はまゆう公園から家に帰ってきて、久しぶりにリビングで家族そろって夕食を食べた。
 しかし一緒に外に出かけたからといって、すぐさま元通りとはいかない。

 私の口数は少なかったし、両親は学校と夜月の話を避けるようにしていたと思う。反応に困るからありがたいことだったけど、気遣ってくれていることがはっきりとわかって、少し気まずかった。

 でもこれがきっと、いまの私にとって最善なのだと思う。だから、ありがたいことはたしかだった。

 まぁ、両親は普段通りとはいっても、やはりどこか嬉しそうにしていたように思う。お母さんなんかは、話の内容こそ平常のものとはいえ、明らかに声が弾んでいるように私には聞こえていた。お父さんのほうはわかりづらかったけど、私が食事をしている姿をチラチラと嬉しそうに見ていた。

 こんなに喜ばれるのなら、もっと早くに立ち直るべきだったと思うけど、あの時の私にはそんなことを考える余裕はなかったのだ。夜月が現れてくれなかったら、まだまだ時間はかかっていたと思う。

 夕食を食べ終わったときに、『迷惑かけてごめんなさい』と『優しくしてくれてありがとう』の二つだけは、しっかり伝えることができた。そこから話が発展することはなかったけれど、二人は『気にしてない』、『親として当然』と穏やかな表情で言ってくれた。

 それから久しぶりに湯船に浸かって(食事のトレーに『お湯を張ってもいい』と書かれていたことがあったけど、ずっと私はシャワーで済ませていた)、お母さんとお父さん、それぞれにしっかりと顔を合わせて、『おやすみ』と挨拶をしてから部屋に戻った。

 そして深夜。家族との関係は回復してきているけれど、私の昼夜逆転はそのままなので、まだまだ寝るには早い。はまゆう公園での感想をお互いに言い合ったあと、夜月に聞きそびれていたことを口にした。

「そういえば他のお願いってなんなの? いっぱいある感じ?」

 二人でベッドに腰掛けて、並んで夜空を見ながら聞いてみる。視線は合わないけれど、隣にいるというだけで私の心の傷は癒されていく。
 少し体を動かせば、体温は感じられないものの夜月の感触がある。それがとても嬉しくて、思わず頬が緩んでしまった。

「いっぱいって言うほどでもないな。片手で数えられるぐらい」
「そうなんだ」

 千個ぐらいあればよかったのに。そうすれば、夜月がずっといてくれるかもしれないのに。そう思ってしまう私は、夜月の言う通り依存してしまっているのだろう。この時間がずっと続けばいいのにと思ってしまう。

 落胆は、うまく隠せただろうか。

「赤石と亮の状況が知りたいんだよ。俺が死んだあと、どうしてんのかなって」

 夜月はぼうっと星空を眺めながら、吐息多めの声でそう言った。

「それより先に家族じゃないの?」
「うちの家族のことはもうなんとなく知ってるから大丈夫。葬式の時とか、ずっと見てきたし」
「私のところに来る前は、そっちにいたんだ」
「たぶん……? そんな気がするぐらい。その辺りの記憶があいまいなんだよ。はっきりしないけど、見たっていう感覚はあるんだよなぁ」

 夜月はこめかみに人差し指を当てながら、眉間にしわを寄せる。この状況が普通じゃないし、普通の論理ではなりたたないことなのかもしれない。
 しばらくうんうんと唸っていた夜月は、手を叩いて「ともかく」と口にした。開き直ったときの顔だ。

「俺は今、赤石と亮の状況が知りたいんだよ」
「なんか、未練って感じじゃないよね、それ」
「そう言われてもな、俺にも今の俺がなんなのかわからないんだぜ? 案外桔梗の夢オチだったってパターンもあるかも」
「怖いこと言わないでよ……」
「今の状況のほうがよっぽど怖いと思うぞ? 半透明の人間が隣に座ってるなんて、悲鳴をあげてもおかしくない」

 それはそう――なのかな。
 でも仮に夢だったとすると、こうして私と話している夜月は存在しないということになるから、私としては幽霊であってほしいと願うばかりである。そして夢よりも、まだ幻覚のほうがマシ。

 夢だったら、私は両親とも会話をせず立ち止まったままということになるから。

「連絡を取るなら、スマホ……だよねぇ」

 私はそう口にしながら、デスクの引き出しに目を向ける。

「まぁそうだな。ずっと電源切ったままなんだっけ? いつから?」
「夜月が亡くなった二日後だったと思う」

 亡くなった本人に向かってこんな話をするのは、本当におかしな話だ。

「そっか――まぁわざわざ全ての通知に目を通す必要はないと思うぜ。自分の見たいところだけ、見ればいい」
「……うん」

 当日は呆然自失で、たくさん泣いて、スマートフォンを見る余裕なんてほとんどなかった。翌日はスマートフォンがあまりにもたくさんメッセージや通話を知らせるものだから、少しだけメッセージのやりとりをした。そしてその後は、人に対して気を遣うことに疲れ、電源を切って、視界に入らないようにするために引き出しに突っ込んだ。たぶん、そんな感じだったと思う。

