「ただいまー」

 予想どおり、九時をすこし過ぎたころに篠さんが帰ってきた。ソファでくろさんをなでながら、のんびりしていたわたしは、すこしどきどきしながら顔を上げる。

「おかえり。夜ごはんはおでんです」
「おー、いいね」

 篠さんの口角が持ち上がったのを見て、ほっと胸をなでおろした。キッチンで鍋ごとあたため直して、ダイニングテーブルに運ぶ。

「さあ、お客さん、なにを召しあがりますか?」
「なにそのキャラ」

 篠さんが噴き出して、鍋をのぞきこむ。

「えーと、じゃあ、玉子、はんぺん、糸こんにゃく。あとウインナー。あれ、なにこれ、ロールキャベツ? めずらしいね」
「おいしいよ。うちはいつも入れてた」

 冷凍のロールキャベツだけど。手づくりは面倒すぎて、無理。

「へー。じゃあ、それももらおうかな」
「はーい。どうぞ」
「いただきまーす」

 ぱちん、と篠さんは手を合わせて、ロールキャベツをひと口食べた。

「あ、ほんとだ。おいしい」
「でしょ?」
「変わり種も以外といけるね。トマトとかもおいしいらしいよ」
「えー、トマト?」
「そう。トマト」

 篠さんは笑いながら、どんどんおでんを口に運んでいく。

 顆粒だしを使っているんだから、わたしの料理の腕が反映されているわけでもないんだけど、篠さんがおいしいと言ってくれるのはうれしかった。

「わたしも、お酒飲んじゃおうかなあ」

 缶チューハイと、小皿とお箸を持ってきて、鍋をつつく。夜ごはんは食べたけど、お酒と一緒なら別腹だ。

 足もとをくろさんがうろついた。

「くろさん、ごはんはもう食べたでしょ。間食は太っちゃうからだめだよ」
「それ、ミキが言うわけ?」
「わたしは太ったら自分で責任とるからいいんです」
「ほんとに? ミキ、この夏でちょっと顔ふっくらしたよ」
「え、うそ」
「ほんと」

 ぴとっと、わたしは自分の頬に手を当てる。

「……まあ、そのうちダイエットするし」

 篠さんから目をそらして、大根を小さく切って口に放り込む。さすが、長時間煮込んだかいがあって、とろりとやわらかい。やさしいおだしの味が口いっぱいに広がった。ありがとう、顆粒だし。

 あたたかくなった口の中に、缶チューハイを流し込む。

「んー、しみる! これで太るなら本望だよ」
「ダイエットの話はどこにいったの」

 篠さんは呆れた顔だったけど、ちゃっかりロールキャベツ二個目に突入していた。気に入ってくれたのかな、とちょっと誇らしくなる。

 一本目の缶チューハイを飲み干してから、わたしはくろさんを抱き上げた。

「ねえ、篠さん。今度お鍋やろうよ」
「なに鍋?」
「キムチ」
「んー、キムチかあ……。豆乳がいいな」
「おっけー。じゃあ豆乳で」

 親指をぐっと立てて笑い合う。

「でも、ミキ。わたしたちは基本的に」
「自分のことは自分でやる、でしょ」

 なあなあで、そのルールが崩れることは、わたしも望んでいない。

 わたしたちは家族じゃない。その線引きは、必要だ。親しき中にも礼儀あり、ってね。きっとこの距離感が心地いいものだから、崩したくない。

 でも、わたしはひとりじゃないんだ。

 なにかあったら手助けしあえるひとがいる。

 同じ家に、篠さんがいてくれることが心強かった。わたしのルームメイトは本当にすてきなひとだ。

 腕の中で、なあ、とくろさんが鳴いた。

「うん、そうだね。くろさんもすてきだよ」
「なんの話?」

 篠さんが首をかしげる。

「んー、こっちの話」

 わたしは笑って、二本目の缶チューハイを取りに立ち上がった。

(了)