例え、継父でも、どうして、何の罪も無い子供を痛めつけるのか理解できなかった。衝動的に泣きたくなったけれども、それさえも出来ないほどに呆然としていた。

 施設の人達はみんな優しくて、オレは他の児童とも仲良くしていたが、それでも、母が入院している間、色々なことを想像する度に心か揺れて不安になった。

 母のリハビリも長くかかると言われていた。

 当時、幼稚園児だった妹は、オレとは正反対の明るくて天真爛漫な子供だった。大きな瞳と薄茶色の綺麗な髪の西洋のお人形のように華やかだ。無邪気に童謡を披露して皆を和ませていた。しかし、オレは、母の病状が悪化して死んだらどうしようと悩み、誰かに心臓を掴まれたように苦しかった。

 もしも、母さんが亡くなったりしたら、僕が妹を守るんだと密やかに誓っていると、施設の職員の滝川さんが朗らかな笑みをこぼして顔を覗き込んできた。

『マリオ君、どうしたのさ? やけに怖い顔をしているね……。そんな陰気な顔したら、不幸になっちゃうよ! いいこと教えてあげる。笑う角には福が来るんだよ!』

 白髪でオカッパ頭の滝川さんは、野生のカバのように豪快な人だった。

『いいかい。笑顔は人を幸せにするんだよ。笑うと怖い癌細胞だってやっつけられるんだよ。ほーら、鏡を見なさい。レッツ、スマイル。笑っていれば、自然にいいことが起きるんだよ』

 滝川さんは自分の鼻にテープを貼り付けて研ナオコの物真似をしてみせた。あまりにも可笑しくて吹き出すと安心したように言った。

『そうそう。笑ってる方がいいね。アヒルみたいに口角をキュッと上げると女の子にモテるんだよ』

 おずおずと目線を上げて口角を上げると、いい子だねと言いながら頭を撫でてくれた。シワだらけの首元からは汗の臭いがした。干草に包まれているような懐かしい感覚がしてホッとした。

 やがて、退院した母が迎えに来てくれたのだが清掃の仕事は解雇されていた。利き手の指に軽い障害が残ったので細かい作業がしにくくなり、お弁当工場ての仕事にも支障が出ていたようである。母は、頑張って働いていたけれど、オレと妹は体操着や上履きを新調するのにも苦労していた。オレは、ゲームをしたり漫画を読んだりする余裕も無いので、みんなとの話に入れなくて困っていた。そんなある日、ダンスの授業で踊っていると、溌剌とした雰囲気の女の体育の先生に褒められたのだ。

『すごいじゃん。山田君、キレキレのダンスがカッコいいよ。運動神経が抜群だね。ムーンウォークも山田君が一番上手にやれてるよ』

 当時のオレは小学四年生。他の子よりも反射神経が良かった。マイケルジャクソンのムーンウォークも、BTSのダンスも誰よりも上手く演じられた。試しにやってみたバク転も誰よりも綺麗に先生の補助なしに出来た。

『マリオ、すっげーーー』

 みんなの前で手放しに褒められて嬉しかった。息を弾ませて頬を高揚させながら想った。

 ダンス! そうだ。ダンスならお金なんてかからない。ダンスが好きな子はクラスに何人かいて、そいつらは、みんないい奴等だし、オレも踊りを楽しみたい。