 彼とはまた違う種類の記憶の混濁なのだろうけど、私もまた、その辺りの記憶があいまいなのだ。

「ずっと見ないわけにもいかないもんね」

 そう口にしながら、私はベッドから立ち上がる。
 夜月が隣にいてくれるから、気持ちは少しだけ楽だった。

 触りたくない、スマートフォン自体を視界に入れたくない、現実を直視したくない――そんな風には思わなかった。あるのは、ずっと連絡を無視してきたという罪悪感。

 引き出しにしまっていたスマートフォンを取り出して、充電プラグを差し込み、少しだけ待ってから電源を入れる。

「……うわぁ」

 着信、二十六件、メッセージの通知は九十二件。
 私は夜月が言ってくれた通り、できるだけ視界を狭めて情報を制限しながら、親友である彩のメッセージを開いた。彼女だけで、三十件ほどのメッセージが届いている。

 彩、怒ってるかな……怒ってるだろうな。ずっとこんな形で拒絶していたんだもん。

 最後のやりとりは、私が『また落ち着いたら連絡する』と送って、彩からの了承の返事。その三日後に彩から定期的に『大丈夫?』とか『話聞くよ』とか、短い文章がずっと届いている。

 最新の通知は、今日の夕方四時ぐらいだった。メッセージの内容は『いつでも連絡していいからね』というものだった。

「赤石は良いやつだよな」
「……うん、私にはもったいないよ」
「そんなことないだろ。赤石には赤石の良いところがあるし、桔梗には桔梗のいいところがある。あまり自分を卑下するもんじゃないぜ」

 夜月はそう言って、私の肩に手を置いてトントンと優しく叩いてくれた。
 私の視線は、暗闇の中で煌々と光るスマホの画面に向かっている。彩からのメッセージを見ていると、彼女がどんな心境で送ってくれていたのかがなんとなくわかって、申し訳なくなった。

 いまさら、私は彩にどんなメッセージを送ったらいいんだろう。
 ずっと返事をしなくてごめんね。心配をかけてごめんね。彩もきっと辛かったのに、私だけ殻に閉じこもってごめんね。

 色々選択肢は思い浮かんでくる。だけどそのすべてが、謝罪の言葉で統一されていた。

「ごめんね……だけでいいかな?」
「それだけだとちょっと怖い。今から自殺する人みたいに見える可能性もある。余計な心配を掛けたくないなら、他の言葉にするか具体的に何かを言うかにしてたほうがいいんじゃね?」

 ごもっともである。夜月が隣にいてくれて良かった。

 たしかに、私も自分の打ち込んだ四文字を見て変な勘違いをされるかもしれないなと思っていた。これは止めよう。もっと別の、少し前向きな感じの言葉で、もちろん謝罪も挟みたいし、彩は大丈夫なのかとか、色々知りたいことがある。

 メッセージアプリを開いたまま、なにを入力しようか悩んでいると――、

「――わっ、や、夜月っ、彩から電話が来た! ど、どうしよう!?」

 急すぎるよ! なんでこんなに見計らったようなタイミングで掛けてきたの!?
 私が慌てていると、夜月はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、所在なく動き回る私の指を、画面の応答ボタンにくっつけた。

『きーちゃん!』

 そしてすぐさま、スマートフォンから私のあだ名を呼ぶ彩の大きな声が聞こえてくる。その悲痛な声色だけで、私のことを心配してくれるような心情が伝わってくる。
 慌ててスマートフォンに耳を当てると、もう一度『きーちゃん?』と今度は疑問形で彼女は私の名前を呼んだ。

「ご、ごめんね」

 結局謝ってしまった。電話口からは私の謝罪には反応せず、『あーもー、良かった』という安堵の声が聞こえてくる。夜月も彩の声を聞きたいだろうなと思って、彼の耳元にスマートフォンを寄せた。スマホサンドイッチだ。

『きーちゃん、スマホの電源切ってたでしょ』

 とがめるような言葉――だけど、それは怒っているというよりも拗ねているような雰囲気の声だった。

「……うん、ごめんね」
『謝らなくていいよ~。でも本当に良かった。きーちゃんの声が聞けて。寝る前にメッセージ確認したら既読が付いてたから、慌てて電話しちゃった。もしかしてもう寝てた? だとしたら起こしちゃってごめん!』

 なるほど、既読が付いているのを見て彩は電話をしてきたのか。私がスマートフォンを手にとったと気付いて。
 だとすると、彩はメッセージを送るだけでなく、定期的に既読が付いているのかも確認していたのかも。悪いことしちゃったなぁ。

