ドイツの四月は日本よりも肌寒い。ミュンヘンのホテルを出た芯は、スプリングコートの襟元に顔を埋めながら、スマートフォンの位置情報に目を凝らした。
 マリエン広場で開かれるチャリティコンサートは明後日からだ。明日の昼に到着していればいいところを、わけあって一日早く渡独した芯は、ホテル最寄りのバス停を目指して足早に歩いていた。
 芯ははやる気持ちをなだめるため、胸に手を当てて深呼吸をする。それでも自然と、感慨深さから、ここに来るまでの苦労が走馬灯のように脳内をよぎる。
 今の出版社に新卒で入ったばかりだった去年は、基本的なマナーや取材方法、記事の書き方を学ぶのに必死で、海外取材どころではなかった。
 そこから一年、コツコツ努力し、普段の仕事にはだいぶ慣れてきた。クラシック業界を含めた世界の音楽事情にも、かなり詳しくなったつもりである。
 初めて経験した社会人生活は、目の回るような忙しさだった。けれども芯は、大学時代に専攻していたドイツ語の独学を続け、それを周囲にアピールし続けた。
 チャリティコンサートの話が上がったのは、今年の三月初めだ。真っ先に名乗り出て、先輩記者に駄目押しした甲斐もあってか、見習い兼荷物持ちとして芯も取材に同行できる運びとなった。
 取材のために手に入れた番号に、私用のスマートフォンからかけてしまったのが、一週間前。仕事として会う前に一度、どうしても、どうしても彼の声が聞きたくて、一回だけと決めて通話ボタンを押した。
 長いコールに鼓動が急いた。全く反応がなくて、もう諦めようと思った瞬間、賑やかな雑踏が芯の鼓膜を震わせた。
 続けて聞こえた、「榛です」という落ち着いた声。とたんに体が熱くなり、なにも言えないでいると、名乗る間もなく「芯?」と尋ねられた。
 それだけで、芯の意識は七年前に引き戻され、脳裏には洋館での日々が鮮明に蘇った。迷い、悩んでいたあの時間。苦くて眩しい、一度きりの青春。
 最後の連弾の後、連絡先は交換しなかった。また会えると信じていたから。ちゃんと成長した自分で、彼に会いに行きたいと思ったから。
 奏太から告げられた住所は、ミュンヘン郊外のアパルトメントを指していた。交通の便はいささか悪いが、音楽大学に通う学生が多く暮らす、楽器演奏が可能な物件らしかった。
 やがてやってきたバスに乗り込み、揺られること十五分。芯はステップを降り、再びスマートフォンのナビを頼りに、込み入った路地を進む。
 事前に外観の写真を見てはいたものの、あたりは同じような造りの建物ばかりだ。約束の時間まであと五分しかないのに、もう少しというところで、芯は完全に迷子になっていた。
 異国の路地で、さてどうしたものかと首を傾げる。再開初日に迷子なんて、ダサいから嫌だなあと思うけれど、背に腹は代えられない。
 観念して通話アプリを開いた時だった。雷のようなあの和音が、芯の心を震わせた。
 防音壁の影響だろう。大きさ自体は、周囲の迷惑にならない程度の、小さな音だ。でもその響きを聴いた途端、芯の体には電流が駆け抜けて、喜びに胸が高鳴った。
 ベートーヴェンのピアノソナタ第八番が、あの頃と変わらぬ切実さで芯を呼んでいた。重々しい第一楽章に、あまりにも美しい第二楽章。駆け上がる旋律が焦燥感を駆り立てる第三楽章。
 早足が駆け足に変わる。風にもつれるスプリングコートの裾がもどかしい。灰色の空と、嵐の前触れ――それはきっと、胸を震わせる運命の予感だ。
 白いシャツのおもかげが、ピアノを背景にそっと微笑む。その瞳に走る稲妻を思い出しながら、芯は奏太の住むアパルトメントの階段を、勢いよく駆け上った。