビシ。ご覧の通りすっかり仲良しな客人だよ。傘ザクラに通すからね」
「な、……お世話になります」
そう軽く会釈をすると、ほんの少しだけ空気が和らいだ様に感じた。