「はあっ、ここまで来れば大丈夫かな」

 モールから外へと出て、裏手に向かった。人通りのほぼない生垣の影へ千歳がしゃがみこむ。腕ではなくいつの間にか繋がれていた手を引かれ、隣へと並ぶ。

「ちーお前……ああいうの断ったりすんの、苦手じゃねえの」
「あー……バレてた?」
「うん」
「なんか中学くらいからどんどん苦手になっちゃって。はは、初めて断ったかも。すっげー緊張した」
「よかったのかよ」
「うん。今日は絶対、花村と一緒にいたかったから。花村がいてくれたからできた」
「…………」

 昨日の呼び方の件もそうだが、千歳は他人を無下にできない。それを知るのに、ゲームの期間は十分だった。言えばいいのにと勝手に歯痒く思って、時に苛立って。それでも千歳を形成する一部だと納得していたけれど。

 そんな千歳が誘いを断った。ふたりでいたかったからと。それができたのは花村がいてくれたからだと、打破した自身を清々しそうに笑っている。

 胸が詰まるような、少し気を緩めれば泣いてしまいそうな。覚えのない感覚が尊の体を駆け巡る。

 繋いだままの手をするりと撫でられ、まだ整わない呼吸に肩を上下させながら。この感情をなんと呼ぶのか、観念するかのように思い知る。先走っていた鼓動に、やっと心が追いついた。

「ちー」
「んー?」
「なあ、次はいつ告ってくれんの?」
「は……? っ、え!? は、花村なに言っ……」
「俺もう返事していい?」
「え、なんで……」
「なあ、ちー。頼む」
「い、嫌だ。まだ聞きたくない……」

 そうと分かれば、早く言ってしまいたくなった。あの日お預けにされた返事は、その場で答えていたらきっと違うものだっただろう。でも今は赤く熟している。

 ――なのに。千歳はそれを拒んだ。不特定多数の好意は全部受け止めようとするのに。花村が好きだ、と言ったのに。返事をさせてくれない千歳は、その横顔を曇らせる。

「なんで? 俺、分かりやすいと思うけど。だめ?」
「…………」

 身勝手に好きだと言うこともできるが、先にアクションを起こしてくれた千歳の気持ちを大事にしたい。千歳が再び告白してくれるのを待つしかできないのだ。それなのに。

 今にも顔を伏せてしまいそうな千歳からは、先へと進めてくれる気配は感じられない。まさか、振られると思っているのだろうか。この期に及んで。

 もどかしくてくちびるに歯を立てる。待ってやりたい、千歳から求められたい。

 だが、その気にさせておいて、宙ぶらりんに放置されて、いい子でいてやる気もさらさらなかった。

「ふーん。あっそ。分かった」
「……ごめん」
「分かったけど。もうちょっとこのままな」
「……え?」

 手を離すと寂しそうな目を上げた千歳に、ぐっと顔を近づける。意識を全部奪ってやろうと、ゆっくりと再び指を絡ませた。

「っ、花村……」
「いや?」
「……嫌じゃない。嫌じゃない、けど……」
「ちー、こっち向いて」
「へ……あっ」

 指を緩めて、閉じこめるようにまたきゅっと力を入れて。それをくり返しながら、もう何度目かの頬へのキスをする。少し風に冷えていて、けれど体の内側からすぐに千歳の熱がやってくる。震えるまつげの先で瞳が潤んで、しがみつくように握り返される手。恋人だと錯覚するような触れ合いに、夢中になった。

 恋をするとこんな気持ちになるのか。今までの人生全てが嘘だったみたいに、この瞬間だけが喜びのようで、それでいて喪失感がすぐに追いかけてくる。切なくて、だからやめられなくて。今度は千歳のくちびるギリギリのところへ、齧りつくようにキスをする。

「は、あ……っ、花村」
「ちー……」

 このままくちびるにもキスしてしまいたい。口の中まで暴いて、千歳の心を引きずり出してしまいたい。今すぐ欲しいと言ってくれ。

 暴力的なまでの欲求を、けれどどうにか振り切った。名残惜しさにもう一度、頬にキスをする。落ち着け落ち着け、と深呼吸をひとつして、千歳の前髪にもぐるように額を擦りつけた。

