次の日、調理実習を終えたあとのみんなのソワソワ感はすごかった。
すでに公認のカップルならいい。みんなの前で堂々と彼氏が彼女にクッキーを手渡して、すごくいい雰囲気だ。
でもそれ以外の生徒たちは落ち着かない。誰が誰にあげるのかとお互い様子を伺っている感じだ。
「俺は誰にもあげないって決めてるから」
「えーっ、義理でもいいから欲しいーっ」
「ダメ。俺が作ったんだから俺が食うの!」
伊野は女子にクッキーを欲しいと言われたのか、それをきっぱりと断っている。あからさまに欲しいとねだられても、伊野は気持ちを変えることはしないらしい。
でもそれは、伊野なりの気遣いなのかもしれないなと思う。伊野のクッキーを欲しがっている女子はたくさんいるから、義理でも誰かにあげたら角が立つ。公平を期すための、伊野なりの優しさのような気がした。
そんな落ち着かない空気感の中、帰りのSHRは終わりを迎えた。
「海崎。面白いもの見に行こう」
SHRのあと、帰り支度をしていると伊野が海崎のもとに来て耳打ちしてきた。
「何?」
「なかむーが告白する」
「な……っ!」
驚き過ぎて思わず声が出そうになったのを、必死でこらえる。
中村に好きな人がいたことも知らなかったし、しかも今から告白だなんて信じられない。
昨日の夜、伊野が「明日教えてやる」と言っていたのは、このことだったのか。
「高一のころからずっと好きなんだぜ。一途だろ?」
それはかなりの一途だ。普段ふざけてばかりの中村が、実はそんな秘めたる恋心を抱えていたとはまったく気がつかなかった。
「それって、のぞき見するの……?」
中村の告白シーンを見たい気もする。でも、一世一代の告白を茶化すようなことはしたくない。
「遠くから見るだけだよ。なかむーが呼び出した場所は、階段の踊り場の窓から見えるから。行くぞ」
「えっ、あっ……」
伊野に腕を引っ張られ、好奇心もあって、海崎は階段の踊り場までやってきた。
ここの高窓からは隣の校舎の屋上が見える。屋上は人工芝が敷き詰められていて、くつろぐためのベンチや目の保養になる植栽が置かれている。
そして、そこで中村と女子生徒が立ち話をしていた。
あれは比嘉だ。隣のクラスにいる、小柄で可愛らしい雰囲気の子だ。中村、上原と同じくテニス部に所属していて、上原と一緒にいるところを何度も見かけたことがある。
そこに中村も加わって話しをしている場面もあった。同じ部活だから仲がいいのだろうと思っていたが、まさか中村にそこまでの気持ちがあったとは知らなかった。
高窓はそんなに大きくない。縦横四十センチほどで、伊野と肩を寄せ合って窓枠から覗き込み、中村たちの様子を伺う。
「渡せ。なかむー」
祈るように伊野が呟いた。中村のスクールバッグの中には例のクッキーが入っているに違いない。それを取り出して比嘉に渡せばミッションコンプリートだ。
当事者じゃないのに、見ているこっちまでドキドキする。ふたりは楽しそうに話をしているが、中村の手はなかなかスクールバッグに伸びない。普通に話をしているだけで、何の進展もないまま時間だけが過ぎていく。
「何してんだよ。男を見せろ、なかむー」
伊野がヤキモキしているのが伝わってくる。海崎もそうだ。今すぐ背中を押してやりたくなるくらいに歯痒くて仕方がない。
「あっ……」
中村が動いた! スクールバッグからクッキーの入った透明な袋を取り出して比嘉に手渡した。
「やっ、たぁぁ……」
叫びたいが、それをこらえて伊野と肩を叩き合って喜ぶ。伊野はあからさまにニヤニヤしている。
それからのふたりの様子を見ていると、なんかいい感じだ。
「やばいぞ。なかむーに彼女ができるかもしれない」
中村たちを見守りながら、伊野が話しかけてきた。
「すごいな……彼女か……」
そんな世界は海崎にとっては未知過ぎて感覚が全然わからない。
人を好きになるってどんな気持ちになるものなのだろう。
伊野は。
伊野はそれを知っているのだろうか。
チラッと伊野の顔を盗み見る。
伊野は横顔もかっこいい。伊野を見ているだけで、伊野が隣にいてくれるだけですごく安心する。
海崎にとって、伊野だけは特別な存在だ。彼女なんてほしいと思わない。伊野がそばにいてくれたら、他には何も望まない。
「……海崎は、誰かにクッキーあげるの?」
海崎の視線に気がついたのか、伊野がこちらに振り向いた。
「えっ? 俺っ? そんな相手いないよ……」
「上原は?」
「伊野までそんなことを……だから上原とはなんでもないって。そういうんじゃない」
海崎が否定すると、伊野は「よかった」とホッとした顔をする。
それはどういう意味なのだろう。
友達に彼女ができるのが寂しいから?