「ううん、私、いま昼夜逆転しちゃってるから大丈夫」
『あ、そっか。きーちゃんママからそれ聞いてる。お部屋からも全然出てないんでしょ? 体調は悪くない? ご飯もちゃんと食べられてる?』
「うん、そこそこ大丈夫。ごめんね、私だけが辛いわけじゃないのに心配かけちゃって。ありがとう」
『ううん。きーちゃんに比べたら、私たちはまだマシだよ。それでも、私も最初の三日ぐらいは学校休んじゃった。亮くんはちゃんと学校行ってたみたいだけど、かなり精神的に参っちゃってたみたい』
「そう、だったんだ……」

 うん、そうだよね。私だけがつらいわけじゃないんだ。
 夜月はクラスの人気者――とまでは言わないけれど、私と違ってコミュニケーション能力は高かったし、一緒に過ごしていた彩や宮下が心に大きな傷を負ってしまうぐらいに、しっかりと愛されていた。

 考えたらすぐにわかることなのに、私は考えることを放棄していた。
 スマートフォンから少し顔を話して、夜月に『みんな夜月のことを大切に思ってたんだよ』と視線で伝えてみるが、彼は困ったような表情を浮かべていた。

「……赤石と喋ってるんだよな? 電話じゃ何も聞こえない」
「……え、嘘」

 思わず夜月の言葉に返答すると、電話口から『どうしたの? 何が嘘?』と彩から心配そうな声が聞こえてきた。私は慌てて「なんでもない」と返事をする。

「うーん……電話の声が聞こえないとなると、俺は聴覚で声を聞きとっているんじゃなくて、意思を読み取っているらしいな。赤石たちの声を聞くためには、直接会うしかないのか……」

 スマホから耳を離した夜月は、腕を組んで視線を斜め上に向けながらぶつぶつとそんなことを呟く。なるほど、直接意思を読み取るのだとしたら、電話じゃ無理だ。

 でも、どうしよう。まだ学校に行こうとは思えないし……明るく人の多い時間に外に出るのもまだちょっと怖い。
 彩からの言葉を私が中継したら、夜月はそれで満足するのだろうか。

 夜月に『二人ともいまはこういう状況で、少しずつ元気になってるみたいだよ』――そう伝えたら、それでいいのだろうか。いやでも、さっき夜月ぶつぶつと『直接会うしかない』みたいな言葉を口にしていたし、彼としてもできればそっちのほうがいいのだろう。

 どうしたらいいんだろう。
 そんな風に悩んでいる私に、夜月は言う。

「赤石をさ、家に呼ぶってのはどう?」

 彩を家に呼ぶ? それならたしかにできないことはないけど……なんだか私が楽をしているようで彩に申し訳ないな。
 でも彩は私に『わがままだ』とか『楽をしてずるい』だなんて言わないし……夜月がそう願うなら、その提案を断ろうとは思わない。

 私は彩に「ちょっと待ってね」と伝えて、ミュートボタンをタップする。

「それはいいんだけど、宮下を呼ぶのはちょっと嫌かも」

 夜月以外の男を部屋に入れたくない。宮下のことが嫌いなわけじゃないけれど、むしろ優しくて好感を持てるけど、プライベートな空間にまで呼ぼうとは思わない。

 夜月に対して申し訳なく思うという気持ちがないわけじゃないけど、それよりも、私は他の男子にそこまで心を許したくはないのだ。

 たぶんそれは、私が心のどこかで『夜月の部屋に他の女子が入ったら嫌だ』と思ってしまっているからかもしれない。だから、私も男子を入れるのが嫌なのだ。
 彩だったらまだ許せるけど、それが二人っきりだったりしたら、ちょっとやだ。

「亮の顔を見るのはまた別の機会でいいよ、今の状況ぐらいなら、赤石がどうせ話してくれるだろうし」
「……わかった。それでいいなら聞いてみる」

 夜月に返事をして、ミュートを解除。「もしもし」と声を掛けると、すぐに『はいはーい』という元気な声が返ってきた。

「ねぇ彩、時間がある時に、私の家にこれたりする? あんまり人に会いたくないから、外にはできるだけ出たくないの。私のわがままだから、無理はしなくていいからね」
『いく! 今からいってもいい?』

 ノータイムで迷いなくとんでもないことを言いだしたよ、この親友。いま深夜の一時だよ? 補導されちゃうよ。

「だ、ダメに決まってるじゃない! もう夜遅いんだよ? 危ないから、ちゃんと明るい時間にして。お父さんたちも寝てるし」
『あ、そうだね。迷惑になっちゃうか~。じゃあ明日はどう?』

