「なあ、ノート写させて」
「毎度毎度、ちゃんと自分で取れよ」
「だって、なあ?」
「なあ、じゃねーし」

 高校二年になりクラス替えをして俺の前の席になったこいつ、上野は、毎日のように俺にノートを写させてと頼んだりシャーペン貸してとか消しゴム貸してとか言っては後ろを向いて座る。

 ちなみに俺は江田。所謂名前順ってやつだ。

「……購買の焼きそばパン」
「はい、どうぞごゆっくり」
「へへ、江田ってだから好き」
「買収されやすい奴って意味?」
「……」

 そこで黙るなよ。

 上野は、俺が出したノートの横に自分のノートをピッタリ並べて写し始める。俺の机の上で。

「……前向いてやれよ」
「いいじゃん別に」

 人の机を占領しておいてこれだ。

 いつものようにざわついている教室。上野は背も高いし顔もいいし人当たりもいいという、俺にはない長所をいっぱい持っているイケメンてやつだから、俺なんかにノートを借りなくても貸したいっていう女子はわんさかいる筈なのに。

 すると、またあれが始まった。

「……おい」
「んー」

 上履きを脱いだ上野の足の指が、俺のくるぶし丈の靴下を挟んではパチン、と離す。

「やめろ」
「だって落ち着くんだもん」

 取り付く島がないのも毎度のことだ。

 初めは、俺のつま先を軽く蹴ったりするだけだった。俺が蹴るなと注意すると、今度は上履きを脱いで俺の足の甲の上で指をムニョムニョ動かす。擽ったいからやめろと言うと、今度は人の上履きの間に指を突っ込むようになった。

 新手の嫌がらせかと思ったが、本人は至って真面目な表情で俺のノートを写している。どうも嫌がらせをしている雰囲気ではないし、毎回こうなので癖なのかな、と思った。女子にこんなことをしたら、即オチだろう。もしかしたら誰構わずやってるかもだから、そう考えると随分と罪作りな奴だ。

「なんなんだよもう……」

 逃げようとすると、反対の足で踏まれて逃げられないよう押さえつける有様だ。

「逃げると焼きそばパンも逃げるよ」
「ノート写させてもらってる奴の言う台詞か?」
「コーヒー牛乳」
「……仕方ねえな」

 こうして日々、上野に買収されている。

 それにしても擽ったい。一体何がよくてこんなことをしてるんだろう、と目の前で長いまつ毛を伏せてノートに丁寧に写している上野の顔を見つめる。

 席が並んでなければ、普段だったら会話を交わすことすらないほど、俺と上野はかけ離れている。俺は上野みたいに背も高くなけりゃ女にももてないし、強いていいところかもというのを挙げれば、真面目なところか。品行方正とは言わないが、犯罪歴もないし成績は良くはないが悪くもない、所謂普通の平均的な男子高校生だ。

 間違っても、いつも何だか周りの空気すらキラキラしてる目の前に座って俺の足をまさぐってる上野みたいな人種ではない、モブ中のモブ。

 なのに、そんなモブな俺に主役級の上野はやたらと絡む。声を掛けられる前に席を立つと走ってトイレまでも追いかけて来られたから、そもそもの一歩の距離が違う俺は、早々に逃げるのを諦めた。

 上野の、男っぽい筋張った手の甲の動きを眺める。

「……なあ、何で俺のノートなの?」
「読みやすい」
「嘘だろ、これのどこがだよ」

 絶対こいつの周りにいる女子の方が、俺のものよりも読みやすい字を書く。俺のは、ミミズよりはちょっとマシかな程度のレベルなのは、自分がよく分かっていた。

「……江田のがいいんだよ。いいからちょっと黙って」
「……くそお」

 足を踏みつけられて拘束されて弄ばれていては、席を立つことすらままならない。そんな俺が出来ることと言ったら、引き続き上野の観察くらいだ。

 すべすべの肌に、少しだけ目の下にそばかすが浮いている。スッとした頬骨は、俺の童顔ではあり得ない造形で正直羨ましかった。

「……イケメンて得する?」

 普通とイケメンと、どっちが生きやすいんだろうなんて思ってそんなことを尋ねると、上野が突然俺を真っ直ぐに見つめる。そんな仕草ひとつひとつに、女子はドキドキするんだろうな。俺もちょっとは理解出来てしまうのが悲しいが。

「……江田から見て、俺ってイケメン?」
「俺より全然いい男だろうが。いつも女子が群がってて羨ましいよ」
「……ははっ」

 ああムカつく。しかも結局質問に答えてないし。と思っていたら。

「――!」

 俺の靴下で遊んでいた上野の足の指が、するりと裾の中に入ってきたじゃないか。何というか、その触り方は――さすがに拙くないか?

