「くろさん。なに? 遊びたいの? グラタン食べ終わるまで、ちょっと待ってほしいなあ」
ごめんね、と言うと、くろさんがわたしの足をのぼろうとしてくる。おいしそうな匂いに惹かれたのかもしれない。あげないけどね。ぽんぽん、と頭をなでると、くろさんは黒い瞳でわたしを見つめたあと、諦めて方向転換した。なでろ、と求められた篠さんはそれに応えながら、つぶやく。
「お酒、飲みたくなってきたな」
「あれ、めずらしいね。篠さん普段飲まないのに」
「明日は遅番だからね。ゆっくり寝てられるから飲んでも大丈夫だし」
篠さんの遅番は十一時出勤だ。たしかに、だらだらできる。とはいえお酒を飲む習慣がない篠さんは、お酒の買い置きなんてしていない。ここはわたしがひと肌脱いであげますか。
「わたしのチューハイ、飲んでいいよ。レモンしかないけど」
「ほんと? ありがと」
冷蔵庫は共同だけど、相手の食材には手を出さないのが暗黙の了解になっていた。でもたまには、お互いのものを分け合うのもいいと思う。
篠さんはチューハイ一本と氷入りのグラスを持ってきて、ぷしゅっと缶を開けた。その小気味いい音だけでのどがスカッとしてくるから、チューハイってすごい。というか、篠さん、ちゃんとグラスに注ぐあたり真面目だ。わたしは缶から直で飲んじゃうよ。
「はー、うま」
篠さんの口もとがにんまりと弧を描く。
「なによりです」
わたしもつられて笑った。グラタンのおかげで、お腹の底がぽかぽかとあたたかい。わたしはお酒を飲んでないのに、ほろよい気分に似た感覚があって不思議だ。自然と笑ってしまう、そんな気分。
グラタンを三分の二くらい食べ終わったところで、ご飯を放り込む。ホワイトソースと混ぜて、リゾット風ご飯の出来上がり。鍋の〆がラーメンだとすると、グラタンの〆はリゾット風ご飯だと思う。
口に運ぶと、クリームソースの濃厚さと、ご飯の甘さが絡み合っていて、頬がゆるんだ。やっぱり最高だ。白いものと白いものの相性はいいに決まってる、たぶん。
あっという間に、最後のひとくちまで食べてしまった。大満足です。
両手を合わせて、深々と頭をさげる。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「おそまつさまです」
ほっと息がこぼれた。
久しぶりに、ご飯の時間が楽しいと思えた気がする。最近は、栄養補給の作業って感じの食事ばかりだった。とりあえず食べられたらいいや、って。自分でつくるご飯って、あんまりおいしいとも思わなかったし。
「ミキ、くろお願い」
「はーい」
お皿を流しに置きにいってから、くろさんを腕の中に譲り受けた。「くろさんと戯れスペース」でクッションにもたれながら、ふわふわの毛並みをなでてあげる。くろさんは気持ちよさそうに目を細めて、わたしに身体を預けてくれた。先っぽだけがちょっと白いしっぽを、ぱたんぱたんと揺らしているのが、実にかわいらしい。
くろさんはあったかいし、お腹もいっぱいだし、心地がよくてわたしのまぶたはだんだん重くなっていく。ふわあ、とあくびがこぼれた。
「寝る前に、風呂入りなよ」
「うんー……、でも、面倒くさいなあ」
入らなきゃいけないのはわかっているし、このまま寝るのは落ち着かない。汗とかほこりとかは、流してさっぱりしたいと思う。だけど腰が重い。
「シャワー浴びるのはいいんだけどさ。そのあとの保湿とか、髪乾かすのとか、そういうのが果てしなく面倒くさいんだよね」
ため息まじりに言うと、篠さんは笑った。
「それはわかる。こいつ手のかかる女だなあ、って自分で思うよ」
「そうなんだよね。専属美容師さん雇いたい。ドライヤーしてほしい」
「いいね、それ。ほんと、自分の世話するのも大変だよ。よくやってるよね、うちら」
「そうそう、本当に――」
そのとき、ふっと思い出すことがあった。
思い出したとたんに、あっと声を上げていた。
「そう、それ! それだよ、篠さん!」
急に叫んだわたしに、腕の中にいたくろさんがぴくりと身じろぎした。「なんだこの人間、挙動がおかしい」って顔でわたしを凝視してくるから、ちょっと肩身が狭くなる。お詫びに、耳のつけ根をくすぐってあげた。くろさんが好きな場所だ。気持ちよさそうに目を細めてくれたから、効果は抜群らしい。
「それって、なに?」
篠さんの声は、そろそろ酔いが回ってきたのか、いつもよりふわふわとしていた。わたしはくろさんをなでる手を止めないままで言う。
「自分で自分の世話をして養ってくのって、けっこう大変じゃん?」
「そうだね」
「そんな生活がさ、楽なわけないよね。毎日毎日、仕事して、料理して、掃除して、洗濯して、そういうの全部自分でやってるんだから、ひとり暮らしだって忙しいし、家に帰ったらやることが大量にあるわけですよ」
「うん」
「ひとり暮らしだからって、残業できるほど自由じゃないよね。ていうか、だれにも頼らずに生きなきゃいけないんだから、それはそれで苦労してるんだよ。だからわたしが残業したくないって言っても、心狭いことにはならないよね!」
うんうん、とわたしはひとりでうなずく。
篠さんは、ダイニングテーブルに頬杖をついて、わたしを見た。
「ミキさあ、それ、だれかに言われたの?」
「え?」
不意の質問に対応ができなくて、わたしは首をかしげた。くろさんも、わたしにつられたように首をかしげている。いちいちかわいいな。
