残暑の厳しすぎる八月下旬の朝五時半。
 一番近い都会の端っこから電車で一時間ほどの距離……から更に自転車で三十分前後の場所にある、田園風景に囲まれた……田舎と言うにはまだそこまで寂れていないプチ田舎町。
 そんな町のとある一軒家にて、黒崎 百花(ももか)は自宅の一階にあるキッチンで、パンにバターをたっぷりと塗り込むと魚焼きグリルに投じた。

「わん!」
「はいはい、トロロの朝ご飯も用意するから待ってて」

 百花の足元にじゃれつく柴犬の名前は、トロロ。
 長芋などをすりつぶした食べ物のとろろに醤油を垂らした色合いを思い浮かべた百花が名付け親で、同居人からは呼び間違えそうだと不評だ。
 なお、同居人はまだ就寝中。

「トロロ美味しいのにね」
「くぅん」

 百花がわしわしとトロロを撫でてから待てをすると、賢いトロロは大人しく待機する。
 ペット用の皿をふたつ用意し、片方に飲水を、もうひとつにペットフードを入れて、トロロの前に配膳する。

「食べてよし!」
「わふ!」

 夢中で食べ始めるトロロを構い倒したくなる気持ちを抑えて、百花は棚に並んだ紅茶缶を選び出す。

「朝のお茶は濃い目のミルクティーにしよう」

 少量の水を煮立たせた鍋へと匙いっぱいに掬い取った茶葉を投じて蒸らしていると、パンの焼ける香りが漂い始めた。

「くぅ……」
「トロロは食べてる最中でしょ?」

 食事を中断して鼻をヒクヒクさせるトロロに苦笑しながら、百花はレタスとプチトマトのサラダにニンジンドレッシングをたっぷりとかけた。
 コンロがピピッと電子音を鳴らした後でグリルを開くと、こんがりと焼けたパンの上にバターがとろけた姿が現れる。
 今度は茶葉を蒸らした鍋にミルクをたっぷり注いで弱火にかけて、沸騰する前に火を止めて。
 再び蒸らしている間に、冷蔵庫から前日の残りのナスとトマトソースのラザニアを取り出して、オーブンで温める。

 料理をテーブルに配膳した後で百花がトロロの方を見る。
 トロロはご飯を食べ終えてのんびりとあくびをしており、百花はそんな飼い犬ののんびりとした姿にほっこりしつつ、手を合わせる。

「いただきまーす」

 まずはトーストから食べると、カリカリに焼けた部分がサクッと音を立てた。

「んー! このトーストのサクサク具合が好き」

 くぁ……とあくびをしたトロロは、のっそりと起き上がって部屋の外に移動する。

「わー、トロロは今日も元気だねえ」
「わん!」

 すると、二階から降りて来た百花の同居人の周りを、トロロがぐるぐると駆け回った。

「おはよー、モモ。今日も蒸しあっついねえ」

 モモというのは、百花のあだ名だ。

「おはよう。今日は早いね、有紗」
「無事に早く起きれました、ぶい!」
「昨日遅かったみたいなのに大変だね」
「今日は絶対に早く帰るからね! コアタイム帰宅死守!」
「またフラグみたいなこと言ってる」

 ルームウェアを着て、眠気混じりのぼんやりした顔にズボラ向けの朝用の顔マスクをつけてドヤ顔をしてみせるのは、白石 有紗(ありさ)
 起床直後の有紗の格好はこれが平常運転のため、百花は特に気にしていない。

 冷蔵庫を除いて麦茶を飲む有紗の足元に、トロロがゴロンと転がる。

「わふわふ」
「かまってあげたいけど、私もお腹すいてるんだなーこれが」

 トロロを軽く撫でてた有紗は顔からマスクを引っ剥がして、寝癖で乱れ放題の髪の上に熱湯で温めたタオルを乗せながらも器用に首を傾げた。 

「ホットミルクティー飲んでるの? 暑くないの?」
「冷房つけて寝ていて冷えた体の芯が、あったかくなるよ。そういう有紗は頭熱くない?」
「ふっふっふっ。この程度、どうということはないさ。と言うかさ、蒸しタオルで寝癖直るなら、こんな蒸し暑い日くらい寝癖も収まってくれても良いと思わない?」
「どういう理屈よ、それ」

 有紗は頭にタオルを乗せたまま、再び冷蔵庫を物色し始めた。

「さてと。今日はいつもより早く起きれたから、朝ご飯食べてから行くー」
「有紗ったら、朝はいつもスムージーだからねえ。冷蔵庫に昨日のお店の残りがあるよ」
「わ、食べる食べるー! なに作ったの?」
「ナスのラザニア」
「おっ、良いねー。じゃあ魔改造しよっと」
「魔改造て、あんた」

 冷蔵庫からラザニアを取り出すと、パンの上に敷き詰める。
 ナスとトマトソースのラザニアの上に、さらに追いチーズをして、グリルで数分焼く。
 その間にタオルを外すと、有紗の寝癖は見事に収まっていた。

「寝癖はこれでヨシ!」
「有紗! パン焼けてるよ!」

 有紗が洗面所でパパッと髪の毛を整えていると、キッチンからコンロの合図と百花の声が聞こえてくる。

「はいはーい!」

 パンの四隅がこんがりと焼けて、追いチーズがトロトロに溶けた、ラザニア乗せパンの出来上がり。

「ぐへへっ、チーズがトロトロ〜! しっかしパンの上にラザニアは攻めすぎた」
「朝から炭水化物オン炭水化物なんて、ガッツリ行くね。でもお昼ロクに食べれないなら、たくさんカロリー摂取しといたら?」
「ん、そうする! じゃあいただきまーす」

 サクッと音を立てるパンに、びよーんと伸びるチーズ。
 そしてラザニアの生地に挟まった、酸味の効いたトマトソースとナスが有紗の味覚を楽しませる。
 有紗が豪快かつ美味しそうに食べる様子を、百花が楽しそうに見守る。

「んー! うま〜〜!!」
「良かった。美味しそうに食べてくれて、嬉しいよ」

 食べ終わった有紗は食器を洗い、ソファーにだらしなく横になった。

「ぴえん。会社いきたくないよう」
「わん!」

 ソファーに横になった有紗のもとに、トロロが飛び込む。
 そんなトロロを撫でながら、有紗はだらしのない声を上げ続けている。

「冷房ガンガンに効かせたおうちでトロロをもふもふだつこしながらダラダラ仕事したいよう〜」
「わん! わん!」
「トロロも慰めてくれるのー? よしよしよーし! 出かける前まで思いっきり撫でまわすよー!」
「もしかしてトロロってば、『会社行きたくない』が撫でてもらえる合図だと思ってるんじゃない?」
「え? そんなことないでしょう?」
「いつも会社行く前に、『会社行きたくたい』って言いながらトロロ撫でてるじゃない?」
「わん!」

 トロロはトコトコと百花の前に移動して、お座りする。

「ほら、やっぱりそうだよ」
「あっ! 私の癒し! 癒やしが〜〜!! やる気チャージが~~!!」

 ソファーから遠のいて行くもふもふことトロロに、有紗はだらしなく手を伸ばした。