 相変わらず、フットワークが軽すぎる。でもその軽さも、今回はいつも以上に軽い。それはやはり、彼女が私を心配してくれているからなのだろう。本当に、彩は優しいな。

「私はいいけど――明日って何曜日だっけ?」
『あははっ、休んでたら曜日感覚もわからなくなるよね。明日――というか今日は木曜日だよ』
「そっか、じゃあ夕方の五時ぐらいがいいかな? 学校終わってこっちに来たら、だいたいそれぐらいの時間になるよね?」
『朝の八時に行く!』
「八時だと遅刻しちゃうよ? うちから学校まで一時間近くかかるし」
『じゃあ七時半!』
「それだと喋る時間、五分もないんじゃないかな……」
『じゃあ七時!』
「それなら……うん、彩がいいならこっちは大丈夫」

 そんな会話の結果、彩は明日――いや、今日の七時に我が家を訪れることになった。
 いまから約六時間後である。彩の家から私の家まで三十分ぐらいはかかるはずだから、彼女は睡眠時間をかなり削ることになってしまうだろう。

 また明日――と通話を切って、こちらを見つめていた夜月と目を合わせる。

「明日の朝の七時に、彩が来ることになっちゃった」

 そう伝えると、夜月は私を抱きしめて後ろ頭を撫でる。そして、囁くような声で言った。

「ありがとな、頑張ってくれて」
「……別に、私も彩と会って話したかったから」

 素直になるのが恥ずかしくて、そんな風に誤魔化した。
 別に彩と話したかったというのが嘘というわけじゃないけど、夜月が『呼んでほしい』と言わなければ、きっと私は行動に移すことはなかっただろう。電話で済ませていたはずだ。

 相手が死んでなお、素直になることのできない私は、きっといつまでもこのままなんだろうな。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 彩は時間通りの七時ピッタリに、我が家のインターホンを鳴らした。

 私は朝六時には起きている両親に、リビングで顔を合わせて、彩がやってくることを伝えていた。私は顔を洗って歯磨きをしただけで、着心地の良い中学校の体操服を着ている状態で彩を迎えようとしていたのに、お母さんはしっかり外着に着替えていたし、お父さんはわざわざコンビニに行ってケーキと飲み物を買ってきてくれた。

 すごく大袈裟な気もするけど、なんだか両親が私以上に彩の来訪を喜んでくれている気がして、少し心が癒された気がした。恥ずかしさも少しあったけど。

「ちょ、きーちゃん、本当に食べてる? いま体重何キロ? 顔色も白いっていうより青白いし……本当に大丈夫なの?」

 玄関で出迎えた私を見て、彩は目を丸くしながらそう言った。そして、彼女は私に近づいて体をぺたぺたと触ってくる。
彩のこの反応は……まぁ予想できていた。化粧で誤魔化そうとすれば少しはマシになっただろうけど、そんな応急処置じゃすぐにバレちゃうだろうし、何もしなかった。

 彼女は彼女で驚いているようだが、きっと私も同じような顔をしていると思う。びっくりしていた。

「測ってないからわからない……というか、なんで私服なの? 髪もばっさり切ってるし」
「まぁまぁ、その辺りの話は部屋でしようよ。きーちゃんママ、きーちゃんパパ、お邪魔しまーす!」

 彩は私の後ろで待機していた両親に向かって挨拶をする。それに対しお父さんとお母さんは「ゆっくりしていってね」と平凡な言葉を返していた。

 両親も『なんで私服なの? 学校はどうしたの?』とか聞きたいことはあるだろうけど、そこにはツッコまない。私にしてくれたように、敢えて普通を演じてくれている。

 両親に見送られながら私たちは階段を上がり、二階にある自室へ。
 扉を開くと当然のように夜月がベッドに座っていたが、これまた当然のように彩にその姿は見えていないようだった。

「ふむふむ、部屋は綺麗なままだね。――あ、もしかしてわざわざお菓子も用意してくれてたの? 私も買ってくれば良かったなー」
「お父さんが朝買ってきてくれたの」
「そっかそっか。きーちゃんパパありがとう!」

 彩は扉に向かってお辞儀をして、テーブルの前に腰を下ろした。私はその対面、ベッドを背もたれにするようにして座る。
 夜月は彩を見て「髪、ばっさり切ったなぁ」と驚いた様子で口にしていた。
 そう、それだよ。

「なんで私服なのよ。それに、髪、どうしたの? 失恋したわけじゃないでしょ?」

「学校はサボる! 元々サボるつもりだったけど、サボる前提だったらきーちゃんがNG出しそうだったから黙ってた! 髪を切ったのは、気持ちを切り替えるためかなぁ。洋くんと別れたわけじゃないよ~」

 彩が言う洋くんというのは、渋谷洋介くん。彩と一年の時から同じクラスで、付き合って半年になる彩の彼氏だ。私は少しだけしか話したことはないけれど、彼女の口から色々話を聞いているので、あまり疎遠な感じはしない。

「サボるって、仮病でも使ったの?」
「んーん、正直に『きーちゃんと会うので休みます』って先生に言ったよ」
「そんな無茶な……」
「普通に『わかった』って言われたよ」

