客観的に見て、絵面がやばいと思う。
 海崎が長嶺とふたりで歩いていると、脅されている気弱なDKと不良少年にしか見えないだろう。
 そのくらい長嶺と海崎はチグハグだ。
 長嶺は駐車場の端にある、自動販売機の前のガードレールに座る。海崎も遠慮がちにガードレールに寄りかかった。
「俺さ、前は……海崎、だっけ? お前とおんなじ高校に通っててさ、伊野と同じ空手部だったんだ」
 長嶺は柄が悪そうに見えるのに、話す声はまったく怖くない。よくよく顔を見れば、実は意外に幼な顔だ。
「伊野から聞いたよ。同じ部活で、寮の部屋も同じだったって」
「そ。部屋も一緒だから、なーんか伊野とは、よくつるんでたんだよなぁ」
 伊野を思い出している長嶺の表情は穏やかだ。伊野のことは嫌っていないのかもしれない。
「伊野と海を見に行ったり、ふたりでかき氷食ったり、いろいろやったよ」
「そうなんだ……。仲、よかったんだね……」
 長嶺の話を聞きながら、海崎の心は重くなっていく。
 そういえば伊野は、あまり人に教えていない店だと言って海崎をかき氷屋に連れて行ってくれたことがあった。
 あのとき伊野は「海崎、お前でふたり目だ」と言っていたが、おそらくひとり目というのは長嶺なのだろう。
 長嶺とかき氷をつつき合って、長嶺と海で語らい合って、伊野が長嶺と過ごした思い出は、海崎との思い出の十倍はあるのだろう。
 伊野の中では海崎は二の次で、今でも長嶺の帰りを待ち望んでいるに違いない。
「あのさ、俺、春に空手の試合見に行ったんだけどさ」
「うん」
「そこに伊野がいなかったんだよ。あいつ、なんでいなかったんだ……? まだ怪我が治ってないのか?」
「えっ?」
 海崎は長嶺の言葉が信じられなかった。
 長嶺は何も知らない。長嶺が高校を辞めたあと、伊野がどんな気持ちで毎日を過ごしていたのか、そんなことも知らずに、のうのうと暮らしていたのだ。
「……怪我は、治ったって。お医者さんからも部活に復帰していいと言われてるって」
 海崎の手が震える。必死で気持ちを抑えているが、感情が爆発しそうだ。
「あ? そうなの? じゃあ俺の勘違いかな。決勝見てて伊野の名前を見つけられなくってさ、あいつが予選敗退するとかありえねぇし」
「……伊野は空手を辞めたんだ」
 腹の奥底から感情が込み上げてくる。
 どんなに嫌味を言われても、バカにされても、理不尽な目に遭っても、ずっとずっとひとりで耐えてきた。
 でも今、込み上げてくる黒い感情は抑えられない。自分で、自分をコントロールできない。
「はぁっ? 辞めた? なんで? あいつ空手やりたいから寮に入ってでも、あの高校に通いたかったんだろ? いつも空手のことばっか考えてさ、すげぇ好きだったのに」
 とぼけた態度の長嶺に、海崎は黙っていられなかった。
「誰のせいで、伊野が空手を辞めたと思ってんだ……」
「え?」
「伊野は、長嶺くんのせいで空手を辞めたんだ!」
 海崎は勢いよく立ち上がり、長嶺に食ってかかる。
「早く学校に戻れよ! 伊野は、伊野はずっと待ってるんだから……」
「えっ、おい、ちょ……どういうこと?」
 長嶺は海崎の勢いに押されて後ずさった。
「たから! 長嶺くんが寮に戻って来るのを待ってるんだよ! 自分が、長嶺くんにひどいことを言ったせいで、高校辞めちゃったからって……」
「伊野が、待ってる? 俺を?」
「そうだよ! 長嶺くんがいなくなってからずっとだ。そのせいで空手部にも復帰しないし、今でもひとりで苦しんでる。それなのに、伊野の気持ちも知らないで……!」
 怒りを抑えられなかった。考える間もなく、気がついたら海崎は右手の拳で長嶺を殴っていた。
「許さない! さっさと伊野と仲直りしろ!」