じゃあ、中村はよくて、海崎はいないほうがいい理由は? 全員彼女持ちになったらつまらないから?
「伊野は? 伊野は好きな人、いるの?」
海崎は隣にいる伊野を見上げる。
聞いてみたい。伊野の本音を。
「知りたい?」
伊野は真っ直ぐな視線で海崎を見つめ返してきた。
なぜだろう。すごくドキドキする。
知るのが怖い気もする。でも知りたい。伊野のことなら、なんでも。
「海崎、俺……」
伊野が何か言いかけたときだった。同じクラスの知花が「伊野ー! ちょっといいー?」と大きな声で伊野を呼び、会話は途切れた。
「何? どしたの?」
「いいから、ちょっと来てよ」
「はぁっ?」
知花に半ば強引に伊野が連れ去られていき、海崎はひとりその場に残された。
伊野の言葉の続きが気になる。伊野は何を言いかけたのだろう。
伊野は好きな人はいないとすぐに否定しなかった。あの言い方は、もしかしたらもしかするのかもしれない。
そう思った途端に、胸がズキンと痛みを覚える。
伊野を取られる、と思った。
だってあの伊野だ。告白したらうまくいくに決まっている。伊野が振られるさまなんて想像すらできない。伊野に振られる要素なんてひとつもない。
でも、不思議だ。別に彼女ができたからといって、友人でいられなくなるわけじゃない。中村に彼女ができると思ったときは心から嬉しいと思えたのに、どうして伊野のときは同じように思えないのだろう。
海崎は自分でも意味のわからない焦燥感に苛まれていた。
すでに公認のカップルならいい。みんなの前で堂々と彼氏が彼女にクッキーを手渡して、すごくいい雰囲気だ。
でもそれ以外の生徒たちは落ち着かない。誰が誰にあげるのかとお互い様子を伺っている感じだ。
「俺は誰にもあげないって決めてるから」
「えーっ、義理でもいいから欲しいーっ」
「ダメ。俺が作ったんだから俺が食うの!」
伊野は女子にクッキーを欲しいと言われたのか、それをきっぱりと断っている。あからさまに欲しいとねだられても、伊野は気持ちを変えることはしないらしい。
でもそれは、伊野なりの気遣いなのかもしれないなと思う。伊野のクッキーを欲しがっている女子はたくさんいるから、義理でも誰かにあげたら角が立つ。公平を期すための、伊野なりの優しさのような気がした。
そんな落ち着かない空気感の中、帰りのSHRは終わりを迎えた。
「海崎。面白いもの見に行こう」
SHRのあと、帰り支度をしていると伊野が海崎のもとに来て耳打ちしてきた。
「何?」
「なかむーが告白する」
「な……っ!」
驚き過ぎて思わず声が出そうになったのを、必死でこらえる。
中村に好きな人がいたことも知らなかったし、しかも今から告白だなんて信じられない。
昨日の夜、伊野が「明日教えてやる」と言っていたのは、このことだったのか。
「高一のころからずっと好きなんだぜ。一途だろ?」
それはかなりの一途だ。普段ふざけてばかりの中村が、実はそんな秘めたる恋心を抱えていたとはまったく気がつかなかった。
「それって、のぞき見するの……?」
中村の告白シーンを見たい気もする。でも、一世一代の告白を茶化すようなことはしたくない。
「遠くから見るだけだよ。なかむーが呼び出した場所は、階段の踊り場の窓から見えるから。行くぞ」
「えっ、あっ……」
伊野に腕を引っ張られ、好奇心もあって、海崎は階段の踊り場までやってきた。
ここの高窓からは隣の校舎の屋上が見える。屋上は人工芝が敷き詰められていて、くつろぐためのベンチや目の保養になる植栽が置かれている。
そして、そこで中村と女子生徒が立ち話をしていた。
あれは比嘉だ。隣のクラスにいる、小柄で可愛らしい雰囲気の子だ。中村、上原と同じくテニス部に所属していて、上原と一緒にいるところを何度も見かけたことがある。