 それで許されるんだ。なんでもありじゃん。
 森先生――のんびりしているような感じだけど、わりと融通が利く感じの人だからなぁ。なんとなく、先生がそんな風に返事をする様子を、簡単に想像することができてしまった。

「じゃあ髪は?」
「私のことより、きーちゃんのことを聞きたいんだけど……まぁ先に説明したほうがいいよね。さっきも言ったけど、洋くんとは今まで通りだよ。髪を切ったのは、私がいつまでも立ち止まっているわけにはいかないから――だね。だって私までずっと落ち込んでいたら、きーちゃんを支えられないじゃん」
「もしかして、私のために切ったの?」

 私が彩を最後に見た時は、サラサラとした真っすぐなストレートの髪だった。肩甲骨よりも長いくらいの長さで、手入れにもかなり気を遣っており、彼女の後ろの席に座った人は大抵その髪に目を奪われている――気がする。

 ともかく、それぐらい綺麗な髪なのだ。思わずじっと見つめてしまうような髪なのだ。
 しかしその髪はいま、肩にも触れないぐらい短くなってしまっている。

 これはこれで彩のさわやかで活発なイメージと合っているのだけど、ずっと長い髪だったから、違和感がすごい。別人みたいだ。

「んーん、私自身のためだよ。立ち止まって友達も支えられない、自分が嫌だったから」

 彼女はその後に「変に罪悪感とか覚えないでね」と釘をさすように言ってきた。
 夜月はそんな彩の発言を聞いて「たまにかっこいいこと言うよな、赤石は」と感心したように言う。同意を示したいところだったけど、夜月に反応するわけにはいかないので、無視させてもらった。

「そうだったんだ……」
「うん! って、私よりきーちゃんだよ! ちゃんと食べないと――難しいかもしれないけど、ちょっとずつでもいいからさ、食べる量増やしていかないと、倒れちゃうよ。私の分のケーキも食べる?」

 彼女はスススと私のほうへケーキの乗ったお皿を寄せてくる。好意はありがたいが、それを私は無言で押し返した。同じケーキ二個は多いよ。

「昨日から、ちょっとずつ食べる量は増えてるから大丈夫。時間が経って、少し、心が落ち着いてきたの。だからスマートフォンも開けた」

 本当は時間が薬になったわけじゃない。夜月と話すことができたからだ。
 そんなことを言ってしまえば、余計な心配をされることが目に見えているので、絶対に言えないけど。

「そっかそっか。よかった。いまのきーちゃん見たら、夜月くんきっと心配しちゃうよ?」
「そうだぞ、心配しちゃうぞ」

 うるさい。黙ってて。
 心の中で試しにそう言ってみると、夜月は「ごめんって」と手を合わせて謝る。あれ? 声が聞こえた? もしかして心の声も読めちゃうの?

「なんか聞こえてるわ」

 そんな適当な……え? 私が声を掛けようとしなければ聞こえないんだよね? 考え全部読み取ってるとかいったらすぐに追い出したいんだけど。

「ひどい! でも桔梗が心配してるようなことはおこってないみたいだぞ。たぶん俺に伝えようとする意志が必要なんじゃないかな」

 それならいいけど。嘘だったら怒るからね。

「どうしたの?」
「あ、ごめん。なんでもない」
「あんまり、まだ夜月くんのことは話さないほうが良かったかな」

 彩は苦笑しながら体を前後に揺らす。どうやら気を遣わせてしまったらしい。

「大丈夫だよ。私も、きちんと現実を受け入れてる――受け入れてる、けど」

 夜月が死んだという現実を、受け入れている。そうじゃないと、幽霊は受け入れられないから。
 幽霊か幻覚なのかはわからないけど、こうして私の前に姿を現しているから混乱しそうになるが、もう彼はこの世にはいないということを――ちゃんと私は理解している。

 きちんと理解して、きちんと絶望して、不確かなものに縋っているだけだ。

 夜月の死を知ったあとに、『もっと夜月が生きている間に気持ちを伝えておけばよかったな』とか、そんなことを思っていたんだけど、彼がこうして目の前にいる今、結局私は素直になれないでいる。

 死んでしまったという実感はあるが、いなくなったという実感が薄い。

「もっと色々、夜月がいる間に思い出を作っておけばよかったな――とは思う。後悔するぐらいなら、もっと行動的になってればよかったなぁ……もっと夜月の、喜ぶようなことをしてあげてたらよかった」
「……うん、そうだね」
「ずっと、甘えちゃってたもんなぁ。愛想尽かされるかもしれないって思ったりもしたけど、夜月はいっつも広い心で受け入れてくれて、本当に、なんで私なんかを好きになってくれたんだろ。――ふふっ、わかんないや。夜月はそんな私の性格も好きだって言ってくれてたけど、どこがいいんだろうね」