 海崎は何回もパンチを繰り出すものの、全部、長嶺にかわされる。最後には「落ち着けって!」と長嶺に手首を掴まれた。そうなってからやっと海崎は我に返った。
 それから長嶺と少しの話をした。長嶺は、怪我をしている伊野が、駅の階段で転んだときにひどい言葉を長嶺に言ったことは覚えているが、あれはその場限りの言葉だと捉えていた。そのせいで伊野を恨んでいるなんてことは微塵もないらしい。
 伊野を怪我させてしまって申し訳ないという気持ちは、今でも消えないと言っていた。長嶺が空手を辞めたのは、対戦相手を入院させてしまうほどの怪我を負わせた経験から、技を出すことに臆病になったことが原因だと言う。でもそれは長嶺自身の問題であって、怪我をさせられたほうの伊野まで空手を辞めるとは想像もしなかったらしい。
「……伊野がそんなに気にしてるなんて思ってなかった」 
「俺も、ちょっと言い過ぎた。それと、殴ってごめんなさい……」
 海崎はうなだれた。
 長嶺の話もろくに聞かずに、頭ごなしに責めてしまった。なんでもう少し冷静になれなかったのだろう、と今さらながらに猛反省する。
「いいよ大丈夫、お前のパンチは猫パンチだから」
「ねっ、猫っ?」
 海崎渾身の怒りの鉄拳を、猫パンチ呼ばわりされてしまった。
 それは空手有段者の長嶺から見たら猫パンチかもしれないが、あまりにもひどい。
「伊野って昔からそうだよなぁ」
「何が?」
「みんなに慕われるっつーの? お前みたいに伊野のために、めっちゃ怒ってくれる奴もいるし」
「はは……ご、ごめんなさい……」
 自分でもどうしてなのかよくわからない。人に怒ったことなんて一度もない。それなのに黙ってなどいられなかった。
「お前、ヒョロっこいのにやるな。俺にケンカ売って来るやつなんていないぜ? 初めてだよ、殴られたの」
 たしかに長嶺にケンカを売るような人はいないと思う。見た目もなんか怖いし、さらに空手有段者とくれば絶対に戦いたくない。誰もが逃げ出すことだろう。
「だから、本当にごめんなさい……」
 海崎が謝ると、長嶺は「面白かったからいいよ」と返してきた。
「伊野がなんでお前のそばにいるのか、わかった気がしたよ」
 長嶺は海崎に、最高にいい笑顔を見せて微笑んだ。


 それから長嶺とは、少しだけ伊野の話をして別れた。
 長嶺と話をしたあと、海崎はひとつの決断をする。
「もしもし、父さん。今、話せる?」
『うん、いいよ。どうした晴真』
 電話越しの父親のバックには、忙しない人々の声が聞こえてくる。きっと着信に気がついて、仕事中にも関わらず電話を優先してくれたのだろう。
「あのさ、東京に帰るかどうかっていう話なんだけど……」
 海崎はスマホを持つ震える手をもう片方の手で押さえつけた。
 決断が鈍らないように、早く父親に伝えてしまいたかった。
「俺も帰る。父さんと一緒に東京に戻るよ」
 あのあと長嶺から聞いたのだ。
 長嶺は退寮はしたが、高校は先生たちに早まるなと止められ、今は休学という形をとっているらしい。
 つまり、長嶺の意思さえあれば復学できるということだ。
 伊野は長嶺の帰りを待っている。ふたりを今までの形に戻すためには、海崎が寮からいなくなるのが最善の方法だ。
『本当にいいのか? ゆっくり考えてもいいんだよ』
「帰るよ。そう、決めたんだ」
『……わかった。手続きは俺がやっておくから』
「うん」
 父親との通話が終わったあとも、気持ちは晴れない。
 でも伊野のために、できることをしてあげたい。長嶺とふたりで過ごす時間を取り戻すことができたら、伊野はどんなに喜ぶか容易に想像できる。
 そのために海崎にできることは、長嶺の居場所を空けておくことだ。