ごめんね、と言うと、くろさんがわたしの足をのぼろうとしてくる。おいしそうな匂いに惹かれたのかもしれない。あげないけどね。ぽんぽん、と頭をなでると、くろさんは黒い瞳でわたしを見つめたあと、諦めて方向転換した。なでろ、と求められた篠さんはそれに応えながら、つぶやく。
「お酒、飲みたくなってきたな」
「あれ、めずらしいね。篠さん普段飲まないのに」
「明日は遅番だからね。ゆっくり寝てられるから飲んでも大丈夫だし」
篠さんの遅番は十一時出勤だ。たしかに、だらだらできる。とはいえお酒を飲む習慣がない篠さんは、お酒の買い置きなんてしていない。ここはわたしがひと肌脱いであげますか。
「わたしのチューハイ、飲んでいいよ。レモンしかないけど」
「ほんと? ありがと」
冷蔵庫は共同だけど、相手の食材には手を出さないのが暗黙の了解になっていた。でもたまには、お互いのものを分け合うのもいいと思う。
篠さんはチューハイ一本と氷入りのグラスを持ってきて、ぷしゅっと缶を開けた。その小気味いい音だけでのどがスカッとしてくるから、チューハイってすごい。というか、篠さん、ちゃんとグラスに注ぐあたり真面目だ。わたしは缶から直で飲んじゃうよ。
「はー、うま」
篠さんの口もとがにんまりと弧を描く。
「なによりです」
わたしもつられて笑った。グラタンのおかげで、お腹の底がぽかぽかとあたたかい。わたしはお酒を飲んでないのに、ほろよい気分に似た感覚があって不思議だ。自然と笑ってしまう、そんな気分。
グラタンを三分の二くらい食べ終わったところで、ご飯を放り込む。ホワイトソースと混ぜて、リゾット風ご飯の出来上がり。鍋の〆がラーメンだとすると、グラタンの〆はリゾット風ご飯だと思う。
口に運ぶと、クリームソースの濃厚さと、ご飯の甘さが絡み合っていて、頬がゆるんだ。やっぱり最高だ。白いものと白いものの相性はいいに決まってる、たぶん。
あっという間に、最後のひとくちまで食べてしまった。大満足です。
両手を合わせて、深々と頭をさげる。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「おそまつさまです」
ほっと息がこぼれた。
久しぶりに、ご飯の時間が楽しいと思えた気がする。最近は、栄養補給の作業って感じの食事ばかりだった。とりあえず食べられたらいいや、って。自分でつくるご飯って、あんまりおいしいとも思わなかったし。
「ミキ、くろお願い」
「はーい」
お皿を流しに置きにいってから、くろさんを腕の中に譲り受けた。「くろさんと戯れスペース」でクッションにもたれながら、ふわふわの毛並みをなでてあげる。くろさんは気持ちよさそうに目を細めて、わたしに身体を預けてくれた。先っぽだけがちょっと白いしっぽを、ぱたんぱたんと揺らしているのが、実にかわいらしい。
くろさんはあったかいし、お腹もいっぱいだし、心地がよくてわたしのまぶたはだんだん重くなっていく。ふわあ、とあくびがこぼれた。
「寝る前に、風呂入りなよ」
「うんー……、でも、面倒くさいなあ」
入らなきゃいけないのはわかっているし、このまま寝るのは落ち着かない。汗とかほこりとかは、流してさっぱりしたいと思う。だけど腰が重い。
「シャワー浴びるのはいいんだけどさ。そのあとの保湿とか、髪乾かすのとか、そういうのが果てしなく面倒くさいんだよね」
ため息まじりに言うと、篠さんは笑った。
「それはわかる。こいつ手のかかる女だなあ、って自分で思うよ」
「そうなんだよね。専属美容師さん雇いたい。ドライヤーしてほしい」
「いいね、それ。ほんと、自分の世話するのも大変だよ。よくやってるよね、うちら」
「そうそう、本当に――」
そのとき、ふっと思い出すことがあった。
思い出したとたんに、あっと声を上げていた。
「そう、それ! それだよ、篠さん!」
急に叫んだわたしに、腕の中にいたくろさんがぴくりと身じろぎした。「なんだこの人間、挙動がおかしい」って顔でわたしを凝視してくるから、ちょっと肩身が狭くなる。お詫びに、耳のつけ根をくすぐってあげた。くろさんが好きな場所だ。気持ちよさそうに目を細めてくれたから、効果は抜群らしい。
「それって、なに?」
篠さんの声は、そろそろ酔いが回ってきたのか、いつもよりふわふわとしていた。わたしはくろさんをなでる手を止めないままで言う。
「自分で自分の世話をして養ってくのって、けっこう大変じゃん?」
「そうだね」
「そんな生活がさ、楽なわけないよね。毎日毎日、仕事して、料理して、掃除して、洗濯して、そういうの全部自分でやってるんだから、ひとり暮らしだって忙しいし、家に帰ったらやることが大量にあるわけですよ」
「うん」
「ひとり暮らしだからって、残業できるほど自由じゃないよね。ていうか、だれにも頼らずに生きなきゃいけないんだから、それはそれで苦労してるんだよ。だからわたしが残業したくないって言っても、心狭いことにはならないよね!」
うんうん、とわたしはひとりでうなずく。
篠さんは、ダイニングテーブルに頬杖をついて、わたしを見た。
「ミキさあ、それ、だれかに言われたの?」
「え?」
不意の質問に対応ができなくて、わたしは首をかしげた。くろさんも、わたしにつられたように首をかしげている。いちいちかわいいな。