しなやかな豹のようにイケメン達がテレビの世界で躍動している様子を見るのも楽しかった。いつか、僕もあのクループに入りたいと夢想するようになった。

 平日の夜や早朝、母のスマホを借りてダンスの動画を見て振付を覚えるのが楽しかった。フリースポットならば、通信のお金はかからない。ジャンルとか技法とか細かいことは動画サイトで学んで摸倣して踊りをコピーした。打ち込むものが出来て少しは心は明るくなったけれども、それでも、貧しい暮らしは変わらない。

 贅沢は敵と言い聞かせて生きてきた。クラスのみんなと一緒にコンビニに入った時、平然と嘘をついて誤魔化してきた。

『ごめんね。僕、鳥のささ身しか食べないようにしているんだ。糖分や油分は筋肉に悪いだろう?』

 ニコニコしながら、みんなの話に頷きながらチビチビと水筒の水を飲む。本当は、ファミチキやハーゲンダツツのアイスというものを腹いっぱい食べてみたかった。

 いつも腹を減らしていた。それを補う為に河岸の草原や公園に向かい野草を探し回るようになっていた。春の七草、ひまわりの種、野生の栗、銀杏、つくし、わらび。図書館でハーブや漢方薬の本を何度も読んでいくうちに詳しくなっていった。小学五年生になると電子レンジで作れるメニューを習得しており、母が帰宅する時刻に合わせて夕飯を出すようになったのだ。料理を作ると、マリオがいると助かるわと、母さんが頭を撫でてくれる。

 それが何よりも嬉しかった。

 給食の時間、給食のコッペパン欲しさに小食な子にこんなことを言ったこともある。

『公園の鳩の餌にするから、もらってもいいかな?』

 鳩にやるなんて嘘っぱちだ。ゴミ箱の中から、未開封の給食のジャムがないかと探した事もある。

 生活保護を受けたらどうかと、役所の方から言われた事もあったけれど、母は断っていた。一度、甘えると頑張れなくなると考えていたらしい。水商売をすれば、もう少し儲かったのかもしれないが、母は、その道を選ばなかった。

 中学生になると、オレは新聞配達や犬の散歩のバイトをするようになった。そして、ホームレスの人達にパンを配るシスターを手伝うようになった。ボランティアの後、褒美としてパンをもらえるので、それが楽しみだった。

 当時から、オレの腹筋と背筋はバキバキに割れていた。

 身体を動かして目の前の事だけ考えていると嫌なことも忘れられる。夢中になって踊っていれば、灰色の劣等感も汗や熱気と共にしなやかに吹き飛んでいく。

 クラスメイトには貧しい事を悟られたくなかった。馬鹿にするような奴等ではないと分かっているが、それでも自尊心を守る為に隠そうと務めてきたのだ。

『山田ってさぁ、いつも楽しそうに笑ってるな。悩みごとなさそうたな』

 友達にそう言われると胸がズキッと疼き、何とも言えない複雑な気持ちになった。みんなと同じように普通に暮らせない惨さを抱えていたのだが、微笑みを絶やさないようにしていた。そうやって無理を重ねていくうちに、いつしか、口角を上げて静かにしている事がオレの生活の一部になっていったのだ。