目が覚めたときには、もう朝の九時を回っていた。窓の外では鳥たちが朝冷えの空気の中にさえずりを響かせている。やわらかい陽射しが、厚いカーテンを透かして部屋をぼんやりと照らしていた。まだ夢の中にいるみたいにぼんやりとした感覚で、しばらくベッドに寝転んでいた。
いい朝だなあ。
頭にかかっていたもやが少しずつ晴れていくと、やっと身体を起こしてリビングに向かう。
「おはよ、ミキ」
「おはようー」
篠さんは朝ごはんを食べていた。今日は手づくりサンドイッチだ。昨日遅くまでお酒を飲んでいたのに、朝からしっかりしてるなあ……と思ったけど、スープがないところを見ると、ちょっと手を抜いたみたい。それでもごうかな朝ご飯なことに変わりはないんだけど。
くろさんも部屋のすみで、のんびりとお食事中だった。
「ミキ、夜ごはんのこと、忘れないでね」
「うん。わかってるよ」
のろのろと洗顔したり朝ごはんを用意したりするわたしとはちがって、篠さんはぱっぱと動く。十時には鞄をつかんでリビングを横切っていった。
「いってきます」
「いってらっしゃーい」
ボルドーの薄手のニットに、黒いパンツスタイルの篠さんは颯爽と玄関の扉を開けて仕事に向かっていった。さすがアパレル店員。おしゃれだ。
わたしも衣替えしなきゃなあ。
いつもどおりのトースト一枚を食べ終えて、今日のやるべきことを片づけるために動きはじめる。まずは自分の部屋の掃除から。それから篠さんとの共有スペースを掃除する。ふたりで使う場所に関しては、交代で掃除をする決まりだった。
掃除が終わると、クローゼットから秋服を引っ張り出して、夏服と入れ替える作業をはじめた。面倒くさいけど、わたしはけっこう秋服が好きだから、久しぶりに見る服たちに楽しくもなった。
このスカート、やっぱりいいな。去年のわたし、いい買い物をしたよ。
そんなことを考えていると、いつのまにか昼になっていた。カップラーメンをずずっと食べてお腹に収めたあと、くろさんと遊ぶ。棒の先に羽がついたおもちゃをふってあげれば、くろさんの黒い瞳がじいっとその羽を見つめた。ひょいっとおもちゃを持ち上げると、くろさんもすかさず飛び上がる。
「かわいいねえ、くろさんは」
猫用のおもちゃは猫だけじゃなくて人間も楽しませてくれるんだから、ありがたい存在だ。
でも、しばらく遊んでいると、くろさんはふいと顔をそむけてクッションの上に移動してしまった。もう満足したみたいだ。壁掛け時計を見上げると、三時だった。そろそろ買い出しに行こう。
わたしはマスクをつけて近所のスーパーに向かった。化粧は省略。マスクがあればなんとかなるはず。
昨日ぶりのハロウィン仕様のスーパー。今日は期間限定コーナーも見てみようかな。わたしは秋服が好きだけど、秋のおいしいものも好きだから、ハロウィンのお菓子は大歓迎だ。それなのに無視していた昨日の自分は、やっぱり疲れていたんだろうなあと思う。よくない、現代人は働きすぎだ。
それはそうと、夜ごはんどうしよう。
カートを押しながら考える。あったかいもの……、うーん、シチュー! いや、グラタンに引っ張られてるな。却下。
つぎに浮かんだのは、お鍋。鍋のもとのコーナーを眺めてみたけど、いろんな種類がありすぎて迷ってしまう。篠さんはなに鍋が好きだっけ。わたしはキムチ鍋が好きだけど、篠さんは苦手だったかな。
うーん、とふり返ったとき、目に飛び込んできたのは「おでん」の文字。
おでん。いいんじゃない?
あったかくて、きっと篠さんもしばらく食べていないものだから喜んでくれるかもしれない。いろんな具材を入れてしまえば、どれかは篠さんの好みに刺さるはずだし。
よし、決めた。おでんにしよう。
大根や練り物をぽいぽいとカゴに入れてレジに向かう。ハロウィンのお菓子ももちろん買った。ついでにいつもの缶チューハイを、また四本ほど。
アパートに帰ると、くろさんが気持ちよさそうに眠っていた。静かに上下する背中がかわいらしくて、わたしもリビングに寝転ぶ。
休みの日っていいよなあ。
篠さんはいまごろ、お客さんの接客をしているんだと思う。がんばれー、と心の中で応援しながら、レースカーテン越しに部屋を満たす陽射しのあたたかさに包まれて、わたしはすぐに眠ってしまった。
目が覚めたとき、時計は五時半を示していた。
篠さんの帰りは九時を過ぎるはず。帰ってくるまで待つかどうか迷ったけれど、すでにわたしのお腹はごはんを求めている。くろさんも、なあなあ、とわたしに向けて鳴いている。たぶん、ごはんをくれ、という意思表示だ。
「くろさん、待ってね。七時にごはんにするから」
頭をなでると、くろさんは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ごはんをくれないなら興味はない、と言わんばかりの態度だ。現金な猫だなあ。
わたしは苦笑してキッチンに向かうと、まずはゆで卵をつくった。それから、鍋におでんの顆粒だしと具材を放り込んでいく。篠さんみたいに手の込んだ料理じゃないけど、たっぷり時間をかけて煮込むから許してほしい。
おでんって、食べるのが自分ひとりだけだと、進んでつくろうとは思えない料理だった。市販のおでんのもとは、一回分で六皿つくることになるから、自分だけじゃ食べきれないし。こういうときに、同居人がいるのは便利だ。