「お、おいっ」
「焦ってるの? かーわいい」
「おい、いい加減に……!」

 その時、俺は気付いてしまった。どこからどう見てもさわやかな笑顔な筈の上野の目だけが、何故か熱を帯びたように潤んでいることに。

「……ごめんね、好きなんだ。やめたくない」
「は? 足? お前そんなに足が好きなのか? 前から思ってたけど、大分フェチ偏ってねえか?」

 足を引こうにも、がっつり踏まれている。

「そう、うん、足あし。好きなんだ。いいだろ、減るもんじゃないし」
「減……」

 俺の神経が減る、そう言おうとして、これじゃまるで俺がこいつを意識してるみたいじゃないかと思い、言い直す。

「……減らないし!」
「わーいやったー」

 上野はそう言うと、再びノートに視線を戻した。

 好き、とか、びっくりしたじゃないか。これだから軽い奴は。なんて心の中で文句を垂れて、動揺した自分を誤魔化す。何だって俺は同性の上野にドキドキさせられてるんだ。馬鹿じゃないか、俺。

 そんな俺の焦りなど気付いていないんだろう。振り回されるこっちの身にもなってほしい。

「……なあ」

 長いまつ毛を伏せたまま、またもや上野が口を開く。俺なんかよりよほど丁寧にゆっくり書く字が綺麗で、こんなにチャラいのになあ、と上野の長い指を眺めた。

「……なんだよ」
「今日の放課後、空いてる?」

 俺たちは外で遊んだことなんてないだろう。こいつはいつも、他の奴らとつるんでいるんだから。また何か借りたいのか。

「あ、空いてるけど……なんで?」
「カラオケ行かない?」
「へ?」

 途端、上野がよくつるんでいる奴らの顔が脳裏にポンポンと浮かぶ。無理。

「お前の友達明るくて無理」

 すげなく断ると、上野が俺の片足に両足を絡ませてきた。おいおいおい。

 そして、なんでドキドキしてるんだ、俺。

「あいつら? 最初から誘う気なんてないよ。二人で行こうよ」
「まあ、他の奴らがいないなら……いいかな」
「……やった……」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」

 上野は真剣な顔つきになると、姿勢を正してノートに向かい始めた。

「……おい?」
「いいじゃん。いいって言ったじゃん」
「ちょ……」

 上野の俺のよりも長い片足が俺のふくらはぎに絡まり、もう片方の足の膝が俺の足の間にするりと入ってきた。この距離感は、さすがに……おかしくないか? だけど、俺は相変わらずドキドキしてるだけで無理やり足を引っこ抜けない。本当は、やろうと思えばできるけど。

 だけど、そんなことをしたら、こいつが悲しみそうで。

「……江田ってお人好しだよね」

 上野が、目の下の肌を朱に染めながらぼそりと呟く。なんでこいつまで顔を赤らめてるんだ。

「江田、顔赤いよ」

 そう言って、笑った。

「――うっうるせえ!」
「ねえ、普段どんなの聴いてるの?」
「お? あ、俺はなあ――……」

 こいつと放課後に二人で遊んだら、こいつがなんで俺だけにこんなに足を絡ませるのか、その理由が分かるだろうか。

 何だって俺がそれに対してドキドキするのかも、分かるだろうか。

 上野のなんだか嬉しそうな顔を眺めながら、そんなことを考えた。



 その日の放課後に、俺は上野の『好き』は足フェチって意味じゃないと知った。ついでに、自分のこの気持ちの意味についてもようやく知ることができたのだった。