 気付けば、頬には涙が伝っていた。

「きーちゃんにはきーちゃんのいいところがあるんだよ」

 いつの間にか、彩は私の隣にやってきていた。そして、背中をさすりながら相槌を打ってくれている。

「なんで死んじゃったの……」
「つらいよね」
「もうすぐ一年だったじゃん……」
「うん」
「夜月の誕生日、何しようかなって、考えてたのに……!」
「うん」
「もうなにも、できないよっ! クリスマスもお正月もバレンタインも、これからなのにっ、なにもできないよ……! ――ふっ、うぅ、うぅううう」

 彩の服にしがみついて、嗚咽を漏らす。顔を彼女の肩におしつけて、声を殺すように泣いた。今私を見ている夜月は、夜月であって、夜月ではない。

 もうあの頃には、戻れないのだ。時間は何があっても、巻き戻らない。



 彩は私が落ち着くまで背中をさすりながら待ってくれて、顔を上げた私に「ケーキ食べよっか!」と明るく言ってくれた。
 声を掛けてくれた彩には悪いけど、全然ケーキを食べる気分ではなかった。だけど喉が渇いていたのでオレンジジュースを飲み、美味しそうにケーキを食べている彩の姿を見ていると食欲が少し湧いてきた。

 小さく切り取ったチーズケーキをフォークで口に運んで、彩に話しかける。

「宮下は、大丈夫そうなの? 精神的に参ってるとか昨日言ってたけど」

 宮下亮。彩の幼馴染で、夜月の親友。
 彼のことについても夜月は気になっていたことを、今になって思い出した。忘れてしまっていて本当に申し訳ない。彼も彩と同様に、きっと私を心配してくれているだろうに。

「亮くんはね、昨日も言ったけど学校は休んでないよ。でもやっぱりきつかったみたいで、保健室に言ったり、途中で早退したりしたみたい。私が休んでいる間のことだから、また聞きだけどさ。あと、夜月くんの机の上に置いてる花瓶の水は、いつも亮くんが変えてくれてるんだよ」
「そっか……いまは平気そうなの?」
「うん、私と一緒できーちゃんのこと心配してるから、ずっとくよくよしていられないって感じかな。二人で夜月くんの家に行って、お線香もあげたりしたよ。お葬式は家族だけでしたみたいだから、行けなかったけど」
「そうなんだ……私も、行かないと」

 きっとスマートフォンの通知には、夜月のお母さんである美夜さんや、姉の美紀さんからのメッセージも届いているだろう。私に最初に夜月の死を伝えてくれたのは、美紀さんだったし。

「あ、俺も遺影見に行きたいかも」

 夜月がそんな不謹慎?なことを言いだしたので、ジト目を向ける。
 私のところに来る前は自分の家にいたって言ってたじゃん。遺影ぐらい見てきたんじゃないの?

「それも記憶があいまいな部分でさ。覚えてない」

 私が行けば、夜月は一緒に外に出られるの? 家から出られない縛りとかないよね?

「行ける気がする――いや、というか一緒にはまゆう公園に行ったばっかりじゃん。行ける行ける」

 そうだった。彼は車の後部座席に普通に座って、公園まで行っていた。となると、彼は私さえ外出すれば問題なく移動できるのだろう。だとすれば、夜月の家に夜月と一緒に行くことは可能なわけだ。

「なぁ桔梗、もう今日行っちゃわねぇ? 平日だと、父さんも姉ちゃんもいなくて、母さんだけだからさ。桔梗的にも三人に待ち構えられるよりそっちのほうが気が楽だろ?」

 それはそうだけど……急すぎるよ。そっちの家の都合もあるじゃない。

「思い立ったが吉日ってやつだぜ」

 夜月は他人事のように言って、ニカッと目じりにしわを作って笑う。
 そんな顔をされたら、断りづらい……夜月の笑顔に、私は弱いのだ。

「ねぇ彩、その、一緒に行ってくれる? 夜月の家」
「もちろん! 今から行く!? お線香あげに行ったときに夜月くんママと私も連絡先交換したから、聞いてみようか?」
「……ううん、私が聞いてみる。私がやらないといけないことだから」
「そっか、わかった。夜月くんママもきーちゃんのことすごく心配してたから、顔を見せてあげたらきっと安心するよ!」

 そうだったんだ……美夜さんにも悪いことをしちゃったな。
 心の中で反省しながらスマートフォンの画面をタップし、履歴を確認する。メッセージが五件、そして着信が一件、美夜さんから来ていた。そのすべてを、私は見ていなかった。

 最初にメッセージが届いたのは、夜月が亡くなってから一週間後。『もしよかったら、夜月にお線香をあげてください』というものだった。

 最新のものは二日前で『桔梗ちゃん、大丈夫?』というメッセージ。
 一番つらいのは、夜月の家族だろうに。そんな人が私の心配をしてくれているかと思うと、心臓が潰れそうになるぐらい心が苦しくなった。