よかった、篠さんがいてくれて。
静かな部屋に立ち昇る湯気を見ながら、ふっと笑みがこぼれた。
いい朝だなあ。
頭にかかっていたもやが少しずつ晴れていくと、やっと身体を起こしてリビングに向かう。
「おはよ、ミキ」
「おはようー」
篠さんは朝ごはんを食べていた。今日は手づくりサンドイッチだ。昨日遅くまでお酒を飲んでいたのに、朝からしっかりしてるなあ……と思ったけど、スープがないところを見ると、ちょっと手を抜いたみたい。それでもごうかな朝ご飯なことに変わりはないんだけど。
くろさんも部屋のすみで、のんびりとお食事中だった。
「ミキ、夜ごはんのこと、忘れないでね」
「うん。わかってるよ」
のろのろと洗顔したり朝ごはんを用意したりするわたしとはちがって、篠さんはぱっぱと動く。十時には鞄をつかんでリビングを横切っていった。
「いってきます」
「いってらっしゃーい」
ボルドーの薄手のニットに、黒いパンツスタイルの篠さんは颯爽と玄関の扉を開けて仕事に向かっていった。さすがアパレル店員。おしゃれだ。
わたしも衣替えしなきゃなあ。
いつもどおりのトースト一枚を食べ終えて、今日のやるべきことを片づけるために動きはじめる。まずは自分の部屋の掃除から。それから篠さんとの共有スペースを掃除する。ふたりで使う場所に関しては、交代で掃除をする決まりだった。
掃除が終わると、クローゼットから秋服を引っ張り出して、夏服と入れ替える作業をはじめた。面倒くさいけど、わたしはけっこう秋服が好きだから、久しぶりに見る服たちに楽しくもなった。
このスカート、やっぱりいいな。去年のわたし、いい買い物をしたよ。
そんなことを考えていると、いつのまにか昼になっていた。カップラーメンをずずっと食べてお腹に収めたあと、くろさんと遊ぶ。棒の先に羽がついたおもちゃをふってあげれば、くろさんの黒い瞳がじいっとその羽を見つめた。ひょいっとおもちゃを持ち上げると、くろさんもすかさず飛び上がる。
「かわいいねえ、くろさんは」
猫用のおもちゃは猫だけじゃなくて人間も楽しませてくれるんだから、ありがたい存在だ。
でも、しばらく遊んでいると、くろさんはふいと顔をそむけてクッションの上に移動してしまった。もう満足したみたいだ。壁掛け時計を見上げると、三時だった。そろそろ買い出しに行こう。
わたしはマスクをつけて近所のスーパーに向かった。化粧は省略。マスクがあればなんとかなるはず。
昨日ぶりのハロウィン仕様のスーパー。今日は期間限定コーナーも見てみようかな。わたしは秋服が好きだけど、秋のおいしいものも好きだから、ハロウィンのお菓子は大歓迎だ。それなのに無視していた昨日の自分は、やっぱり疲れていたんだろうなあと思う。よくない、現代人は働きすぎだ。
それはそうと、夜ごはんどうしよう。
カートを押しながら考える。あったかいもの……、うーん、シチュー! いや、グラタンに引っ張られてるな。却下。
つぎに浮かんだのは、お鍋。鍋のもとのコーナーを眺めてみたけど、いろんな種類がありすぎて迷ってしまう。篠さんはなに鍋が好きだっけ。わたしはキムチ鍋が好きだけど、篠さんは苦手だったかな。
うーん、とふり返ったとき、目に飛び込んできたのは「おでん」の文字。
おでん。いいんじゃない?
あったかくて、きっと篠さんもしばらく食べていないものだから喜んでくれるかもしれない。いろんな具材を入れてしまえば、どれかは篠さんの好みに刺さるはずだし。
よし、決めた。おでんにしよう。
大根や練り物をぽいぽいとカゴに入れてレジに向かう。ハロウィンのお菓子ももちろん買った。ついでにいつもの缶チューハイを、また四本ほど。
アパートに帰ると、くろさんが気持ちよさそうに眠っていた。静かに上下する背中がかわいらしくて、わたしもリビングに寝転ぶ。
休みの日っていいよなあ。
篠さんはいまごろ、お客さんの接客をしているんだと思う。がんばれー、と心の中で応援しながら、レースカーテン越しに部屋を満たす陽射しのあたたかさに包まれて、わたしはすぐに眠ってしまった。
目が覚めたとき、時計は五時半を示していた。
篠さんの帰りは九時を過ぎるはず。帰ってくるまで待つかどうか迷ったけれど、すでにわたしのお腹はごはんを求めている。くろさんも、なあなあ、とわたしに向けて鳴いている。たぶん、ごはんをくれ、という意思表示だ。
「くろさん、待ってね。七時にごはんにするから」
頭をなでると、くろさんは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ごはんをくれないなら興味はない、と言わんばかりの態度だ。現金な猫だなあ。
わたしは苦笑してキッチンに向かうと、まずはゆで卵をつくった。それから、鍋におでんの顆粒だしと具材を放り込んでいく。篠さんみたいに手の込んだ料理じゃないけど、たっぷり時間をかけて煮込むから許してほしい。
おでんって、食べるのが自分ひとりだけだと、進んでつくろうとは思えない料理だった。市販のおでんのもとは、一回分で六皿つくることになるから、自分だけじゃ食べきれないし。こういうときに、同居人がいるのは便利だ。
よかった、篠さんがいてくれて。
静かな部屋に立ち昇る湯気を見ながら、ふっと笑みがこぼれた。