藍は朝教室を出たっきり戻って来なかった。
私は不在になったままの彼の席を見つめて深いため息を落とす。
今日は夏休み前最後ということもあって午前日課に。
みすずは落ち込んでいる私を心配してランチに誘ってくれた。
――場所は、駅から徒歩2分のところにあるファミリーレストラン。
料理を端末で注文した後、ドリンクバーを取りに行ってから席に座る。
学校でひまりちゃんが藍の婚約者だということを聞いてから、なんとなく体調がすぐれない。
「あやか、大丈夫? 顔色悪いけど」
「ん、大丈夫……」
「石垣くんさ、なにもみんなの前で別れたことを発表しなくてもよかったのにね」
「決意が揺らがないようにって言ってた。最初のうちは早く別れたいって思ってたのに、実際に別れてみたら心にぽっかり穴が空いたような気になってる」
「あやか……」
「冷たくされて初めてわかったの。自分でも気付かないうちに藍の存在が大きくなってたみたい。じゃなきゃ、こんなに思い悩んだりしないよね……」
私、いままで藍のどこを見てたんだろう。
ずっとこの関係が続くとばかり思っていたからバチが当たったのかもしれない。
藍は私からの返事をずっと待っていたのに……。
「あのね……。実はあやかに謝らなきゃいけないことがあるの」
みすずはドリンクのストローから手を離すと、膝に両手を置いてうつむいた。
突然かしこまった様子に異変を感じる。
「なに、謝らなきゃいけないことって」
「内緒にしてたけど、石垣くんに頼まれたの。7月下旬まであやかとの仲を取り持ってくれって……」
「藍がそんなことを……?」
「相談されたのはあやかと友達になってからすぐ。もちろん最初は断ったよ。でも、あまりにも熱心にあやかのことを聞いてくるし、恋する目であやかを見つめてたから本気なんだって思うようになってて。ある日、『どうしてそんなに好きなの』って聞いたら、先日あやかが話してくれた赤白帽子の件に繋がった。あの時は知らないふりしてごめんね」
「えっ……。みすずは私が話す前から赤白帽子の件を知ってたんだ。でも、どうして藍がその話を?」
「赤白帽子をなくしてしまった子が石垣くんの妹だったって。二人のやりとりを一部始終見ていてあやかの優しさに惹かれたって言ってた」
「あの時の女の子が石垣くんの妹? 私の小学生の頃の卒業アルバムを見た時はなにも言ってなかったのに……」
先日美術室へ行った時に藍が寝言で言ってた。
私のことが「好きだ」って。「昔から……ずっと、ずっと」って。
あの時は意味を深く考えなかったけど、当時から私に想いを寄せてくれていたなんて……。
「でも、恋愛は当人同士の問題だから遠くから見守っていたんだけど、ある日7月下旬まで仲を取り持つ意味が知りたくなって聞いたんだ。そしたら、引っ越すからと言ってて」
「えええっ!! 藍が引っ越し?! そんなのひとことも聞いてない!」
「私もびっくりしたよ。だって、高校入学してからまだ間もないでしょ。それを聞いてから、せめて残り1か月間でも幸せな思い出を作ってあげたくなって、あやかが梶くんの下駄箱に入れていたラブレターを抜いて石垣くんの下駄箱に入れたの。差出人が書いてなかったから」
えっ……。
いまなんて……。
「みすずが、梶くん宛てのラブレターを藍の下駄箱に入れ替えた……?」
「本当にごめん…………。引っ越し話を聞いた時は、転校まで残り1ヶ月を切っていたから無視出来なかった。まさかそのまま二人が付き合うことになるとは思わなかったけど、石垣くんの気持ちを見てきた分、後悔してない」
一瞬目の前が真っ白になった。
てっきりラブレターを入れ間違えたのは自分だと思っていたのに、みすずがその後に入れ替えていたなんて……。
私はテーブル下の拳をギュッと握りしめる。
「……なによ、それ。ごめんで済まされると思う?」
「わかってる。許されないよね、こんなこと」
「あの時梶くんにラブレターが届いてたら付き合ってたかもしれなかったのに。ラブレターひとつで私も藍も梶くんも運命が変わっちゃったんだよ?」
「反省してる。でも、ラブレターを入れ替えて良かったと思ってる」
「どうして」
「だって、二人とも幸せそうにしてたから。でも、まさか石垣くんが転校を機に別れを決断するなんて思っていなかったから、そこは予想外だった」
「なにそれ……。人の気持ちを散々弄んでおいて、ずるいよ……そんなの……」
私はイスに置いていた荷物を鷲づかみにして席を立ち、財布から出したお札をテーブルに叩きつけてその場を離れた。
すると後ろから追ってきたみすずは私の手首を掴む。
「待って、あやか!! 話はまだ終わってない」
「これ以上なにがあるって言うのよ!」
「石垣くんの100%の気持ち届いてないの? あんたと付き合い始めてから毎日全力だったんだよ。絶対に幸せにするって意気込んでた」
「その割には簡単に切り捨てられたし、転校するんでしょ? もうあんなヤツのことなんて知らないっ!」
「あやか……」
「それに、私の気持ちを踏みにじったのはみすずだからね! ラブレターを入れ替えたことは絶対許せないんだからっ!!」
私は彼女の手を振りほどいて店を出ていった。
――運命とは残酷なものだ。
たとえ謝った方向に進んでしまったとしても、別の道がちゃんと用意されているのだから……。