 私は文字を入力し、彩に見せて、頷いてくれたことを確認して、送信ボタンを押した。
 ご連絡が遅くなって申し訳ございません、本日、赤石彩と一緒にお伺いしてもよろしいでしょうか。夜月くんに、お線香をあげさせてください。

 一分後には、返事が返ってきた。いつでも、好きな時間に来て大丈夫とのこと。
 彩と相談して、私たちは夜月の家に十一時に向かうことになった。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 落ち着いた色合いの服に着替えて、彩と一緒にショッピングモールでお供え用の焼菓子を買い、夜月の家に行った。彩は普段と比べると優しい色合いの服を着ていると思っていたが、もしかしたら私とお参りに行くことを想定していたのかもしれない。

 いや、そうでなくとも彼女は、派手な服を着るような気分にもなっていなかったのかな。
 日の出ている時間に外出するのは、夜月が亡くなって以来初めてのことだった。というか、昨日はまゆう公園に行った以外、外に出ていない。

 太陽の刺激はこんなにまぶしいものだったかと目を細めながらも、それ以上に周囲の視線が気になってしまう。
 平日なので、知り合いに会う心配はない。

 だから私としてはかなり気が楽だったけれど、私服に身を包んで鏡を見た時は『彩が驚くのも当然か』と思ってしまうぐらい、体調が悪そうな見た目をしていたから、結局視線を気にすることになってしまった。お風呂の鏡で見た時は徐徐に変化していたからかわかりにくかったけど、私服姿でみると一目瞭然だった。

 陰で何を言われるかわからない。変なものを見るような目で見られたくない。
 だから私は、彩と夜月だけを見るようにして、他にはできるだけ目を向けないようにした。
 見たいものだけ見ればいい――そう夜月が言ってくれたことを思い出して。

 花栗(はなぐり)

 夜月の苗字が記された表札を眺めて、深呼吸をする。
 花栗夜月。そのフルネームを頭に思い浮かべるだけで、もう泣いてしまいそうだった。付き合う前のころはずっと『花栗』と呼んでいたし、夜月もまた、私を苗字で呼んでいた。

 初々しいやりとりだったなぁ。最初にお互いの名前を呼んだときは、二人とも顔を真っ赤にしていたように思う。お互いがお互いの顔色を指摘して、恥ずかしい気持ちになりながらも、笑いあっていた。

 良い思い出だ――良い思い出すぎて、泣きたくなる。

「私が押そうか?」
「ううん、ありがと。頑張る」

 この程度で『頑張る』なんて言葉を使っていいのか、口にしたあとに真剣に悩んだ。両親にも、彩にも、そして死んでなお現れている夜月にも、甘えすぎているのではないかと。

 そんなことだから、これしきのことで頑張ろうとするのではないかと。
 あまり、私は使わないほうが良い言葉のような気がするな。『頑張る』のハードルを、私はもっと高い位置に置かないといけないと思う。

 そんなことを思いながら、インターホンを押した。
 はい――と、機器からノイズ混じりの声が聞こえてきたので、苗字を名乗る。すると、外履き用のスリッパを履いた美夜さんが、玄関扉を開けていらっしゃいと声を掛けてくれた。

 私たちはお邪魔しますと言いながら門扉を開いて入っていき、美夜さんの前まで歩いて行く。

 すると美夜さんは、私の足先から頭のてっぺんまで、呆然とした表情を浮かべてなぞるように眺めた後、ぼろぼろと涙を流し始めてしまった。それから口元に手を当て、眉尻を下げていく。

「……桔梗ちゃん、あなたも辛かったわよね、そうよね――っ」

 そう言って、美夜さんは私を抱きしめてくれた。「辛かったわよね」と再度口にしながら、美夜さんは私を包む両手に力を込めた。
美夜さんに釣られるようにして、私も泣いてしまった。やはり今の私は、可哀想な見た目をしてしまっているのだろう。

「私なんかより、美夜さんのほうが」
「比べるようなものじゃないわよ……来てくれてありがとね、桔梗ちゃん」
「……はい」

 しばらく玄関先で抱き合ったまま、お互いの耳元で話をした。その途中で、美夜さんが彩のことを思い出し、ぱっと離れて「彩ちゃんも来てくれてありがとう」と涙を手で拭いながら言っていた。

 その後、私たちは美夜さんにお供え物を渡して、夜月の写真が飾られた仏壇にお線香を上げさせてもらった。夜月のお父さん――優月さんのご両親の写真が飾られている隣に、夜月の写真も並べてあった。高校の入学式に撮影されたものらしい。

 手を合わせて祈りながら、変な感じがしていた。
 だって、仏壇に彼はいないのだ。

 夜月が見えてしまっている私からすれば、彼は「まぁ、この写真が無難か」と自らの遺影を評価したのち、自分の部屋を見に行ったりしているのだ。二階にある彼の自室に向かって祈ったほうが、適切ではないのだろうか。そう思ったけれど、明らかに不審者の行動になりそうだから、止めた。