 千歳が好きだ。だがここまでしてもなにも言わない千歳は、この先へ踏み出す気はやはりないのだろう。腹が立って、悔しくて――でもそれと同じくらい、そんな心ごと大事にしたいと思った。

 気持ちを切り替えるようにハッと大きく息を吐き、空を見上げる。そうだ、大事にしたい。だけどわがままを言うなら、恋人にはまだなれなくても、もっとちゃんと千歳の特別だと感じたい。

 今はまだ立ち上がる気力もなく、どうしたものかとふうと息をついた時。握り直した手の中で、何かがコツンとぶつかった。

 そうだ、これだ。

「ちーがまだ言いたくないのは分かった」
「ごめん」
「いや、いい。でも一個、お願いがある」
「お願い?」

 繋いでいる手を持ち上げて、ふたりの間でゆらゆらと揺らしてみせる。そこに光るのは、たまたま同じブランドだった、デザインの違うそれぞれの指輪だ。

「俺がしてる指輪、ちー的にはどう?」
「え? う、うん、好きだよ。さっきは言いそびれたけど、オレも実はそれと悩んでた」
「マジ? じゃあさ、交換しねえ?」
「え?」

 一瞬でも離れるのが寂しいけれど手を解き、指輪を外す。それを手のひらに転がし、「ん」と千歳の目の前に差し出す。

「指輪交換」
「指輪交換……」
「いつか返すんでいいからさ、ちーのもの持っときたくなったっつうか。そんな感じ。だめ?」
「ううん、だめじゃない。え、めっちゃ嬉しい……けど、いいの?」
「俺がしたいっつってんの。もう決まりな。ほら、ちーも外せ」
「う、うん」

 まだ目を丸くしながらも、千歳も自身の指輪を外した。どうぞと渡されそうになるのを受け取らず、左手を差し出す。

「ちーがつけて」
「え!?」
「俺は右につけんのが好きだけど、ちーのだからちーの真似して左がいい。ん」
「えー、っと……」
「あ。もしかして結婚式みたいだーとか思ってんだろ」
「思っ! ちゃうに決まってんじゃん~!」
「はは、かーわいい。なあ、早く」
「うう、分かった」

 赤い顔をこんなに近くで見ることができた。それだけでもう今日は充分な気さえしながら、指輪が嵌められるのを待った。恭しく添えられた片手が本当に結婚式みたいで、それをくすぐったく感じつつその瞬間を迎える。慣れない左手への指輪は存在感も大きく、千歳のものだとより感じられる。それがすごくいい。

「ちーはどっちにする?」
「オレも花村の真似する」
「じゃあ右手出して」

 差し出された右手を取り、人差し指の節をひと撫でする。ぴくんと指先が跳ねるのを見たら、またキスをしたくなった。それをどうにか押しこめながら、先ほどまで自分の手にあった指輪をゆっくりと千歳の指に通す。

「サイズも一緒みたいだな」
「うん。うわー、花村の指輪だ」

 ふたり横に並んで、それぞれに手を空へと翳す。太陽を弾いた光が交差して射している。

「なんかこれ、ドキドキするわ」
「うん、オレも……」

 ぎゅっと握って、また翳して。手を顔に近づけたと思ったら、遠くに伸ばしてまた指輪を眺める。そんな千歳がまぶしくて、胸がきゅうと音を立てる。

 想いはまだ結べそうにない。けれど今日という日にたくさんの千歳の顔が見られた。好きなものを共有して、たくさん触れて。今はきっとこれでいい。

 そう思えるのは、確かなものをひとつ見つけられたからだ。今日が終わっても、この気持ちは続いていく。恋なんて知らなかったのに、千歳への恋心がはっきりと存在している。だからゆっくりでいい、千歳のペースを待ってやりたい。もはや降参と言えるのかもしれない。

「あーあ」
「…………? 花村?」
「いや、今日すげー最高と思って」
「ほんと? オレも!」
「な」