そこに中村も加わって話しをしている場面もあった。同じ部活だから仲がいいのだろうと思っていたが、まさか中村にそこまでの気持ちがあったとは知らなかった。
高窓はそんなに大きくない。縦横四十センチほどで、伊野と肩を寄せ合って窓枠から覗き込み、中村たちの様子を伺う。
「渡せ。なかむー」
祈るように伊野が呟いた。中村のスクールバッグの中には例のクッキーが入っているに違いない。それを取り出して比嘉に渡せばミッションコンプリートだ。
当事者じゃないのに、見ているこっちまでドキドキする。ふたりは楽しそうに話をしているが、中村の手はなかなかスクールバッグに伸びない。普通に話をしているだけで、何の進展もないまま時間だけが過ぎていく。
「何してんだよ。男を見せろ、なかむー」
伊野がヤキモキしているのが伝わってくる。海崎もそうだ。今すぐ背中を押してやりたくなるくらいに歯痒くて仕方がない。
「あっ……」
中村が動いた! スクールバッグからクッキーの入った透明な袋を取り出して比嘉に手渡した。
「やっ、たぁぁ……」
叫びたいが、それをこらえて伊野と肩を叩き合って喜ぶ。伊野はあからさまにニヤニヤしている。
それからのふたりの様子を見ていると、なんかいい感じだ。
「やばいぞ。なかむーに彼女ができるかもしれない」
中村たちを見守りながら、伊野が話しかけてきた。
「すごいな……彼女か……」
そんな世界は海崎にとっては未知過ぎて感覚が全然わからない。
人を好きになるってどんな気持ちになるものなのだろう。
伊野は。
伊野はそれを知っているのだろうか。
チラッと伊野の顔を盗み見る。
伊野は横顔もかっこいい。伊野を見ているだけで、伊野が隣にいてくれるだけですごく安心する。
海崎にとって、伊野だけは特別な存在だ。彼女なんてほしいと思わない。伊野がそばにいてくれたら、他には何も望まない。
「……海崎は、誰かにクッキーあげるの?」
海崎の視線に気がついたのか、伊野がこちらに振り向いた。
「えっ? 俺っ? そんな相手いないよ……」
「上原は?」
「伊野までそんなことを……だから上原とはなんでもないって。そういうんじゃない」
海崎が否定すると、伊野は「よかった」とホッとした顔をする。
それはどういう意味なのだろう。
友達に彼女ができるのが寂しいから?
じゃあ、中村はよくて、海崎はいないほうがいい理由は? 全員彼女持ちになったらつまらないから?
「伊野は? 伊野は好きな人、いるの?」
海崎は隣にいる伊野を見上げる。
聞いてみたい。伊野の本音を。
「知りたい?」
伊野は真っ直ぐな視線で海崎を見つめ返してきた。
なぜだろう。すごくドキドキする。
知るのが怖い気もする。でも知りたい。伊野のことなら、なんでも。
「海崎、俺……」
伊野が何か言いかけたときだった。同じクラスの知花が「伊野ー! ちょっといいー?」と大きな声で伊野を呼び、会話は途切れた。
「何? どしたの?」
「いいから、ちょっと来てよ」
「はぁっ?」
知花に半ば強引に伊野が連れ去られていき、海崎はひとりその場に残された。
伊野の言葉の続きが気になる。伊野は何を言いかけたのだろう。
伊野は好きな人はいないとすぐに否定しなかった。あの言い方は、もしかしたらもしかするのかもしれない。
そう思った途端に、胸がズキンと痛みを覚える。
伊野を取られる、と思った。
だってあの伊野だ。告白したらうまくいくに決まっている。伊野が振られるさまなんて想像すらできない。伊野に振られる要素なんてひとつもない。
でも、不思議だ。別に彼女ができたからといって、友人でいられなくなるわけじゃない。中村に彼女ができると思ったときは心から嬉しいと思えたのに、どうして伊野のときは同じように思えないのだろう。
海崎は自分でも意味のわからない焦燥感に苛まれていた。