 なんのために祈っているのかわからなかった。パフォーマンスをしているだけのように思えた。
 そんなことを考えた結果、夜月には言いづらいけど、返事が無いからこそ伝えたい思いを、仏壇に向かって言うことにした。

 私の前に、また現れてくれてありがとう。ずっと大好きだよ、と。



「二人ともありがとう、夜月もきっと、喜んでいるわ」

 お線香をあげ終わったあと、美夜さんは私たちにケーキと紅茶を用意してくれた。

 本日二個目のケーキである。朝ごはんは食べていなかったし、外を歩いたおかげで少しお腹が空いていたから、こちらもすんなり食べることができた。もし彩の分のケーキも食べていたら三個になるところだった。危ない。

 でも一日二個のケーキでも、十分太っちゃいそうだなぁ。今の私にとっては、きっといいことなんだろうけど。変な肉の付き方にならないよう、もうすこし体を動かしておかないと。

 お父さんが買ってきたケーキも美夜さん用意してくれたケーキも、そこそこのサイズだし、用心するに越したことはない。

 それからしばらく、私と彩は美夜さんから夜月の話を聞かせてもらった。
 夜月が生まれたころの話。幼稚園のころ、小学生のころ、中学生のころ、高校生のころ。
 私の知る夜月から、私の知らない夜月まであますことなく、美夜さんは、時折涙を挟みながら、私に丁寧に話してくれた。

 もちろんその話を聞いて、私が涙を我慢できるはずもない。彼女は私と付き合ってからの夜月のことも教えてくれた。身だしなみに気を遣い始めたとか、姉におすすめの香水を聞いたり、ファッションについてアドバイスをもらったり。

 私と付き合ってからの夜月が、一番楽しそうだった――そう美夜さんは泣きながら話してくれた。

 彩も、私の涙に釣られたのか、はたまた感情移入してしまったのか、私以上に泣いてティッシュを大量に消費しているようだった。ズビズビと鼻をすする音のおかげで、少しだけ私の涙が引っ込んだ。そんな彩や私の姿を見て、美夜さんは嬉しそうにしていた。

 そして、話がひと段落したところで、

「桔梗ちゃん、真面目な話なの、怒らないで聞いてくれる?」

 美夜さんは真剣な表情になって、私に語り掛けてくる。

「……はい」

 何を言われるのだろうかと怯えながら、返事をした。
 夜月は私たちの話は聞いていてむず痒かったのか、最初のほうは客間の中をうろうろしていたのだけど、いまはこの場からは姿を消している。また、自室に向かったのだろう。

「夜月のこと、好きになってくれてありがとう。でもね、あなたはまだ若いんだから、いつまでも夜月にとらわれていてはダメよ?」

 まだ話の続きはあるのだろうけど、どんなことを言われてしまうのかがわかってしまって、私は思わず美夜さんから視線をそらし、テーブルの上にある空いたお皿を見つめた。

「…………」
「夜月のことは忘れて――なんてことは口が裂けても言えない。私だって、息子のことを一人でも多くの人に覚えていてほしいし、それが愛してくれた人ならなおさら。でもそれは心の隅に、夜月の場所を作ってくれているだけで良いと思うの。中心じゃなくても、いいの。あなたには、これから五十年以上の人生が待っているわ。もしかしたら、いずれ桔梗ちゃんは新しい恋をするかもしれない――その時に、夜月のことが心に引っ掛かったりしてしまったら、きっと夜月は――ううん、あの子の心を私は語れないけれど、とにかくあなたは自由に生きていいのよ」

 困ったように眉をハの字に曲げながら、優しく諭すように美夜さんは言った。
 嫌なことを言わないでほしい、とは思わなかった。一番つらい場所にいたであろう美夜さんが、こんなにも前を向いた発言をしているのを聞いて、やっぱり自分は弱いんだなと痛感していた。

 でも私は、そんなに大人になることは、まだできない。
 夜月以外の人に恋する自分なんて、自分じゃないみたいで……想像できない。

「ごめんなさい」

 頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。
 美夜さんにはこの言葉がどのように伝わっただろうか。

 自由に生きてすみませんという意味だろうか。それとも、前に進めなくてすみませんという意味だろうか。
 美代さんは、「そう」と短い返事をするだけだった。

「新しい恋とか、そういうことは、私にはまだまだ考えられそうもありません。でも、美夜さんのその言葉は、ずっと覚えておきます」
「うん、そうだね。それでいいと思うよきーちゃん」

 彩が背中をさすってくれた。私の親友の行動を見て、美夜さんは「彩ちゃんもありがとう」と口にした。いつか、夜月のお姉さんやお父さんにも挨拶をしにきたいな。

 優しく話してくれる美夜さんを見て、私はそんなことを思った。